津吹みゆさんの歌声には、遠くまで一気に届く明るさがあります。
デビュー時についた呼び名は「どんと響く直球ボイス」。
ところが現在の魅力を決めているのは、その声をいつも全開にすることではありません。
むしろ、力を八割ほどに抑え、言葉の奥に感情を残せるようになったことが大きいのです。
まっすぐな声を捨てずに、押さない歌、役を演じる歌、仲間と溶け合う歌まで増やした。
津吹さんの歌い方は「声量のある演歌歌手」という一言より、強い声の使い道を増やし続けた歌手として見ると面白くなります。
津吹みゆの歌い方は、100%で歌わない時に本領が見える
「なみだ紅」の録音で求められたのは、もっと声を出すことではなく、力を抜くことでした。
本人の感覚では八割ほど。
歌える力を残したまま、あえて全部を見せない歌い方です。
これは声が弱くなったという意味ではありません。
大きく伸ばせる声があるからこそ、抑えた一音の後に来る強さが際立ちます。
悲しい歌を最初から最後まで強く歌うと、どの言葉も同じ明るさに聞こえがちです。
少し余白を作ることで、言葉がのみ込まれた瞬間や、気持ちが揺れた瞬間まで想像できるようになります。
津吹さん自身、以前は強く歌う印象を持たれることが多かったと振り返っています。
だから「こんな歌い方もできるのか」という反応が生まれた。
直球ボイスの完成は、直球だけを投げ続けることではなかったのです。
出発点には、山へ届く声より先に「歌のある家庭」があった
福島県矢吹町で育った津吹さんは、幼い頃から家族と一緒に演歌や歌謡曲に親しみました。
小学生の頃には福祉施設を訪れて歌い、聴く人が喜ぶ姿を間近で見ています。
歌が上手いと評価される前に、歌を誰かへ渡す経験があったわけです。
興味深いのは、当時J-POPを歌っても自然にこぶしが入ったことです。
こぶしとは、音を一直線に伸ばさず、短く細かな高低をつけて感情を表す演歌特有の動きです。
後から無理に演歌らしく飾ったというより、言葉を歌にすると節が生まれる感覚が先に身についていました。
高校時代、歌番組への出場をきっかけに声を見いだされ、作曲家のもとで本格的に学び始めます。
2015年の「会津・山の神」でデビューした時、明るく抜ける高音と迷いのない語り口は、故郷を背負う新人の物語によく合いました。
この頃の強さは、技巧を細かく見せることより、歌の景色を正面から届けることにあります。
高い声は武器だが、一人で歌う時ほど自由には使えない
津吹さんは、女性演歌歌手によるユニット「みちのく娘!」で高音パートを担当しました。
一人なら、自分が最も気持ちよく響く音量や間を選べます。
三人で歌う場合は、強い声ほど周囲を隠してしまうため、音程だけでなく声の大きさや言葉の置き方までそろえなければなりません。
本人も、最初はハーモニーに苦労したと話しています。
ここで学んだのは、声を小さくすることではなく、他人の声を聴きながら自分の響きを置くことでした。
「高音が出る」と「高音が混ざる」は別の技術です。
踊りながら歌う活動も、息の使い方と持久力を変えました。
演歌の長い一音だけでなく、動きの中で短い言葉をそろえ、次のフレーズへ息を残す必要が出たからです。
強い一声を持つ人が、周囲との距離を覚えた。
後の抑えた歌唱へつながる重要な寄り道でした。

