サンボマスターの山口隆は、2008年のアルバムを語るとき、自分の中で「さよなら怒り」という変化があったと話した。それでも、後年のステージから叫ぶ声が消えたわけではない。2009年にはギターを弾かずにバラードの旋律を歌い、2011年には故郷・福島へ向けた歌を全国へ運び、声を出せない観客の前では、返事の受け取り方を変えている。
声質が何年にどう変わったかを、本人の証言なしに決めることはできない。だが、何を、誰に、どんな形で歌うかについては、本人と共演者が選択を語ってきた。出発点から現在までをたどると、大きな声を失わずに、歌で引き受けられる気持ちと相手を増やしてきた歩みが見えてくる。
決めた歌詞だけでは、その日の気持ちを歌えなかった
2003年にメジャーデビューしたサンボマスターを広く知らしめた一曲が、2005年の「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」だ。曲の途中でも目の前の相手へ声を向ける山口の姿は、突然生まれたものではない。
2004年の取材で山口は、もとの歌詞を持ちながら、その瞬間に思ったことも歌へ入れると話している。歌い終えた言葉をマネージャーに書き起こしてもらうほど、ステージ上で新しい言葉が出てきた。初期の彼にとってライブは、完成した文章を正確に再現する場だけではなかった。
もちろん、毎回すべての歌詞を書き換えていたという話ではない。曲の骨格を持ち、その日の気持ちがそこからはみ出したときには、言葉を足す。叫びと旋律の間に話し言葉が入る原点には、声量よりも、今いる相手へ嘘のない言葉を出したいという選択がある。
この時点の山口を、のちの穏やかな山口と対比して「怒っていた歌手」とだけ呼ぶのは早い。当時から、歌は誰かに向けていた。その核を持ったまま、次に変わったのは、怒りのほかにどんな気持ちを同じ強さで歌うかだった。
「怒りにさよなら」を歌っても、勢いは捨てなかった
2008年のアルバム『音楽の子供はみな歌う』をめぐる取材で、山口は新しいリズムと言葉の両方を求めたと振り返った。人を愛すると言う言葉と、世の中への怒りの言葉を、どちらか一方だけにしたくなかった。聞き手から、以前より怒りだけではない歌になったと指摘されると、山口自身も「さよなら怒り」という変化を認めている。
それは、激しい歌をやめる宣言ではない。山口は、聴く人が増えたことで思うままに感情を出すのが難しくなった時期を語り、もう一度、開いた気持ちで疾走感のある曲を作れるようになったと説明した。同じ勢いを、怒りだけでなく、好きだという言葉にも使えるようになった。彼が話した変化はそこにある。
この頃の「光のロック」を、初期の「美しき人間の日々」の焼き直しにしたくないとも話している。似た速さの曲をもう一度作るだけでは、最初の衝撃は戻らない。歌う気持ちも、受け取る人も以前と同じではないからだ。変わらない三人の熱さを守るために、歌う言葉を変える必要があった。
「ラブソング」では、ギターよりも旋律を選んだ
その次の選択は、2009年の「ラブソング」でさらに分かりやすくなった。山口は、もう会えなくなった人へ歌いたいと考え、曲を何度も録音し直した。最初に考えていた荒々しい曲の形から離れ、ピアノだけで歌う案も通っている。最後に出来上がった録音では、普段ギターを弾きながら歌う山口が、自分のギターを入れなかった。
本人が重視したのは、ギターを弾く自分を見せることより、曲を美しくし、その旋律を歌うことだった。ドラムの木内泰史も、三人組だからギターを入れなければならないという決まりより、曲に合う形を選べたと話している。山口の歌が弱くなったのではない。声を前に出すため、いつもの演奏上の役割を一つ手放したのである。
この一曲でバラード歌手へ転向したわけでもない。同じシングルには、勢いの強い「世界をかえさせておくれよ」が並ぶ。怒りか愛か、大声か静かな声かを二者択一にするのではなく、相手と曲に合わせて使える形を増やした。そう考えると、「ラブソング」はそれまでの歌の否定ではなく、表現の幅を広げた一作になる。
曲の中で山口が語りと旋律をどう行き来するかは、山口隆の歌い方の記事で一つのライブを軸に詳しく見ている。
震災後、壇上から叫ぶより「聴いてほしい」と思った
