Steelheartのミリェンコ・マティエヴィッチといえば、「She’s Gone」や「I’ll Never Let You Go」の突き抜けるような高音が思い浮かびます。
あれほど歌える人なら、録音でも納得するまで何度も歌い直していそうです。
ところが、2017年の「Lips of Rain」では、訪問先の寝室で録った歌を、そのまま作品に残しました。
録り直す設備や歌唱力がなかったからではありません。
そのときの歌を残したかったのです。
ミリェンコが録音を選ぶ理由をたどると、見事な高音を聴かせることと同じくらい、一度生まれた歌の勢いを大切にしていることが分かります。
寝室で歌った「Lips of Rain」を、録り直さなかった
『Through Worlds of Stardust』に収められた「Lips of Rain」の歌は、ニューヨーク州ウッドストックで録音されました。
ミリェンコは恋人を訪ねた際、彼女が留守にしている寝室へマイクと持ち運び用の録音機材を設置し、そこで歌ったと振り返っています。
持ち帰った録音を聴くと、歌に宿ったエネルギーがとてもよかった。
それが、歌い直さずに残した理由でした。
より立派なスタジオで録れば、自動的によい歌になるわけではない。彼には、すでに残す価値のある歌が録れていたのです。
この話を知ると、「Lips of Rain」の聴きどころも少し変わります。
高い音まで届いているかだけでなく、ミリェンコがもう一度歌うより残したいと思ったのは、どんな歌だったのか。
完成した作品の中に、私的な場所で歌った時間が、そのまま含まれています。
仮の歌を、完成品のように仕上げない

同じアルバムの曲をバンドに伝える際も、ミリェンコはデモを細かく作り込みませんでした。
ギターと歌だけの粗い録音で、歌詞も未完成のまま。
曲の勢いや感じが伝われば、それを何度も聴き込みすぎずに、メンバーと演奏を作っていったといいます。
ここでは、仮の歌と、作品に残す歌の役割が違います。
デモは、曲をどう育てるかをメンバーに伝えるためのもの。
一方、「Lips of Rain」の歌は、本人が作品に残したいと感じた録音でした。
粗い録音を何でもそのまま使うのではなく、その歌が何の役に立つかを見極めているのです。
二人とも全部歌ってから、どちらの声を使うか決める
2025年には、Teslaのジェフ・キースと「I Just Want to Make Love to You」を録音しました。
同じハードロックの歌手でも、ミリェンコが前へ押し出すように歌うのに対し、ジェフにはゆったりしたブルースの感じがある。
本人も、その違いを意識していました。
録音では、最初から細かく歌う担当を分けたのではありません。
ジェフが一曲を通して歌い、ミリェンコも一曲を通して歌う。その後で、それぞれの録音から使う部分を組み合わせました。
完成したデュエットの裏には、一人ずつが全編を歌った録音があるわけです。
組み合わせる途中で、ジェフが歌ったある箇所を外し、ミリェンコ自身の歌へ置き換えたこともありました。
そこは、録音時にはミリェンコ自身も気に入っていた歌でした。
仕上がりを聴いたジェフが、あの歌はどうなったのかと尋ね、最終的にはジェフの録音が戻されます。
ミリェンコの強い声で歌える箇所でも、相手の歌を残したほうが、この二人で作る意味が生まれる。
デュエットでは、自分の最も得意な歌い方を聴かせ続けることだけが仕事ではありません。
どこで自分が歌い、どこを相手に任せるか。その選択も、作品の中の歌い方を決めています。
合唱には、約350人のファンの声を使う
「Trust in Love」では、声を選ぶ基準がさらに広がりました。
もともと合唱を加える構想がありましたが、コロナ禍で予定どおりには進まず、世界のファンから歌声を募ることになったのです。
届いたのは、約350人分の声でした。
きちんとした録音設備で歌った人もいれば、携帯電話を使った人もいる。
ミリェンコは、その声を選別して減らすのではなく、すべて使ったと話しています。
人々を一つの歌で結びつけようとした曲だからこそ、音質のそろった声だけを採用する方法は選びませんでした。
この曲は複数の言語でも歌われています。
ミリェンコは、分からない言語の音を覚えるだけではなく、その言葉が何を意味するのかを協力者に確かめ、歌として自然になるよう調整したと説明しています。
意味が分からないまま発音を合わせても、どんな気持ちで歌うかが定まりません。
発音の正しさを確かめるときにも、どんな思いを込める言葉なのかまで教わっていたのです。
高い声を出した先で、何を残すのか
ミリェンコの歌を聴く楽しさに、あの高音があることは間違いありません。
ただ、録音を作る本人は、声の高さだけを競っているわけではありませんでした。
「Lips of Rain」では寝室で生まれた歌を残し、ジェフとの共演では自分と違う歌い方を残し、「Trust in Love」では条件のそろわないファンの声まで作品へ加えています。
すでによい歌が録れているのに、録り直す必要があるのか。
自分で歌える場所でも、別の声に任せたほうがよくならないか。
そう考える人が、あの豪快な高音の持ち主でもある。その両方を知ると、彼の録音が少し違って聴こえてきます。
代表曲を後年に歌い直した際にも、声の残し方は変わりました。
「She’s Gone」のオーケストラ版や娘とのデュエットは、ミリェンコ・マティエヴィッチの歌声の変遷でたどっています。
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