佐藤竹善さんの歌声は、よく「透明」「滑らか」「きれい」と表現されます。
けれど、その魅力を生まれつきの美声だけで説明すると、歌手として最も面白いところを見落とします。
本人が長い活動の中で磨いてきたのは、一つの声をどの曲にも当てはめる技術ではありません。
共演者、編成、言葉、曲の温度に合わせて、声の役割そのものを変える判断力です。
結論からいえば、佐藤竹善さんの歌が滑らかに聞こえるのは、声を均一に整えているからではありません。
力強く押す場面と軽く置く場面を行き来しても、音楽全体の流れが切れないからです。
この記事では、高音や英語発音を単独の技巧として並べず、なぜ声を変えても「佐藤竹善の歌」として成立するのかを追います。
滑らかさの正体は、同じ声を保つことではない
SING LIKE TALKINGの歌を知る人ほど、佐藤竹善さんには完成された一つの声があると考えやすいかもしれません。
澄んだ音色、正確な音程、英語のように流れるフレーズ。
どの曲でも、その美点が崩れないように見えるからです。
ところが、本人の説明は少し違います。
ピアノと声だけのSALT&SUGARでは、曲のアレンジによってソウルフルに歌う時もあれば、童謡のように音符へ素直に声を置く時もあると語っています。
現在は、その曲にとって何がいちばん美しいかを瞬時に感じ取り、歌い方を選べるようになったそうです。
ここでいう滑らかさは、表面をつるりと磨くことではありません。
強い声から弱い声へ移っても、歌手の都合で音楽を止めないことです。
変化が目立たないほど自然だから、聴き手には一続きの美しい線として届きます。
歌声を主役ではなく、アンサンブルの一員として置く
佐藤竹善さんはボーカリストであると同時に、作曲し、鍵盤を弾き、バンド全体を考える音楽家です。
歌を一番前へ出すより、楽器同士の会話の中へ声を置くという発想が育ちやすい立場でした。
デビュー後には、小田和正さんや山下達郎さんのバックコーラスにも参加しています。
主旋律を自分らしく歌い切る仕事とは違い、コーラスでは誰かの声を支えながら、和音の一部にならなければなりません。
音が正しいだけでは足りず、前へ出る量、言葉の形、息の長さまで周囲と合わせる必要があります。
この経験を知ると、ソロでもバンドでも声が突出しすぎない理由が見えてきます。
「うまい歌を聴かせる」のではなく、曲の中で声が何を担当するかを先に決める。
その順番が、派手に押さなくても歌が埋もれない土台になっています。

きれいな声なのに、薄くならない理由
透明感のある声には、ときどき「細い」「軽い」という印象が付きまといます。
ところが、佐藤竹善さんの声については、清潔感がありながら深さもある、軽く歌っても音程が明瞭だという同業者の評価があります。
発声を扱う複数の個人分析でも、説明の言葉は一致していません。
鼻先へ響きを集める歌い方と見るものがある一方、声の下側に重さを残していると説明するものもあります。
どちらか一方だけではなく、明るく抜ける成分と、声を薄くしない成分が同時に感じられるため、異なる言葉が選ばれているのでしょう。
初心者向けに言い換えるなら、軽い声は必ずしも弱い声ではありません。
小さな音でも言葉の中心が残り、音程の輪郭がぼやけなければ、声量を上げなくても存在感は保てます。
佐藤竹善さんの「きれいさ」は、息だけに逃げない明瞭さを含んでいるのです。
小田和正さんの歌い方にも、透明感と芯を両立させる別の方法があります。
二人を比べると、同じ「きれいな高音」という一言では足りないことが分かります。
高音を地声かミックスボイスかだけで決めにくい
「佐藤竹善の高音は地声なのか、ミックスボイスなのか」は検索されやすい疑問です。
しかし、すべての高音を一つの声区名で決めるのは適切ではありません。
曲によって音の高さも、音量も、母音も違います。
バンドの厚い演奏に乗る場面と、ピアノだけで歌う場面では、同じ高さでも必要な声の重さが変わります。
本人自身が曲に合わせて歌い方を変えると話している以上、一つのラベルで固定すると、むしろ本質から遠ざかります。
共通しているのは、高音だけが別の部品に聞こえにくいことです。
低い音から始まった言葉とリズムを保ったまま、必要な分だけ声を軽くし、曲によっては強さも足す。
その接続が自然なため、聴き手は声区の切り替えより、メロディーの流れを先に受け取れます。
地声と裏声の境目をつなぐ考え方を読むと、声区名より接続の滑らかさを見る意味が整理できます。
英語発音のうまさは、ネイティブらしさ競争ではない
英語の歌詞が自然に聞こえることも、佐藤竹善さんの大きな特徴です。
ここにも、発音記号を正しく読むだけではない、アンサンブルと同じ発想があります。
英語詞の制作では、音楽として気持ちよく響くこと、言葉の意味が届くこと、英語として不自然な違和感がないことを同時に重視してきました。
録音した歌を英語詞の協力者へ送り、指摘を受けて録り直す工程を、以前は十往復ほど、後年でも五往復ほど重ねたといいます。
この話が面白いのは、発音の良さを才能で終わらせていない点です。
子音を一つ直すだけでも、その直前の母音や音符の長さが変わり、メロディー全体の流れに影響します。
だから、単語だけを切り出して正解にするのではなく、歌った状態で何度も確かめています。
英語らしさは、舌を大げさに動かしたり、巻き舌を足したりすることではありません。
言葉の拍とメロディーの拍がぶつからず、意味を保ったまま前へ流れることです。
佐藤竹善さんの発音は、知識を見せるためではなく、声をもう一つの楽器として機能させるために磨かれています。

