2024年、大原櫻子は、デビュー映画『カノジョは嘘を愛しすぎてる』の曲「サヨナラの準備は、もうできていた」を初めて自分の声で録音しました。映画公開時は17歳。劇中で三浦翔平が歌ったその曲を、当時の大原は自分には大人すぎると感じていたそうです。十年以上が過ぎ、歌う側になってみると、伴奏の少ない部分では声の細かなニュアンスに曲を任せなければならず、やはり難しかったと振り返ります。
年齢を重ねれば自然に歌えるようになる、という単純な話ではありません。2013年の映画で歌手としても歩み始めた大原は、舞台で他人の声を演じ、力を込めない応援歌を試し、一音の録り直しにもこだわるようになりました。その積み重ねを知ると、十年後に映画の曲へ戻った意味が見えてきます。
2013〜2015年――役の歌声から、自分の名前で歌う声へ
映画では、大原が演じる小枝理子はバンドMUSH&Co.の歌い手でした。「明日も」はその役の歌であり、大原櫻子の歌を多くの人が初めて聴く入口にもなりました。映画の登場人物と新人歌手が重なっていたのです。
大原は後に、当初は役名で呼ばれることが多かったと話しています。2014年のソロデビュー曲「サンキュー。」を経て、少しずつ大原櫻子本人として見てもらえる手応えを得ました。映画を離れても聴き手に届く歌を育てていく時期でした。
「明日も」の明るい印象から、初期の大原は元気な曲だけを歌っていたように思うかもしれません。しかし映画には「ちっぽけな愛のうた」もあります。後年になって優しい曲を初めて覚えたわけではない。最初からあった繊細な声を、次の十年でどう使えるようになったかが、変化の焦点です。
2017年――舞台で「自分ではない歌手」の声を探す

