水木一郎の歌声の変遷|「マジンガーZ」を45年後に新曲として歌った理由

2017年のマジンガーZ関連イベントで歌う水木一郎 シンガー
水木一郎(2017年のイベント)/画像出典:MANTANWEB

2017年、水木一郎に映画『劇場版 マジンガーZ / INFINITY』の主題歌を歌う話が届きました。1972年のテレビ版から数えきれないほど歌ってきた曲です。それなのに本人は、誰か別の歌手が担当するなら応援しようと思っていた、と振り返っています。いざ自分の担当が決まると、今度は「どう歌えばいいのか」と迷いました。

昔の声をそっくり再現するだけなら、1972年の録音を使えばいい。水木はその原盤にしかない味わいを大切にしていました。それでも、新しい映画のためにもう一度歌った。若い頃には自分の声に個性がないと悩んだ歌手が、45年後には誰もが知る自分の歌と向き合う。その間に、歌を変えずに歌い続けることの意味も変わっていきました。

1968年、「きれいな声」は武器に思えなかった

水木は1968年に歌謡曲の歌手としてデビューしました。しかし本人の回想では、当時人気の歌手には、かすれた声や強い癖を持つ人が多かった。自分の声はきれいすぎて、歌っても誰の耳にも引っかからないように思えたそうです。海辺で何度も叫べば声を荒くできるのでは、と考えたことまでありました。

実際には声を壊さなかったことを、後の水木は笑いながら幸運だったと語ります。初めから「アニメソングに向いた声」だと分かっていたわけではありません。歌手自身が欠点と思っていたものが、別の仕事では役に立つ。その転換が訪れるのは、デビューから三年後です。

1971年、リュウになったら録音が進んだ

アニメ『原始少年リュウ』の主題歌は、水木にとって初めてのアニメソングでした。顔がレコードの表に出ない仕事でも、水木は映画音楽が好きだったため、抵抗はなかったと話しています。ただ、録音は思うように進みませんでした。

転機になったのは、自分を聞かせることよりも、物語の主人公リュウとして歌うことを考えたときです。水木の回想によれば、それまで出なかった録音のOKが、その歌い方で出ました。「特徴のない声」を無理に荒くするのではなく、その声で別の人物になる。以前は何を足せば目立つかを考えていた歌手が、誰のための歌かを考えるようになったのです。

水木は後に、アニメの主題歌を水木一郎という個人の気持ちの歌として歌うより、ヒーローに合わせるほうが楽しかったと説明しています。この発見を「最初から全部分かっていた」と本人は語っていません。新しいジャンルに先輩の手本がほとんどない中、次の録音でも方法を探し続けました。

1972年の代表曲は、完成した型から生まれたわけではない

翌1972年の『マジンガーZ』で、水木の声は後々まで知られることになります。しかし2011年の取材では、「マジンガーZ」を録った頃はまだアニメソングの歌い方をつかみきれていなかったかもしれない、と本人は振り返りました。録音が怖くなくなり、自分の声をどう使うかが分かったのは、さらに後の『仮面ライダーX』の頃だったとも話しています。

つまり、テレビ版の「マジンガーZ」は、完成した技を余裕で披露した記録ではありません。リュウの主題歌でつかんだ手がかりを、別の作品で試していた時期の歌です。それでも水木は、後年の整った録音より最初の版を高く評価しました。録り直すと音はきれいになっても、原録音の味わいは出せないと語っています。

日本コロムビアの2012年の盤『ALL OF MAZINGER SONGS』には、1972年の原録音とテレビサイズに加え、1990年代以降の新録・ライブ版が別々に記載されています。同じ曲が何度も録り直されたからこそ、最初の録音は「置き換える前の未完成品」ではなく、その時にしか残せなかった版として聴けるのです。

1972年の原録音などを収めた2012年の水木一郎アルバムALL OF MAZINGER SONGS
1972年の原録音などを収めた2012年発売のアルバム/画像出典:日本コロムビア

