山内総一郎の「人間だし」には、普段の会話や日記から出てきそうな言葉がある。
それを静かな弾き語りだけに閉じ込めず、高いメロディーの曲にしたのが面白い。
山内自身は、自分らしい歌を「まっすぐに伝える」ことだと話している。
技巧の名前で声を分類するより、この曲では軽い言葉をどう軽く扱わずに届けるかを見ると、歌い方の中心が分かる。
そばを食べよう、という言葉を高いメロディーに置く
「人間だし」は2025年、フジファブリックの活動休止後に山内が出した曲だ。
本人によれば、朝に喫茶店で日記のように書いていた言葉が出発点だった。
行き詰まった気持ちを「人間だから仕方がない」と受け止めると、少し楽になったという。
大きな教訓を先に決めて歌詞を書いたのではない。
自分の生活の中で本当に考えたことを、歌に移した。
山内は、食事のような身近な言葉を高いキーで歌う曲はあまりないだろうと笑っている。
この組み合わせは単なる冗談ではない。
曲の高まりに合わせて立派な言葉へ置き換えれば、日常の小さな救いは消えてしまう。
普段の話し言葉をそのまま残したうえでメロディーを広げるから、歌が遠くの理想を語り始めず、聴き手の生活と地続きでいられる。
その励まし方には、山内が好きなThe Bandの「The Weight」から受け取ったものもある。
バンドの活動が止まってから、荷物を下ろしてよいと伝えるその曲のメッセージが、以前より深く響いたという。
「人間だし」にも、聴き手の負担を少し軽くするような思いを込めた。
そう考えると、高いメロディーは、もっと頑張れと追い立てるための高まりではない。
普段の生活へ戻ってよいと呼びかける言葉を、遠くへ届く形にしている。
声の力強さと、歌詞が求める力の抜き方が同居するところに、この曲の面白さがある。
「まっすぐ」は、大声や無表情を意味しない
山内はソロ活動を始めた頃、自分の歌について、思ったことをしっかり伝えるのが自分らしいと語った。
同時に、それはビブラートを使わないという意味ではないとも説明している。
つまり「まっすぐ」を発声の一つの形や、声量の大きさに置き換えないほうがいい。
「人間だし」では、日々の失敗を笑い飛ばすような軽さと、立ち止まった人の荷物を少し下ろすような思いが同居する。
軽い言葉を軽薄にせず、励ましの言葉を説教にもせず届けるには、歌う人がその言葉を信じていることが要る。
山内が取材で語った「まっすぐ」は、そうした言葉への向き方として読むと具体的になる。

自分の声を、アコースティックギターの響きで考える
山内は声について、ギタリストらしい言葉でも説明している。
2022年の『歌者 -utamono-』をめぐる取材では、ギブソンのアコースティックギターをよく使う理由として、自分の声と相性がよく、声の倍音を邪魔しにくいように感じると話した。
声と楽器を別々に完成させてから並べるのではなく、一緒に鳴ったときの響きを聴いているのだ。
自分の中にはギブソンを思わせる発声と、マーティンを思わせる発声のイメージがあり、前者のほうが出しやすいとも説明している。
これはメーカーごとに決まった歌唱法があるという話ではなく、出したい声を楽器の音色にたとえた本人の感覚だ。
長くギターの音を選んできた耳で、声の鳴り方も探っている。
録音した声を何度も聴くうちに、好きな音が出る喜びを感じ、レコーディングも楽しくなってきたと本人は話す。
自分の声への評価は、歌う瞬間の感覚だけで終わらない。
録った音を聴き返し、次にどんな響きを出したいかを探すことも、その声を育てている。
この話を踏まえると、「まっすぐに歌う」は、音色に無頓着という意味でもない。
伴奏に埋もれない輪郭や、自分が気持ちよいと思える響きを探す作業がある。
話し言葉のように身近な歌詞を届けるにも、その声が曲の中でどう聞こえるかは大切なのだ。
歌を中心にするため、作曲する楽器も変える
『歌者』では、歌と声から生まれるメロディーへ集中するため、ピアノで作った曲を集めたと山内は明かしている。
ギターで作り、気に入っていた曲もあったが、このアルバムからは外したという。
得意な楽器の勢いだけで曲を進めず、歌がどんな形になるかを確かめるための選択だった。
また、編曲者や演奏者を迎える際も、ジャンルをひとつに絞るより、歌を中心に置くことを重視した。
違う演奏家と作ることで、歌をどこへ置けばよいか、さらに追求できると考えたからだ。
ギターの音色を選ぶ話と合わせると、山内の歌唱は、声だけを強くすれば完成するものではないと分かる。
ギターの弾き語りから、バンドの音へ広げても残るもの
山内は、曲をアコースティックギターと鼻歌から作ることがある。
「人間だし」も、最初は歌詞の元になる文章を書き、その後に曲へ育てたと説明した。
一方、同時期の「旅にでる」や「GOOD FELLOWS」は、バンドの演奏を土台にしている。
ギター一本で歌えば本音、音が増えれば演出、という分け方は彼には当てはまらない。
2025年のインタビューでは、ドラムとベース、ギターが鳴る編成も自分らしさだと話した。
歌の周りに音が増えても、言葉の出発点は喫茶店で考えた自分の気持ちだ。
曲の大きさと生活の小さな言葉をどう両立させたかに、この歌の大事な聴きどころがある。
日常の人物を思い浮かべて、声の言葉を具体的にする
山内の歌に生活が感じられるのは、題材を身近にしたことだけによらない。
『歌者』では、歌う人物がどんな仕事をし、どんな部屋に住んでいるかを短い物語として書き出していた。
「大人になっていくのだろう」には、駅を作る仕事に就き、夜勤をする人物を思い描いたという。
もちろん、それぞれの主人公を実際に取材した記録ではなく、本人が組み立てた設定だ。
ただ、自分の感情を一方的に吐き出す代わりに、別の生活を送る人へ近づいたり離れたりすることで、歌う言葉を探している。
「人間だし」は自分の日記から始まった曲だが、何を思う人が口にする言葉なのかを大切にする姿勢は、ここにも通じる。
「人間だし」が届くのは、誰もが使う言葉を、山内が自分の今の気持ちとして差し出しているからだ。
高い旋律にしたことも、立派な決意を飾るためではない。
ありふれた一日にも歌になるだけの重さがあると示す選択だった。
ギターを弾く人から歌を担う人へ、さらに自分の名で歌う人へと進んだ経緯は、山内総一郎の歌唱変遷でたどれる。
ここで聴くべきなのは、その長い経緯の説明ではなく、ひとつの生活の言葉をまっすぐ相手へ渡そうとする現在の歌だ。

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