歌い手としての選択肢を増やした仕事の一つが、2017年の主演舞台『Little Voice(リトル・ヴォイス)』でした。大原が演じた少女は、シャーリー・バッシーをはじめとする往年の歌手たちの声をまねて歌います。曲を自分流にカバーするのでは役を表せません。人によって違う声の響きや歌い回しに向き合う必要がありました。
本人は舞台に向け、前年の12月から発声の練習を続けたと話しています。子どものころからものまねは好きだったものの、観客に「似ている」と届くところまで歌ったのはこの舞台が初めてだったそうです。普段の自分が気持ちよく歌える声をいったん離れ、別の歌手として成立する声を探す。この経験が、持っている声の幅を確かめる機会になりました。
同年11月のライブでは、音楽記者が二つのカバー曲で異なる表情を記録しています。ONE OK ROCKの「Wherever you are」は終盤へ熱を高め、中島みゆきの「糸」では柔らかな歌を届けたというものです。舞台で学んだ技法がそのまま各曲に使われたと断定はできません。ただ、別の人物の声を演じた年に、自身のステージでも一曲ごとに表現を変えていたことは、同時期の取材と公演記録の両方からたどれます。
このころ秦基博から提供された「マイ フェイバリット ジュエル」での、言葉を強調するか、滑らかにつなぐかという一曲内の工夫は、大原櫻子の歌い方で詳しく扱っています。
2019年――映画の曲を、もう一度録る
2019年のベスト盤では、映画期の「明日も」「ちっぽけな愛のうた」「卒業」を新たに録ったリプライズ版が作られました。大原にとって、最初に人々へ届いた歌を、数年後の自分で歌い直す機会です。
「ちっぽけな愛のうた」の新しい映像は、アコースティックな演奏の場で撮られました。冒頭は伴奏を置かない歌い出しです。映像の印象だけで、2013年より声が強い、技術的に優れているとは決められません。そもそも映画の録音と2019年のライブ映像では条件が違います。それでも、同じ曲を映画の登場人物の歌としてだけ残さず、大原櫻子自身のレパートリーとしてもう一度届けたことに意味があります。
後に本人は、初期の「ちっぽけな愛のうた」のビブラートを少し頼りなく感じながらも、その繊細さが少女の歌に合っていたと語りました。後から安定した声で歌えるようになったことと、最初の録音にしかない表情を大切に思うことは両立します。歌い直しを比べるときにも、昔の声を失敗作として扱わない視点が必要でしょう。
2022年――強さを、声を張ることだけで表さない
アルバム『FANFARE』の表題曲「Fanfare」で、大原は人を前へ動かすような歌を求められました。本人は、力強く歌うイメージの曲だったのに、実際には柔らかい声とコーラスを重ねたことで、皆が一緒に進むような仕上がりになったと話しています。ひとりの声を押し出して先頭に立つだけが、応援の形ではなくなっていたのです。
同じ時期の取材で、大原はデビュー当時の自分の声を高く感じる一方、現在は以前より低い音も使えると振り返りました。また、地声を強く出すことはできても、裏声の響かせ方には課題があり、発声を探ってきたとも話しています。高音が伸びる歌手というイメージの陰にも、思いどおりに扱えない声がありました。
だから「Fanfare」の柔らかさは、単に優しく歌った、という以上の選択です。強い歌に何を足し、何を抑えれば、人を置いていかずに励ませるのか。使える声が増えたことで、強さの表し方も増えました。
2023年――一音の終わりに、主人公の孤独を置く
2023年のアルバム『スポットライト』では、声の表情を選ぶ単位がさらに細かくなります。「寂しいの色」の録音で大原が気になったのは、二番の一語を歌い終える「し」の音でした。そこに主人公の孤独を感じたため、別の日にその部分だけ録り直したといいます。
別の取材では、この曲で音を滑らせて入る癖を控え、語りかけるようにまっすぐ歌い、伸ばした声の終わり方も意識したと説明しています。音を長く保つほど感情が伝わるとは限りません。言葉を切ることで、言い残したような気持ちを表せる場合もある。大原が向き合っていたのは、単なる発声の正解ではなく、その主人公がどこで孤独を見せるかでした。
本人は、デビュー時には一曲を一色で歌うようだったのが、今は同じ曲の中でもいくつもの色を選べる、と振り返っています。2017年の舞台で歌手ごとの声を試した経験から、2023年には一音を録り直して人物の気持ちを作るところまで、選択の細かさが変わりました。
2024年――17歳には遠かった曲を、自分の声で歌う
ここで、冒頭の「サヨナラの準備は、もうできていた」に戻ります。この曲は映画で三浦翔平が歌ったもので、大原にとっては昔から知っているのに、当時の自分では歌わなかった曲でした。十周年のベスト盤で、デビューの制作にも携わった亀田誠治との縁から、カバーを録ることになります。
大原は、歌詞とメロディーが当時と同じだからこそ映画の時間へ引き戻される一方、編曲を変えれば今の歌にもなると話しました。しかし新しい伴奏には音数の少ない箇所があり、声のどんなニュアンスを残すかが難しかった。十年以上の経験は答えを一つにしてくれたのではなく、選べる声が増えたぶん、その場面に合うものを考える力になっていました。
同じベスト盤には、亀田が新たに書いた「Anniversary」も収められています。本人によれば、原点の「明日も」と言葉のつながりを感じる曲です。映画の時代へ戻りながら、映画にはなかった現在の歌も残す。十周年の二つの新録は、出発点をただ再現するのではない、大原の立ち位置をよく表しています。
2025〜2026年――誰と進むか、誰として歌うかを選ぶ
2025年のアルバム『Traveling』に収められた「風の冒険者」で、大原が思い描いたのは、みんなと一緒に進む姿でした。本人は2022年の「Fanfare」を、先頭に立って引っ張るイメージの曲として対比しています。同じ前向きな歌でも、三年後には歌の中にいる仲間との距離が変わっていました。
「風の冒険者」の最後は伴奏が消え、歌声だけになります。大原はそこを一度シンプルに録り、さらに抑揚をつけたテイクも試しました。採用されたのは後者。自分がもう一つの歌い方を提案し、スタッフと選んだ末に残った声です。歌の終わりの数秒に、その曲で誰と歩きたいのかが込められました。
翌2026年の「まるでサイダー!」は、若い日の大原を思い出すような明るい曲です。ただし、歌っている人物は現在の大原そのものではありません。本人は、学生時代を思い返す二十代の男性を想像したと話しています。高いサビでは、鋭い声だけだと人物像に合わないと考え、キーを下げる案も試したうえで、元の高さを選びました。その高さのまま、声に厚みを持たせる方向を探っています。

「明日も」のころと同じように明るい歌だから、同じ声に戻ったとは言えません。「風の冒険者」では仲間との距離を、「まるでサイダー!」では歌の主人公の年齢や性別を考えている。曲の勢いを保ちながら、誰の気持ちをどんな声で届けるかまで選んでいます。
昔の声を残したまま、別の歌い方を増やしてきた
大原櫻子は、役として歌った映画の曲を、自分の歌手人生の中で何度も受け取り直してきました。2019年には映画期の曲を歌い直し、2024年には当時は大人すぎると思った曲にも挑みました。その間には、別の歌手になる舞台、強さを柔らかく伝える「Fanfare」、孤独を一音に込める「寂しいの色」があります。
初期の声が幼かったから今の声に置き換える、という歩みではありません。本人が昔の「ちっぽけな愛のうた」に合う繊細さを認めているように、あのときの声には、あのときだけの役割がありました。現在の大原はそこへ戻ることも、別の人物になって歌うこともできます。歌い方の変遷は、ひとつの声を捨てる話ではなく、曲に向き合うたびに選べる声を増やしてきた話です。
現在の一曲の中で言葉をどう立て、どう滑らかにつなぐかは、大原櫻子の歌い方で詳しく紹介しています。







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