トータス松本の歌声はどう変わった?初期・ブレイク・休止・再始動後を追う

トータス松本の初期から再始動後までの歌唱変遷をたどる記事のアイキャッチ シンガー

トータス松本さんの歌声は、デビュー当時から現在まで、ただ太さを保ってきたわけではありません。
変わったのは最高音の高さより、声に込める力の使い方です。

初期には、一回の録音へすべてを出し切ろうとして、歌うほど声が細くなることさえありました。
大ヒット後は「人を元気にするバンド」という期待が重くなり、活動休止とソロ活動を経て、ようやくウルフルズの歌を少し離れた場所から見直せるようになります。

現在の歌に残るのは、若い頃と同じ熱量です。
ただし、その熱量は自分の存在を証明するための力ではなく、声、リズム、言葉を観客へ確実に渡すための力へ変わりました。

この記事では、初期の過剰な力み、1990年代のブレイク、2000年代のソウル回帰、2009年の休止、2014年の再始動、30周年の再録をたどりながら、トータス松本さんの歌唱変遷を整理します。

1992年のデビュー時は、歌うことが「一発勝負」だった

ウルフルズは1988年に結成され、1992年に「やぶれかぶれ」でデビューしました。
トータス松本さんにとって、当時のデビューは長い活動の出発点というより、まず目の前の目標へ到達した瞬間でした。

若い頃の録音には、現在とは違う種類の緊張がありました。
後年、デビュー曲を録り直した際、最初の録音では一回ごとに全力を使いすぎ、何度も歌ううちに声が細くなっていったと振り返っています。

これは単に、昔の方が声が弱かったという話ではありません。
一回で何かを証明しなければならないという気持ちが、声の使い方そのものに入り込んでいたのです。
力を込めるほど良い歌になると思えば、録り直すたびに負担は増えていきます。

30年近く後の再録では、同じキーの曲を以前より楽に歌えたといいます。
年齢を重ねても同じ高さを出せたこと以上に、歌を成立させるために毎回すべてを出し切る必要がなくなったことが、大きな変化でした。

1994年から1996年、ばらばらだった勢いがウルフルズの形になった

デビュー後すぐに現在のスタイルが完成したわけではありません。
本人の回想では、1994年から1995年頃に、それまで散らばっていたバンドの力が一つの方向へ集まり始めました。

「ガッツだぜ!!」が1995年、「バンザイ~好きでよかった~」が1996年に発表され、ウルフルズは広く知られる存在になります。
言葉を短く、強く、誰もが口にできる形へすることと、トータス松本さんの前へ出る声が、初めて大きな輪郭を持った時期です。

ここで生まれた明るさは、後の活動を支える強みになりました。
同時に、何を歌っても「ガッツだぜ!!のバンド」と見られる窮屈さも生みます。
成功によって見つけた声が、そのまま期待され続ける役割になったのです。

「バンザイ」の公式映像は1990年代の作品ですが、現在も残る歌の核を確かめられます。
率直な言葉と太い声が、見せつけるためではなく、聴き手へ呼びかける形で結びついています。

1990年代のステージで歌うトータス松本

2003年、「ええねん」とソウル作品が歌手の輪郭を広げた

2000年代前半には、ウルフルズの元気なイメージを繰り返すだけではない動きが見えます。
2003年には「ええねん」が発表され、同じ年にトータス松本さんはソウルのカバー作品『TRAVELLER』を届けました。

「ええねん」は肯定の言葉を繰り返す曲ですが、1990年代の陽気な応援歌とまったく同じではありません。
何かを成功させろと背中を押すより、うまくできない状態まで抱え込む言葉です。
強い声が、鼓舞するためだけでなく、弱さを受け止めるためにも使われるようになりました。

ソウルのカバーに取り組んだことも重要です。
もともと好きだったサム・クックやマーヴィン・ゲイらの歌を正面から扱うことで、バンドの看板を離れても成立する歌手としての軸が表に出ました。

この時期から、太い声を出すことと、感情を大きく見せることは同じではなくなっていきます。
声量を保ちながら、言葉の温度を曲に合わせて変える余地が増えました。

2009年の活動休止で、初めてウルフルズの外から自分の声を見た

ウルフルズは2009年に活動を休止しました。
本人は後に、長く続けたことで疲れ、バンドにもメンテナンスが必要だった時期だと説明しています。

休止後はソロ作品を発表し、バンド編成とは違う形にも挑みました。
なかでも、コーラス隊と自分の声を中心にしたアカペラ公演は、音の厚いロックバンドから離れ、歌そのものを前へ出す試みでした。

