トータス松本の歌い方はなぜ真っすぐ届く?声量・高音・ソウルを分析

トータス松本の真っすぐ届く歌い方と発声を解説する記事のアイキャッチ シンガー

トータス松本さんの歌を聴くと、声量のある人が勢いよく歌っているように感じるかもしれません。
けれど、あの歌が真っすぐ届く理由を「声が大きいから」だけで片づけると、いちばん面白い部分を見落とします。

本人が長い活動の末にたどり着いたのは、声の出し方だけでなく、リズムも歌詞も一言ずつ丁寧に伝えるという考え方でした。
豪快に見える歌の内側には、聴き手へ何をどう渡すかという細かな意識があります。

結論からいえば、トータス松本さんの歌の強さは、太い声、ソウル音楽の感覚、日本語の直接性を「伝える」という一点へ集めていることです。
この記事では、なぜ叫んでいるようで言葉が埋もれず、高音まで人間味を失わないのかを、本人の発言と複数の発声分析をもとに分かりやすく整理します。

トータス松本の歌は「元気な声」だけでは説明できない

ウルフルズには「ガッツだぜ!!」「バンザイ~好きでよかった~」「ええねん」のように、短い言葉を正面から投げかける曲があります。
題名だけを見れば、明るさや勢いが先に立つ曲です。

ところが、その言葉が軽い掛け声で終わらないのは、歌い手が格好よく見せることより、言葉を相手へ渡すことを優先しているからです。
本人はライブで考えていることを、まず一生懸命きちんと歌うことだと語っています。

この姿勢は、派手な技巧を見せる歌とは反対に見えます。
しかし、簡単な言葉ほど、ごまかしが利きません。
声を飾りすぎれば気持ちが遠のき、勢いだけなら言葉がつぶれます。

だからこそ、トータス松本さんの歌では、声の太さと日本語の輪郭が同時に残ります。
「元気」という印象は声質に初めから入っているのではなく、言葉とリズムを最後まで相手へ届ける行為から生まれているのです。

「元気を与える人」であることは、かつて重荷だった

意外なのは、本人がいつも迷いなく明るい役割を楽しんでいたわけではないことです。
ファンから元気を求められることを、生真面目に受け止めすぎて苦しくなった時期がありました。

ステージに立てば、観客は何か月も前からその日を待っています。
若い頃は、その期待を全部背負わなければならないように感じていたといいます。
明るい歌を歌う人が、明るさの要求に疲れていたというねじれです。

後年、その受け止め方が変わりました。
元気を求められたら、いくらでも持って帰ってもらえばいい。
そう思えるようになってから、声、リズム、歌詞の一つひとつを、いっそう丁寧に伝えることが自分の役割になりました。

ここに、トータス松本さんの歌を理解する鍵があります。
力強さは、気合いを増やした結果ではありません。
観客の期待と戦うのをやめ、歌を手渡す仕事として引き受けたことで、豪快さと丁寧さが同じ方向を向いたのです。

ステージで歌うトータス松本

荒っぽく聞こえても、歌の骨組みは崩れていない

発声を扱う複数の記事では、トータス松本さんの声について、前へ強く出る地声感、太い芯、明瞭な滑舌が共通して挙げられています。
一方で、その声をミックスボイスと説明する分析もあれば、胸声寄りの強い発声と見る分析もあります。

用語が割れるのは不思議ではありません。
実際の歌では、同じ一曲の中でも高さ、母音、音量、感情によって声の使い方が変わるからです。
外から聴いただけで、すべての高音を一つの声区へ決めつけることはできません。

大切なのは名称より、荒さの中に何が残っているかです。
第三者の評価で繰り返し指摘されるのは、勢いが増しても音程と言葉が見失われにくいことでした。
声をひび割れさせるような表情があっても、曲の拍と語句の位置は曖昧になりません。

単に喉へ力を入れれば、音は大きくなっても母音が平たくなり、子音は遅れ、語尾まで持ちません。
トータス松本さんの力強さは、そうした無秩序な大声とは違います。
粗さを表情として使いながら、歌の骨組みを保っているため、熱量がそのまま意味として届きます。

