小泉今日子の歌い方|芝居を続けたからこそ、歌では「鼻歌調」を目指した

書棚の前でインタビューを受ける小泉今日子 シンガー
2024年のインタビューより。撮影:小財美香子/音楽ナタリー

俳優として経験を重ねるほど、歌にも芝居の表現が加わっていく。
小泉今日子の場合は、必ずしもそうではありませんでした。
2011年、本人が話していたのは、演技をする場がほかにあるから、歌には演技を入れなくても済む、という考えです。
その頃の歌で目指していたのは「鼻歌調」でした。

「なんてったってアイドル」で大胆に自分を歌っていたキョンキョンが、なぜ、そんな歌い方を面白いと思ったのでしょうか。
歌手としての華やかな顔と、飾らずに歌うときの声。
その関係をたどってみます。
2022年3月21日、中野サンプラザで歌った「なんてったってアイドル」には、今も楽しめる小泉のアイドルとしての顔があります。

メロディーを演じるうちに、キョンキョンになっていった

小泉は、最初からあの明るいキャラクターで歌っていたわけではありません。
1982年にデビューした頃は、口数が少なく、落ち着いたタイプでした。
そんな彼女に、ディレクターの田村充義が普段聴いている音楽を尋ねます。
好きな音楽の話ならできる。
そこから、自分のことを話せる関係ができていきました。

転機となった1983年の「まっ赤な女の子」は、筒美京平の作曲です。
小泉が後に振り返ったのは、サビで音が大きく跳ぶところの面白さでした。
そのメロディーを演じるように歌うことで、自分のキャラクターもはっきりしていったといいます。

歌詞に登場する女の子になりきるだけではありません。
音の高さが急に変わること自体が、声に動きや表情をつけるきっかけになる。
きれいにつながった旋律を滑らかに歌うのとは、違った楽しさです。
歌手の持っていた性格を曲がそのまま映すのではなく、曲を歌ううちに、新しい顔が生まれていくのでした。

その後の「なんてったってアイドル」では、歌う本人がアイドルでありながら、アイドルという存在そのものを歌います。
本当の自分を見せているようでもあり、アイドル役を演じているようでもある。
この両方が見えるところに、小泉の歌のいたずらっぽさがあります。

舞台で大きな感情を演じるから、歌はさりげなくてもいい

舞台では強い声を出し、さまざまな感情を表す。
その経験があるから、歌では「鼻歌調」を試してみたい。
2011年の小泉は、そう考えていました。
演技の経験を歌に足していくというより、歌では別の楽しみを探していたのです。

ここでいう「鼻歌調」は、鼻に響かせる発声法の説明ではありません。
強い感情を大げさに表さなくても、聴いていたくなる歌にしたい、という方向だと受け取れます。
演技をする場がほかにあるから、歌を肩の力を抜いて表現することも選べるのでした。

もちろん、役を歌うことまでやめたわけではありません。
「今日の約束」では、BIKKEとともに母親と子供のやり取りを歌っています。
必要なら役を演じるけれど、どの歌にも同じだけ芝居を加える必要はない。
そう考えると、「鼻歌調」という言葉を、表現を一つに限定する宣言として聞かずに済みます。

2020年の配信公演で椅子に座る小泉今日子
2020年8月21日「唄うコイズミさん」。
撮影:岩澤高雄/ビクターエンタテインメント

歌と演技の間に、言葉を読むという選択もありました。
久保田利伸の「Moondust」には、ポエトリー・リーディングで参加しています。
本人は、久保田のようなR&Bは自分の歌のジャンルにはないけれど、読む形なら参加できそうだと考えたと話しています。

そこには、ナレーションを続けてきた経験もありました。
自分を強く前に出さず、それでも印象が残る声を探ってきたというのです。
感情を大きく演じなくても、声を聞いているうちに言葉へ引き込まれる。
「鼻歌調」を目指す姿勢も、そうした声の仕事と並べると、表現を省くことより、聴き手との距離を探す試みとして見えてきます。

自分の声を、相手の音楽に預けることもできる

小泉の歌では、自分だけで完成形を決めない面白さもあります。
ASA-CHANG&巡礼と作った「背中」では、歌いやすいシンプルな伴奏で、まず声を録音しました。
その後、ASA-CHANGが声を分解して組み直し、作品にしていったのです。

歌う時点で小泉が聴いていた伴奏と、完成した音楽とは、同じではありません。
本人も、どんな形になるかは具体的には分からず、完成品は想像を超えていたと振り返っています。
普段の歌唱なら一続きに聞こえる声も、録音の編集によって別のリズムや並び方を持てる。
そういう作り方を、相手への信頼のもとで受け入れていました。

この曲の不思議さを、すべて歌手の歌い方の技として聴くと、作品の成り立ちを取り違えてしまいます。
まず小泉が歌い、そこに共演者の発想が加わって、録音作品としての声になる。
歌を一度録り終えた後にも、声の見せ方には、これだけ工夫の余地がある。
歌唱の瞬間に一人であらゆる効果を出すことだけが、表現を豊かにする方法ではありませんでした。

久しぶりのライブも、身近な歌から始まった

歌を大げさに演じなくても、聴き手を楽しませることはできる。
その考えをライブの形で見られるのが、2020年の「唄うコイズミさん」です。
8年ぶりの単独ライブは無観客配信で行われ、最初の曲はピアノ伴奏で歌う「二人」でした。
途中からアコースティックギターも加わり、「あなたに会えてよかった」や「優しい雨」も歌っています。

「二人」は1985年のアルバム『Flapper』の収録曲です。
35年前の歌を、ピアノと声という簡素な編成で歌い始める。
そして最後には、「三日月ストレッチ 背すじのばし篇」で公演を締めくくりました。
代表曲を並べて歌手としての華やかさを見せるだけでなく、聴き手がゆっくり歌を楽しめる選曲でもあります。

小泉自身も、コロナ禍の聴き手には、強く励ますより、そっとそばにいるような歌を届けたかったと話しています。
「鼻歌調」を目指した歌と、このライブは、聴く人が気負わずに付き合えるという点でつながっています。
声の大きさを競わなくても、一緒に過ごす時間が心地よければ、また聴きたくなるのです。

2021年の配信公演でマイクを手にする小泉今日子
2021年3月21日「唄うコイズミさん 筒美京平リスペクト編」。
撮影:岩澤高雄/ビクターエンタテインメント

初期の歌も、大人になってから見直せる

飾らずに歌う楽しさは、後年の曲にだけあるわけではありません。
小泉は大人になってデビュー曲「私の16才」を歌い、よい歌だと改めて感じたとも話しています。
デビュー初期の落ち着いた曲は、自分の声に合っているというのです。

「まっ赤な女の子」からの変化が鮮やかだった分、その前の一年は地味な時期として扱われがちです。
でも、明るく振る舞う小泉だけが本来の姿だった、と決めてしまうと、最初の曲が持っていたよさを見落とします。
曲を演じて発見した声もあれば、以前から自分に合っていたと、後から気づく歌もあるのでしょう。

「なんてったってアイドル」では、あの大胆な宣言を楽しむ。
「唄うコイズミさん」では、歌が普段の話し声や暮らしから遠く離れない感じを楽しむ。
小泉は、俳優として表現できることが増えたからといって、歌にも同じだけ演技を詰め込もうとはしませんでした。
思いきり役を見せることも、さりげなく歌うことも選べる。
その自由さが、キョンキョンの歌を聴く面白さです。

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