バンドが鳴らす勢いに乗れば、声は自然に大きな塊の一部になります。
伴奏が薄くなれば、音の入り口、息の長さ、言葉の置き方まで隠せません。
休止期は、声量を増やす期間というより、自分の歌だけで何を渡せるかを見直す時間になりました。

一方で、ソロのために新しいバンドを作ることには、簡単に踏み切れなかったと語っています。
本人にとって「バンド」という言葉の中心には、依然としてウルフルズがありました。
外へ出たことで自由になっただけでなく、離れて初めて元の場所の大きさが分かったのです。

2014年の再始動後、元気を背負う歌から元気を手渡す歌へ

4年半の休止を経て、ウルフルズは2014年に再始動しました。
休んでいる間に、各メンバーが「ウルフルズとは何か」を考え直したことが、再開につながったと説明されています。

この前後で、観客の期待に対するトータス松本さんの姿勢も変わります。
以前は「元気をください」と言われることを重荷に感じ、すべてを自分が背負わなければならないと思っていました。

やがて、元気を求める人には、いくらでも持って帰ってもらえばいいと考えられるようになります。
その時に本人が意識したのは、もっと激しく叫ぶことではありませんでした。
声の出し方、リズム、歌詞の一語ずつを、丁寧に伝えることです。

若い頃は、全力を使うことが本気の証明でした。
再始動後は、観客へ届くところまで整えることが本気になりました。
同じ力強さでも、その向かう先が自分から相手へ移ったのです。

再始動後のステージに立つトータス松本
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2021年からの30曲再録は、若い声の再現ではなかった

デビュー30周年を前に、ウルフルズは過去の30曲をセルフカバーしました。
昔の音源をそっくり作り直す企画ではなく、今の三人が演奏し、今の声で歌うことで、バンドの中心に何が残っているかを確かめる作業でした。

デビュー曲の再録では、若い頃と同じキーを、当時より楽に歌えたという発見がありました。
声の若さを保存したという意味ではありません。
何度も全力を使って声を細くしていた初期に対し、現在は必要な場所へ力を配分できるようになったということです。

30曲を歌い直した結果、意外な曲が長く残り、当時は中心だと思っていたものがそうではなかったことも見えてきました。
ヒットした時の自己像だけでバンドを定義せず、時間を通過してなお聴かれる歌を現在の基準で受け取り直したのです。

この再録は、過去を若返らせる試みではありません。
若い頃の勢いを否定せず、今なら同じ歌をどう届けるかという問いへの回答でした。

現在の声には、頑張っている姿より歌そのものが残る

近年もウルフルズは作品発表とライブ活動を続けています。
現在のトータス松本さんに、1992年と同じ音色だけを求める必要はありません。

歌声は年齢だけでなく、曲、キー、アレンジ、会場、本人の表現意図によって変わります。
昔と現在を単純に並べて、高音が出たかどうかだけで衰えや進化を決めることはできません。

それでも、本人の振り返りからは明確な変化が読み取れます。
初期の録音では、頑張ることが声に先行していました。
現在は、何を伝えるかが先にあり、そのために声とリズムを選びます。

トータス松本さんの現在の発声を、声量、高音、言葉の関係から詳しく知りたい方は、トータス松本さんの歌い方・発声分析もあわせてご覧ください。
奥田民生さんの歌唱変遷では、同じ1990年代に広く知られた歌手が、力を抜く方向へどう進んだかを別の角度から追っています。

トータス松本の歌唱変遷は、熱量を減らさず力みを手放した歴史

トータス松本さんの歌声は、若い頃の勢いを捨てて穏やかになったのではありません。
変わったのは、熱量の量ではなく使い道です。

デビュー時には、一回の歌唱へ力を注ぎすぎ、録り直すほど声が細くなることがありました。
ブレイク後には、明るいバンド像と観客の期待が重くなります。

ソウル作品、活動休止、ソロ活動、再始動を経て、歌は自分を証明するものから、相手へ手渡すものへ移りました。
30周年の再録で同じキーを以前より楽に歌えたことは、その変化を象徴しています。

現在も残るのは、率直な言葉と、前へ進むリズムと、人を巻き込む声です。
そこから過剰な力みだけが少しずつ外れたことで、トータス松本さんの歌は、若い頃とは違う形でいっそう真っすぐ届くようになったのです。

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