2011年、福島県出身の山口は、東日本大震災後に猪苗代湖ズとして「I love you & I need you ふくしま」を歌った。同年には、サンボマスターによるライブ版も福島県内の公演で録音され、正規音源として配信された。バンドとは別の企画で終わらせず、三人でもこの歌を届けたかったという。
同年の取材で山口は、震災を経て最も変わったのは意識だと述べている。かつてはロックの反抗的な言葉を手本にしていたが、自分の心から出てきたのは、誰かを好きだという言葉だった。震災のあと、それを恥ずかしがっている場合ではないと思うようになった。
山口がこのとき語ったのは、壇上から自分の正しさを宣言する姿ではない。福島の人にも、各地で聴く人にも、まず歌を聴いてもらいたいという気持ちだった。福島の公演では泣かずに演奏しようとしても涙が出たとも話す。そこには、力強い声の持ち主も、歌う相手の経験の前では言葉を選び直すという変化がある。
「ラブソング」で特定の別れを誰もが受け取れる言葉にしようとした人が、ここでは自分の故郷を名指しして歌った。ただし、震災がそれ以前の歌い方をすべて別物にしたとまでは言えない。自分が歌う理由を、はっきり引き受け直したという、本人の言葉で確認できる転機である。
歌とギターが当たり前ではなくなった、休止後のステージ
長くライブを重ねてきた三人にも、2020年には演奏を止めざるを得ない期間があった。記念ツアーは延期。山口は、再び集まった最初の練習で三人の音を出す喜びを感じた一方、二度目以降には、無意識にできていたことができなくなっていると気づいたと話した。近藤洋一が具体的に挙げたのは、大きな声で歌いながらギターを弾くことだった。
数回の練習で慣れが戻ったとも語っているので、声が恒久的に衰えたという話ではない。ライブで当たり前だった歌と演奏の同時進行が、実は三人で積み上げた習慣だったと見えたのである。2020年発表の「はじまっていく たかまっていく」は、本人たちによれば休止前に録り終えていた曲だ。活動再開後に録音した変化の証拠として扱うことはできないが、途切れる前の三人の仕事としてここに残る。
次に変わったのは、客席から返る声の条件だった。2021年のライブでは、観客が以前のように大合唱できないなか、山口はマスクを着けた人々に問いかけ、心の中での応答を促した。公演を取材した記者は、バラード「ラブソング」から始まり、後半では観客に声を出さずに参加してもらう流れを記録している。
歌の合間に話しかける初期からの方法は、ここでも消えていない。ただ、相手の声が聞こえないなら、返事は別の形で受け取る。山口のライブは、同じ大きな声を出し続けるだけで成立していたわけではなかった。

20年目にも、整えすぎるより思いきり歌う
2023年の「Future is Yours」では、2021年のフジロックでの三人を見た映画監督から、そのライブの勢いを映画の主題歌に求められた。山口は、依頼を対バンへの誘いにたとえ、三人で十数曲の候補から曲を選んだと話している。
完成間際、山口は音を整えようとしていたが、木内から、ほかの音が聞こえなくなると指摘された。木内と近藤に任せると、短時間でまとまったという。山口がここで語るのは、声を抑えて端正に歌うことではない。三人が思いきり演奏できるよう、まとめ過ぎようとする自分を止める選択だった。
同じ年、三人は「できっこないを やらなくちゃ」をTHE FIRST TAKEでも披露した。曲の発表は2010年で、この映像の歌唱は2023年。二つの年を混ぜずに見ると、以前の曲をいまの三人が歌い直す場面として受け取れる。ただし、この映像だけから声の高さや喉の状態の変化を測ることはできない。
2004年にはその場の気持ちを歌詞へ足し、2008年には怒り以外の言葉も同じ熱量で歌おうとし、2009年にはギターを置いて旋律を選んだ。故郷へ歌う理由と、声を返せない客席への呼びかけも、その後に加わった。それでも、初期の衝動を捨てて、別の声の持ち主になったわけではない。
山口隆の変遷は、叫ぶ声が静かな声へ置き換わった話ではない。大きな声で向き合う相手と、そのために選べる歌の形が増えていったことにある。20年目にも思いきり歌う。その「思いきり」が届く先を、彼は曲ごと、時代ごとに確かめている。







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