フジファブリックのギタリストだった山内総一郎は、志村正彦の死後にバンドの歌を担い、2025年の活動休止後には自分の名で歩き始めた。
その出発点には、録音した自分の声を聴くのさえ苦手だった少年時代がある。
歌う役割を引き受けた人が、何を歌い、どんな声を残したいと思うようになったのか。
バンドでの録音、歌に集中した最初のソロ作、活動休止後の曲作りから、その変化をたどる。
自信のない声でも、三人の作品を貫く歌い手になった
山内は子どもの頃、転任する先生へのメッセージを録音し、聴き返した自分の声にショックを受けたという。
高校ではギターのコードを弾きながら好きな曲を口ずさんだが、歌手になるつもりではなかった。
フジファブリックに入ってからも、志村の歌のそばでギターを弾くのが自分の役割だった。
2009年に志村を失い、残った三人が再び制作を始めたとき、最初から山内がすべて歌うと決まっていたわけではない。
曲を作ったメンバーがそれぞれ歌う案もあった。
それでも2011年の『STAR』を作る過程で、山内は、一枚のアルバムには中心となる歌い手が必要だと感じた。
三人で食事をしていた席で自分が歌うと伝え、ほかの二人も受け入れた。
「ECHO」を含む『STAR』は、その声で三人の新しい曲を届けた最初のアルバムだ。
志村のいたバンドを続ける決断と、山内が歌う決断は、周囲の助けとも結びついていた。
2019年の取材では、支えてくれた先輩たちの優れたスタッフを見て、自分たちにも同じように信じられる仲間がいると気づいたことを振り返っている。
続けることへの不安の中で、その存在が未来を考える支えになった。
山内が自分の立場を「歌わせてもらっている」と表したのも、この取材だ。
前に立つ人になっても、歌う理由の中には、バンドを支えてきた人たちがいた。
その責任を引き受けたうえで、自分の言葉をどこまで歌にできるかという課題が生まれていく。
「LIFE」と「sing」で、歌う人の言葉と録音を近づけた
2014年の「LIFE」は、先に詞を書いてから曲を作った作品だ。
山内はそれまでにも、歌う人自身が書くべき言葉があると感じていたという。
ファミリーレストランで日頃の思いを書き、自宅で曲にし、メンバーを家に招いて形を整えた。
行き詰まれば食事をするような普段の生活に近い環境から、言葉と音を育てていった。
表題曲で考えたのは、「生きる」を重々しく掲げることだけではなかった。
生活の中にあるさまざまな場面を、自分が気持ちよく歌える一続きの歌にしたかったと語っている。
先に用意された旋律へ言葉を当てはめる工程から、歌いたいことが曲の出発点になる工程へ。
歌の内容を決める段階でも、山内が前に出てきたことが分かる。
同じアルバムの「sing」は、歌と楽器を三人で一緒に録り、そのままミックスまで進めた曲だった。
山内は、なぜ自分が歌うのかを書いた曲だと説明している。
歌だけを後から整える録音とも違い、ここでは仲間と演奏する時間の中に、自分の歌う理由を置いた。
『STAR』で引き受けた役割を、言葉と録音の両方で確かめる段階に進んだのである。
得意なギターを出発点にせず、歌へ集中した『歌者』
2022年の初ソロアルバム『歌者 -utamono-』も、山内にとってはフジファブリックにつながる挑戦だった。
バンドの未来のために自分ができることを考える中で、歌に集中した作品を作る提案を受けた。
ギタリストとしての見せ場を増やす以外にも、バンドへ持ち帰れる経験があると考えたのだ。
作曲では、ピアノと歌で作った曲を選び、気に入っていたギターでの曲も今回は外した。
長年弾いているギターでは、指が慣れた和音や音の動きへ向かいやすい。
熟練していないピアノなら、まず簡単な和音とメロディーを置き、必要な響きを後から足していける。
得意な楽器の勢いに頼らず、声で歌う旋律を中心に据えるための具体的な方法だった。
アルバム冒頭の「Introduction」も声だけで構成されている。
さらに編曲や演奏をほかの音楽家へ任せ、自分が歌へ集中できる環境を作った。
ただ、本人は完成時の取材で、集中できるようにしたからこそ歌の難しさを感じたとも話している。