1999年、同じ歌で24時間を挟んだ

1999年、水木は持ち歌を24時間で1000曲歌うライブに挑みました。最初に選んだのは「マジンガーZ」。1000曲目に『グレートマジンガー』の曲を歌った後、アンコールでもう一度「マジンガーZ」を歌っています。コロムビアの公式盤は、その一曲目とアンコールの歌を別のトラックとして収めています。

二回の「マジンガーZ」の間にあるのは、若さと老いではなく、丸一日のステージです。水木自身は、会場の響きとマイクのおかげで無理に声を張らずに済んだと振り返っています。一方で、ライブが終わった翌朝には一時的に声が出なかったとも話しました。いつでも同じ力で歌えたという美談ではありません。

長く歌い続けることと、原盤どおりの力加減で毎回歌うことは違う。水木は観客のいる場所、演奏、体の状態に応じて、その場で歌を成立させていました。1972年に録った一曲は、ステージの始まりにも、24時間を歌い終えた後にも戻ってこられる曲になっていたのです。

その歩みを、作品としても残しました。2001年発売の『アニキ自身 ~30th Anniversary BEST~』は、本人がプロデュースした歌い直しの盤と、1972年の原録音から後年のライブ・新録まで、異なる「マジンガーZ」を18曲並べた盤を組み合わせています。過去を新録で塗り替えるのではなく、異なる時期の歌を並べて残す選択でした。

「昔のまま」と言いながら、叫びは伸びる

水木はアニメソングを勝手に作り変えて歌うのを好まなかったと、2011年の取材で明言しています。テレビで親しんだ旋律は守りたい。その言葉だけを聞くと、毎回まったく同じように歌おうとしたようにも見えます。

ところが本人は、テレビ出演やライブでは自然に力が入り、雄叫びが長く、激しくなることもあると認めています。守ろうとしたのは曲の旋律であって、一度録った声の形を一音ずつ写すことではありませんでした。目の前の観客が応じれば、歌の終わり方も動く。本人が望む「変えない」と、舞台で起きる変化は両立していたのです。

この違いを知ると、1972年の原盤と後年のライブを、どちらが「本物」かで争わせなくて済みます。原盤には録音当時の探りながら歌う時間が残り、ライブにはその時に集まった客席との時間が入る。水木自身が最初の録音の味わいを惜しみながら、新しい場で歌い続けた理由もそこにあります。

2017年、古い歌を「新曲のつもり」で引き受けた

『劇場版 マジンガーZ / INFINITY』は2018年に日本公開された映画です。その主題歌の新録が発表された2017年、水木は初め、別の歌手になるかもしれないと思っていました。自分に決まったときには、年齢を重ねた声でどう歌うかを悩んだと、公開前のイベントで明かしています。

映画版の編曲を担当したのは、1972年の曲を作った渡辺宙明の息子、渡辺俊幸でした。水木は新しい編曲の豊かさに気持ちが高ぶったと語っています。そして同じイベントで、これまで何度も歌った「マジンガーZ」をいったん忘れ、「新曲のつもり」で挑んだと話しました。これは古い歌を否定する発言ではありません。45年前の録音を知る人にも、新しい映画を初めて見る人にも、今この作品の始まりとして届く歌にしようとした選択です。

2017年のイベントで客席へ手を向けて歌う水木一郎
水木一郎(2017年のイベント)/画像出典:MANTANWEB

かつて水木は、自分の声を変えなければ歌手として残れないと考えました。『原始少年リュウ』で、声を壊す代わりに歌う人物を変える道を見つけます。「マジンガーZ」が代表曲になった後も、原録音の味わいを守り、観客の前ではその場の叫びを受け入れました。

2017年の新録で大切だったのも、若い日の声に戻ったことではありません。昔の一曲を、今作られる物語の歌としてもう一度引き受けたことです。同じ旋律を守りながら、歌い手が置く相手と場面を選び直してきた。その変化が、水木一郎の長い「マジンガーZ」の中にあります。

ヒーローごとに誰へ声を向けるかという一曲ごとの選択は、水木一郎の歌い方で掘り下げています。

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