「東京ホタル」で、姿勢や息まで別の歌へ切り替えた
2021年の「東京ホタル」は、従来の望郷演歌とは違うフォーク歌謡でした。
津吹さんはこの作品で、呼吸、立ち方、声の響かせ方、ビブラートまで見直したと説明しています。
ビブラートは、伸ばした声を細かく揺らす表現です。
演歌では存在感のある揺れが感情を運びますが、曲調が変われば、同じ揺れが重く聞こえることもあります。
強い声を弱くしただけでは、歌の空気は変わりません。
体の構えから別の曲へ入り直したところに、この挑戦の意味があります。
続く「おんなの津軽」では、持ち味の伸びを残しながら、以前より音の角が柔らかくなったと受け止められました。
一直線の強さと、空気を含んだ柔らかさを対立させず、曲の中で配分できるようになっていきます。
水森かおりさんの歌い方と比べても、演歌の歌声は「声量が大きいほどよい」という単純な世界ではありません。
遠くへ届く声を持ちながら、どこで細くするか、どこで言葉へ戻すかによって歌の人物像が変わります。
「壇ノ浦恋歌」と「郡上しぐれて」は、声の強さより人物の違いを聴く歌
「壇ノ浦恋歌」では、通常の歌唱に加えて端唄風の場面があります。
同じ人物が歌っていても、物語を進める声と、古い情景を立ち上げる声を分ける必要がありました。
津吹さんは、そこに普段とは違う声の出し方を取り入れています。
「郡上しぐれて」で挑んだのは、もっと明確な引き算です。
それまでのように押し出さず、初めてといえるほど声を張らない歌い方を選びました。
声を出せる人にとって、出さないことは簡単ではありません。
音量を落とすと息だけになったり、言葉の芯まで薄くなったりするからです。
ここでは、女性の心情を大声で説明せず、聴き手に近づいて渡す方向へ声が変わります。
演歌の「強さ」を、音の大きさではなく、感情から逃げずに一語を置くこととして捉え直した作品です。
島津亜矢さんの歌い方にも通じますが、圧倒的な声量を持つ歌手ほど、聴きどころは全開の瞬間だけではありません。
大きく歌える人がどこで抑えるかを見ると、その歌手の判断が分かります。
強い声から「演じる声」へ、直球ボイスの中身が増えた
女性の恋や情念を歌う作品が増えるにつれ、津吹さんは主人公になりきる考えを強めました。
普段の自分なら選ばない感情でも、役として歌えば、言葉の温度や視線の向きが変わります。
芝居を経験したことも大きな助けになりました。
演じる時は、自分の台詞だけを上手く言っても場面になりません。
相手の言葉を受けて、次の反応が生まれます。
歌でも、伴奏や一つ前の言葉を受けずに毎回同じ強さで声を出すと、人物の心が動いて見えません。
「闇夜においで」のような大人の歌では、本人が自分に仮面を着けるような感覚で色気を作っています。
生まれ持った声を別人へ交換するのではなく、明るい直球ボイスの奥へ、ためらい、影、艶を重ねる方法です。
さらにクラシックの声楽を学んだことで、使える音域と声の厚みも広がりました。
ここで大切なのは、クラシック風に歌うようになったことではありません。
選べる響きが増えたため、曲に合わせて元の声を残す量まで調整できるようになったことです。
津吹みゆの歌唱力を確かめるなら、強い一音の前後を見る
津吹さんを初めて聴くと、伸びやかな高音やこぶしへ耳が向きます。
ただし現在の歌唱力は、その一音だけでは分かりません。
注目したいのは、強くなる直前にどこまで声を抑えているか、伸ばした後に言葉へどう戻るかです。
「会津・山の神」と「なみだ紅」を比べれば、声そのものの明るさはつながっているのに、感情を置く距離が違うと分かります。
表面だけ真似して大声や深いこぶしを足すと、喉を押した歌になりやすいでしょう。
参考にしたいのは音量ではなく、歌える力を残したまま曲へ譲る判断です。
痛みや強いかすれが出る発声は、本人の力強さとは別物なので中止してください。
津吹みゆさんの歌声の変遷では、直球の望郷演歌から、張らない恋歌、芝居や篠笛を含む「第二章」までを年代順にたどっています。

まとめ|津吹みゆの直球は、一本ではなくなった
津吹みゆさんの歌い方の土台は、幼い頃から身についたこぶしと、明るく遠くへ届く声です。
デビュー時の「直球ボイス」は、その魅力を分かりやすく言い表していました。
しかし現在の面白さは、直球を投げ続けることではありません。
みちのく娘!で他人の声を聴き、「東京ホタル」で呼吸や姿勢を変え、「郡上しぐれて」や「なみだ紅」で力を残す歌を覚えました。
芝居と声楽も、声を別物にするのではなく、元の声をどう使うかという選択肢を増やしています。
強く歌えるのに、強く歌わない。
それでも一語の芯は消えない。
その抑制まで含めて、現在の「どんと響く直球ボイス」なのです。






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