泉谷しげるの歌い方|荒々しい声で、聴き手の「春夏秋冬」を守る

2025年の泉谷しげる シンガー
2025年の泉谷しげる。写真:FOR LIFE MUSIC / PR TIMES

泉谷しげるのライブには、客をあおり、叫び、会場を巻き込んでいく激しさがあります。
それなら代表曲の「春夏秋冬」も、その日の気分で大胆に歌い崩すのだろうか。
ところが本人は、歌い手の都合で聴き慣れた歌を変えてしまうことに、かなり慎重です。

勢いよく歌いながら、聴き手が覚えている節回しも大切にする。
そして同じ曲の途中でも、大きく叫ぶだけでなく、小さな声で客に歌を促す。
泉谷しげるの歌い方は、こうした聴き手への働きかけから見ていくと、荒々しさの意味がよく分かります。

1988年のLOSERとの「春夏秋冬」。
バンドとの再録でも、歌の中心にあるのは、長く歌い継がれてきたあの旋律です。

「春夏秋冬」に飽きた自分を、好きな曲が引き戻した

何十年も同じ歌を歌っていれば、歌う側は変化をつけたくなるでしょう。
泉谷自身も、「春夏秋冬」に飽き、歌わなかった時期があったと振り返っています。

その考えを変えたのが、プロコル・ハルムの「青い影」でした。
自分の好きな曲が、知っている歌の形で聞こえてくる。
それだけで胸が動く。
聴き手になった泉谷は、代表曲を待つ客の気持ちを、自分の経験としてつかんだのです。

2017年のインタビューでは、歌い手が飽きたからといって歌い出しを遅らせたり、聴き手の持っているイメージを変えたりしたくない、と話しています。
ずっと歌ってきた本人には小さな工夫でも、その曲を楽しみに来た人には、待っていた歌い方が失われたように聞こえることがある。
歌う側には新鮮でも、聴く側にはうれしくない変更もある。
泉谷はそこを気にしているのでしょう。

2017年の泉谷しげる
2017年の泉谷しげる。
撮影:Jumpei Yamada / Billboard JAPAN

聴き慣れた歌い回しを大切にしても、演奏を変えられないわけではありません。
「春夏秋冬」にはバンドとの再録もあり、ライブでは途中に言葉を挟むこともあります。
伴奏や曲の進め方に変化があっても、旋律を歌う場面では、客が知っている節回しに戻れるのです。

たとえば、伴奏が大きくなっても、一緒に口ずさもうとしたところで歌い出しがずれてしまわなければ、聴き手は歌についていけます。
泉谷の激しい声が客を置き去りにしない理由を考えるとき、この歌い回しへの考え方は外せません。

画面の向こうにも、小さな声で歌う人がいる

2020年、泉谷は初めての無観客配信ライブを行いました。
客の声も拍手も、その場には返ってきません。
いつものように会場を巻き込もうにも、歌いかける相手はカメラの向こうです。

そこで泉谷は、画面を見ている人を最前列の客として迎えました。
後半の「春夏秋冬」では、その日を自分自身の一日として生きるよう語りかけ、伴奏を外して、つぶやくように歌う場面もありました。
続いて「野性のバラッド」へ進むと、今度は自分も動き回り、画面の向こうの客にも立ち上がるよう呼びかけます。

2020年の配信ライブ
2020年の配信ライブ。
撮影:Taku Fujii / SPICE / LiveFans

ここには、泉谷の歌を大声だけでは説明できない理由があります。
つぶやくような声なら、自分の部屋でそっと一緒に歌う人にも届く。
強い声と動きなら、座って画面を見ていた人を立ち上がらせるきっかけになる。
声の大きさを変えることで、客に求める参加の仕方も変わるのです。

「春夏秋冬」を静かに歌ったあとに「野性のバラッド」で騒ぐ、という流れも効いています。
最初から最後まで同じ勢いで押すのではなく、客が自分の気持ちで歌える時間をつくってから、また外へ連れ出す。
静かな歌い方も、激しい歌い方も、一つのライブを動かすために必要だったのでしょう。

この配信では、ベースの渡邊裕美が、声でも演奏を支えていました。
「39度8分」ではハーモニーを重ね、「明日も今日も夢のつづきを」でも一緒に歌っています。
泉谷が客に歌うよう呼びかけるとき、ステージの上でも、すでに一人の歌へ別の声が加わっていたのです。

ここで耳を向けたいのは、主役の声と、その声を受け止める声の関係です。
一人で歌うところ、共演者の声が重なるところ、伴奏がなくなって声だけになるところ。
同じ歌手の声でも、その周りに何が聞こえるかによって、聴き手が一緒に歌いたくなるきっかけは変わります。
泉谷の呼びかけは、言葉による誘いだけでなく、こうした演奏の変化にも支えられているのでしょう。

あおる声の先で、歌詞まで聴いてくれる

泉谷は、2024年のRISING SUN ROCK FESTIVALで、観客の反応に驚いたと話しています。
「すべて時代のせいにして」を歌うと、一行ごとに反応が返ってきた。
盛り上がっているだけでなく、言葉を聴いてくれている。
その手応えがあったのです。

大声に大声が返ってくれば、ステージはにぎやかになります。
でも、歌詞の区切りに合わせて反応が返ってくるなら、歌の言葉も届いている。
泉谷がうれしかったのは、単に客の数や声の大きさではなく、この聴き方だったのでしょう。

こうして客を巻き込む威勢のよさにも、泉谷自身の工夫がありました。
本人は2025年のラジオで、もともとは内向的で、荒っぽいキャラクターを作ってきたと明かしています。
あの声と振る舞いには、人前に立つために本人が育てた部分もあるわけです。

内向的な人が、客の前では勢いをつけて呼びかけ、その反応を受け取りながら歌い続ける。
あの大声を生まれつきの性格だけで片づけると、こうして客との関係を作ってきた過程が見えなくなってしまいます。

激しさを、聴き手が歌に入れる形にする

泉谷は、大きな会場で歌ってきた一方、小さな会場を好む理由として、一人ひとりの客が見えることを挙げています。
声を遠くまで飛ばすことだけでなく、その声が誰に届いたかを感じながら歌いたいのでしょう。

2025年の取材では、年齢を重ねたファンが東京まで出向きにくくなったため、自分が各地へ行こうと考えたとも話しています。
声をかける相手の暮らしまで思い浮かべて、歌う場所を選ぶ。
小さな会場への好みには、顔の見える距離で音楽を交わしたいという姿勢も読み取れます。

「春夏秋冬」を勝手に崩さないのも、配信でそっと歌うよう促すのも、客の反応を喜ぶのも、この相手のいる歌い方につながっています。
泉谷しげるの激しさは、本人が叫んで終わるためのものではなく、聴き手も歌に加わるための勢いなのです。

同じ「春夏秋冬」でも、初期とLOSERとの再録では声と演奏が変わっています。
その違いと、後年の歌い直しについては、泉谷しげるの歌声の変遷でたどっています。

歌い回しが分かっているから一緒に歌える。
そして、その日に目の前で歌う泉谷の声には、録音とは別の勢いがある。
おなじみの曲を守ることが、ライブを退屈にするとは限らないのです。

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