すぐに歌が自在になったという成功談より、一人の歌い手として向き合う課題をはっきりさせた作品と考えたい。
先行曲「白」では、その個人名義からフジファブリックと志村への思いを歌った。
アルバムでは東京に暮らす人々の物語を考え、その一人として、バンドで生きる山内自身も登場する。
バンドを外から見つめる位置に立ったことで、仲間への感謝や、自分が生かされてきた気持ちを言葉にできた。
自分の名前で歌うことが、バンドとの関係を語り直す機会になったのである。

活動休止後は、仲間との演奏から自分の次の歌を探した
2025年2月、フジファブリックは活動を休止した。
山内は最後の公演まではその先を考えておらず、終演後も、どんな形で音楽を続けるかすぐには決められなかったという。
『歌者』を作った2022年とは、個人名義の活動に立つ理由が違っていた。
今度は、自分のこれからを音楽にしていく必要があった。
その途中で、ドラマーの伊藤大地に誘われ、スタジオで一緒に音を出した。
演奏から生まれた断片を育てるうちに、曲は作れると感じたが、気持ちの準備まで一度に整ったわけではない。
7月の初ライブも、当初考えていた新曲は四曲だったのが、制作を重ねて八曲になった。
聴き慣れた曲を求めて来る人もいるだろうという不安の中で、今の自分を示す曲を増やしていったのだ。
「旅にでる」/2025年7月9日、EX THEATER ROPPONGI(公式ライブ映像・短縮版)。
「旅にでる」は、アコースティックギターを弾きながら鼻歌で作り、サビが先に生まれた曲だという。
山内が込めたのは、過去の経験を全部連れて進みたいという気持ちだった。
バンドで歌ってきた時間も含めて、現在の自分の歌にする。
初ライブの演奏は短い映像として公開され、再生数やコメントなどの反応を配信曲の選定に使う企画へつながった。
「旅にでる」は、こうして聴き手と選んだ最初の配信曲の一つになった。
続く「人間だし」では、喫茶店で日記を書くように浮かんだ言葉を歌詞にした。
書くことで気持ちが少し軽くなる経験が、誰かを励ます歌の出発点になっている。
日常的な言葉を高いキーのメロディーで歌ってもよいと思えたことは、山内にとって新鮮だったという。
歌のために特別な自分を作る前に、普段考えていることを声にしてよいという自由が広がっていた。
7月のライブで新曲を受け止めてもらった経験は、次の公演へ進む自信にもなった。
同年の取材では、歌を以前より好きになり、思いをまっすぐ伝えることが自分らしいと説明している。
ここでの「まっすぐ」は、声を揺らさず歌うといった技法の指定ではない。
どんなメッセージを、目の前の人へ渡すかという姿勢を表している。
憧れの声との差も、自分の声の一部として受け止める
2026年の取材で山内は、憧れてきた荒く歪む声と、自分の録音を聴いたときの声には違いがあると話した。
強く歪ませたつもりでも、聴き返すとそうなっていない。
それでも最近は、自分の声の滑らかな感触をよいものとして受け入れられるようになったという。
幼い頃は、録音された声が嫌で歌うことに臆病になった。
『歌者』の頃には、録音の中に好きな声が出ることを喜べるようになり、今は憧れと異なる部分も引き受けている。
声質そのものは大きく変わらないというのが山内自身の考えだが、その声を使って何を表すか、どこを好きになるかは変化してきた。
2026年7月の『A』には「旅にでる」「人間だし」に加え、先行配信された「Beautiful Notes」などがまとまった。
これは活動休止後に始めたA-UNプロジェクトの最初のアルバムであり、『歌者』から続く個人名義の歩みの新たな区切りである。
バンドの歌を引き受けた責任も、自分の言葉で歌いたい気持ちも、今の活動の中へ持ち込まれている。
山内の変化は、歌手として前に立った一度の決断だけでは捉えきれない。
自分で詞を書き、録音の方法を選び、ギターから離れて旋律を作り、再出発のライブで反応を受け取る。
その積み重ねによって、歌う理由と自分の声への信頼が増えてきた。
日常の言葉を一曲の中でどう声に乗せるかは、山内総一郎の歌い方で「人間だし」を中心に見ていく。

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