高音の張り上げを直す考え方を知ると、太い声と、喉だけで押し上げた声の違いも整理しやすくなります。

ソウルは声色ではなく「歌う理由」になった

トータス松本さんは、サム・クックやマーヴィン・ゲイをはじめとするソウル音楽を大切なルーツとして挙げています。
ただし、黒人歌手の声色を表面だけ真似したことが、現在の歌につながったわけではありません。

若い時期にニューヨークを訪れ、アポロ・シアター周辺で出会った歌い手たちから、音楽は生活そのものだという言葉を聞きました。
その体験から、自分は音楽を好きだと言いながら、どこか逃げ道を残していたのではないかと考えたそうです。

この出来事を踏まえると、ウルフルズの歌にあるソウルは、うなり声やフェイクの型だけではありません。
恥ずかしさを残さず、目の前の一人へ言葉を差し出す態度に近いものです。

「バンザイ」のような率直な言葉を、照れ隠しで崩さずに歌い切る。
「ええねん」では、同じ言葉を繰り返しながら、曲全体の推進力へ変えていく。
「サムライソウル」では、強さだけでなく不器用さや切実さまで声に残す。

曲ごとに表情は違っても、言葉を引っ込めない姿勢は共通しています。
それが、ソウルを借り物の様式ではなく、日本語のロックとして成立させている部分でしょう。

トータス松本のポートレート
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高音の魅力は「太さ」より、低音から気持ちが切れないこと

トータス松本さんの高音を語る時には、地声かミックスボイスかという二択がよく出てきます。
けれど、聴き手が強く感じるのは、声区の名称より、低い音で始まった言葉が高音でも別人の声にならないことです。

高くなるほど声量を増やすだけなら、サビで突然「歌っている人」から「叫んでいる人」へ変わってしまいます。
反対に、裏声へ逃がすことだけを優先すれば、言葉の勢いが途切れる場合があります。

トータス松本さんの代表曲では、音の高さが変わっても、言葉を前へ運ぶリズムが続きます。
高音だけを見せ場として切り離さないため、サビが大きくなっても会話の延長として受け取れるのです。

これは、声量のある歌手に共通するわけではありません。
宮本浩次さんの叫ぶような歌唱は、切迫感や身体の揺れを含めて言葉を突き出す魅力があります。
一方、トータス松本さんは、観客が一緒に歌える間口を残しながら、太い声を前へ運びます。

同じソウルや日本語の崩し方でも、桑田佳祐さんの歌い方は母音を変形させ、言葉を楽器のように扱う方向が目立ちます。
トータス松本さんは、言葉そのものを大きく変えず、意味を真正面から届かせる方向へ進みます。

真似するなら、しゃがれ声ではなく「相手に渡す順番」

表面だけを真似しやすいのは、太い声、叫び、しゃがれた音です。
しかし、この三つを先に作ろうとすると、喉を強く締めたり、必要以上に大声を出したりしやすくなります。

参考にしたいのは、歌詞の一語、リズム、声量の順番です。
何を言っているかが伝わり、その言葉が拍の上で前へ進み、必要な場所で初めて声量が広がる。
トータス松本さんの歌は、この順番を崩さないから力強く聞こえます。

カラオケで代表曲を歌う時も、最初から本人の荒さを再現する必要はありません。
まず普通の音量で言葉とリズムを失わずに歌えるかを確かめ、サビでも母音を押しつぶさないことの方が重要です。
痛みや強いかすれが出る声は、表現ではなく負担のサインなので止めてください。

歌声の技術を年代ごとに見たい場合は、トータス松本さんの歌唱変遷で、デビュー時の力み、ブレイク後の葛藤、休止と再始動、30周年の再録までを追っています。

トータス松本の歌い方は、豪快さを丁寧に届ける技術

トータス松本さんの歌が真っすぐ届くのは、単に声が太く、大きいからではありません。
ソウル音楽から受け取った覚悟と、日本語を引っ込めない歌い方が、観客へ届けるという役割の中で結びついています。

かつては、人を元気にしなければならないという期待が重荷でした。
その期待を引き受け、持って帰れるものは全部持って帰ってもらおうと考えた時、豪快な声は一方的な圧力ではなく、贈り物になりました。

荒っぽさだけを真似すると、あの歌から遠ざかります。
一語を明確にし、リズムを前へ運び、必要な瞬間だけ声を開く。
その丁寧な積み重ねこそが、トータス松本さんの歌にある本当の力強さです。

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