フェイ・ウォンの歌を、息の多い柔らかな声だけで説明すると、肝心な違いを取りこぼします。
軽く漂う響きもあれば、言葉を低いところへ置く歌い方もある。
その違いを生むのは、声の高さだけでなく、音をどうつなぎ、言葉をどれほど前に出すかという選択です。
声の質感、発音、語りに近い歌唱を、具体的な曲に沿って考えます。
軽い声でも、同じ質感で歌っているわけではない
1995年のテレサ・テン作品集『菲靡靡之音』について、音楽ライターのマイケル・ホンは、原曲の甘さを受け継ぎつつ、軽やかで空気を感じさせる歌になったと評しています。
また、同年の『Di-Dar』収録の「無題」では、細い裏声と電子的な伴奏の組み合わせに注目しています。
甘さを残すことと、声の重さまで引き継ぐことは同じではありません。
同じ旋律でも、声をどれほど厚く感じさせるかで、言葉との距離が変わります。
フェイの軽さは、単に小さく歌うことではなく、曲の中にどんな質感を置くかという問題として捉えると分かりやすくなります。
『浮躁』では、さらに、意味を持たない音節や言葉にしない声が重要になります。
はっきりした文章として届けることだけに歌の役割を限らず、声そのものを音楽の材料にする作品です。
この違いを確かめるときは、「どれだけ息を混ぜているか」だけでなく、音節が短く動くのか、ひとつの響きとして残るのかに耳を向けると、聴きどころが増えます。
その聞き分けを、次の「光之翼」では、高音の出し方の選択へつなげて考えられます。
「光之翼」では、裏声に任せない高音を試した
梁翹柏が2001年の「光之翼」で求めたのは、従来なら裏声を使っていた箇所を、真声で歌うことでした。
特定の部分を何度も録り、十数回歌ったと振り返っています。
普段は数回で録音を終えられることもある彼女にとって、その場面は簡単な作業ではありませんでした。
ここでの真声・裏声は、制作を担当した人の言葉です。
録音時の声帯を測定した分類ではなく、ミックスの割合まで示すものでもありません。
ただ、高い音をいつもの軽い声に任せるか、違う質感で受け持つかが、意識的に選ばれていたことは分かります。
フェイの高音を全て同じ発声と考えると、この試行錯誤が見えなくなります。

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自由に聞こえる発音の手前に、言葉の準備がある
フェイは北京出身ですが、香港では広東語の歌も数多く録音しています。
梁栄駿は、広東語の発音を一文字ずつ教えることがあったと話しています。
一方、本人は録音前に歌詞を覚え、スタジオでは照明を落として歌っていました。
言葉の準備は細かく、歌うときにはそこから離れて集中する。
梁栄駿が語る録音の姿は、何も考えずに声を出せば自然な歌になる、という説明とは違います。
具体的な例が、1993年の「若你真愛我」です。
中島みゆきの「悪女」を広東語にしたこの曲では、言葉の声調に沿って、原曲と音の動きが変わる箇所があります。
樋口勇夫の比較研究では、「鮮」という字に当たるところで、原曲のひとつの音が、下がる二つの音へ変わっていることが示されています。
別の「擁」という字では、反対に、上がる二つの音へ変わります。
広東語では言葉自体が持つ高さの動きが関わるため、日本語の原曲と同じ旋律を、そのまま別の言葉へ載せれば済むわけではないのです。
これはフェイ本人が全ての変更を考案したという証拠ではありません。
それでも、声の揺れを全て装飾的な節回しと考えず、言葉を成立させる音の動きとして聴く手掛かりになります。
美しい声の印象と、発音が担っている仕事を分けて見ると、歌の細部が見えやすくなります。
「帰途有風」の低い声は、旋律を持った語り
「帰途有風」の制作で銭雷が目指したのは、映画に必要な力と、フェイの個性を両立させることでした。
低い音域で語るような部分も、旋律を持っています。
ラップに聞こえるかどうかだけで分類すると、この、話し言葉と歌の間に置かれた表現を捉えにくくなります。
録音中、フェイは言葉の発音や表現について新しい案を出し、銭雷を驚かせました。
彼は、十分な厚みのある曲の中でも、彼女の声が独自の働きをすると考えています。
歌を録った後には、その声の個性にさらに合うよう、編曲も調整しました。
厚い伴奏に合わせて、歌声まで同じ厚さへ寄せる必要はない。
声と伴奏が違う質感を持つことで、言葉が際立つ場合もあります。
この曲での低い歌い方も、低音の強さを見せる技として独立しているのではなく、帰ることへの切実さを表す選択だったと捉えられます。
なお、この曲には映画のエンディング用と配信用で、前奏の異なる版があります。
銭雷は、映画版では物語に合う温かさ、配信版では曲の個性を意識したと説明しています。
同じ歌手、同じ曲でも、置かれる場面に合わせて音の入口が変わるのです。
「世界贈予我的」では、言葉を押しのけない
「世界贈予我的」の作曲者、曹正杰は、旋律をもっと大きく展開させる提案を受けても、歌詞の感情を優先する形を選びました。
その曲をフェイが歌うと、発音や音同士のつなぎ方にも彼女自身の解釈が加わったといいます。
音域の広さや大声の山場だけが、歌の表情を決めるわけではありません。
大きく展開しない旋律では、言葉を受け渡す細かな違いが、聴き手との距離を作ります。
「帰途有風」で低い語りが担った力と、この曲で言葉を中心に据える働きは、同じ尺度で競わせるものではないのです。
一音ずつを整えることと、一曲を歌うこと
長く制作を共にしてきた張亜東は、フェイの録音を聴いていると、演奏を見ているように感じ、録音中であることを忘れると語っています。
細かく録り直してつなぐ作業との違いを、歌の流れとして受け取っていたのでしょう。
この評価を、どの作品も一回で録ったという意味に広げることはできません。
むしろ、言葉を準備し、その曲でどんな声を使うかを考えた先に、一曲の流れがあることが重要です。
軽い裏声と、それに任せない高音。
言葉にならない音節と、言葉の高さを生かした旋律、低い語り。
フェイ・ウォンの歌を特徴づけるのは、どれか一つの技だけでなく、声を響きとして聴かせる場面と、言葉として届ける場面の往復です。
その選択が時代ごとにどう広がったかは、フェイ・ウォンの歌声の変遷でたどります。







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