ビートルズからソウル、ジャズへ広がった耳が声を変えた
少年時代には演歌が身近にあり、やがてビートルズの音楽に強く引かれました。
その後、R&B、ソウル、ジャズへ関心が広がり、歌い手だけでなく、演奏やアレンジまで含めて音楽を考えるようになります。
こうした経路を持つため、佐藤竹善さんの歌には、日本語を英語風に崩すだけでは説明できないリズムがあります。
言葉を拍の上へ置きながら、楽器が作る隙間に声を差し込む。
旋律を歌う人でありながら、同時に演奏を聴いている人の歌です。
山下達郎さんの歌い方でも、声を重ね、アレンジ全体から歌を設計する視点が重要です。
佐藤竹善さんの場合は、そこへライブで共演者と音を交換する遊びが強く加わります。
真似るなら声色ではなく、曲ごとに役割を変える考え方
佐藤竹善さんに近づこうとして、最初に透明な声や英語らしい発音を作るのはおすすめできません。
息を増やしすぎれば声の中心が消え、発音を誇張すれば日本語まで不自然になります。
参考にしやすいのは、一曲の中で自分が何を担当しているかを考える姿勢です。
伴奏が密な場所では言葉の輪郭を残し、楽器が少ない場所では声量ではなく表情を広げる。
高音を見せ場として押し出す前に、前後の音から自然につながっているかを見る方が、佐藤竹善さんの歌の考え方に近づきます。
「La La La」のバンドサウンド、「Amanogawa」のカバー、SALT&SUGARのピアノとの歌を比べる時も、どれが本当の声かを決める必要はありません。
同じ人が、曲の中でどこまで役割を変えられるかを見ると、歌の面白さが増します。
声の変化を年代順に知りたい場合は、佐藤竹善さんの歌唱変遷で、デビュー初期からソロ、SALT&SUGAR、現在までを追っています。
佐藤竹善の滑らかさは、音楽を止めない判断力
佐藤竹善さんの歌い方は、透明な声、高音、英語発音という個別の長所だけでは説明し切れません。
中心にあるのは、歌を自分の見せ場に固定せず、曲と共演者の中で最適な役割へ変える判断力です。
ソウルフルに押す時も、音符へ素直に声を置く時も、音楽の流れは切れません。
きれいな声なのに薄くならず、英語が自然でも意味が遠のかないのは、すべてを同じ美声へそろえていないからです。
「声が変わるのに、歌は一つにつながって聞こえる」。
その一見矛盾した感覚こそ、佐藤竹善さんの滑らかな歌を支える技術であり、長い共演経験から育った音楽家としての個性です。






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