植村花菜の歌唱はどう変わった?「トイレの神様」からKa-Naまで、言葉の届け方をたどる

Ka-Na名義のEP『Happiness』ジャケット シンガー
Ka-Na名義のEP『Happiness』。画像:植村花菜公式ディスコグラフィー。

「英語で歌えばいいのに」と言われた街があった。
一方、日本語のままの歌を面白がってくれた街もあった。
植村花菜がアメリカで出会った、正反対に見える二つの反応です。
2018年にKa-Na名義で発表した「Happiness」では、日本語の部分と英語の部分を一曲の中に置きました。
英語へ乗り換えたわけでも、日本語だけに戻ったわけでもありません。

そこへ至る前、植村にはもう一度、自分の言葉と声を選び直した時期があります。
2010年、「トイレの神様」が知られるようになった同じ年に、デビュー以来の曲を歌い直したのです。
なぜ過去の録音を集めるだけでなく、当時の自分で歌い直したのでしょう。

家族のことを歌えなかった五年間

植村は路上でギターを弾きながら歌い、2005年に「大切な人」でメジャーデビューしました。
同年の「ミルクティー」も初期の代表作です。
2010年のヒットを知ってから過去へ戻ると、最初から身近な人の思い出を歌い続けていたように見えるかもしれません。
本人が2015年に振り返った話は違います。
実体験を曲にはしていたものの、大切すぎる家族については、まだ一度も書いていなかったというのです。

その間にも、声と曲の折り合いを探す経験がありました。
2006年の「紙ヒコーキ」は、植村によれば、最初に作ったキーが高すぎて自分では歌えなかった曲です。
ところがギターの開放弦の響きは残したかった。
スタッフの助言でコードの位置をずらすと、響きを失わずにキーを下げられ、自分の声で歌える曲になったと当時の取材で話しています。
もともと別の曲のカップリング候補だったものが表題曲になり、恋愛以外を歌いたいという願いもかなえました。
歌いたい響きと自分の声が両立する場所を探した、初期の具体的な選択です。

この頃までの録音を、後にプロデュースを担う寺岡呼人はどう受け止めたのでしょう。
会って話す植村は面白く、人生経験にも個性がある。
ところが録音では、優れたサウンドの中に、本人の素顔が隠れているように感じたといいます。
そこで祖母や故郷の話を歌にするよう勧めましたが、すぐには曲が上がってきませんでした。

寺岡は作詞家の山田ひろしや岩里祐穂にも協力を求めます。
特に山田と進めた、詞を先に用意して曲をつける方法には植村も戸惑い、完成した「トイレの神様」が届いたのは締め切り間際だったそうです。
自信なさそうな植村とは対照的に、寺岡はデモを聴いて喜んだと書いています。
祖母との思い出を語る言葉が、そのまま曲の長さや流れを決めていく。
整った曲へ言葉を収める、それまでとは違う作り方に踏み出したのです。

植村にとっては、歌うことにも覚悟がいる作品になりました。
デモの段階では途中で泣いてしまい、歌えなくなったと当時の取材で話しています。
自分をよく見せようとして、きれいな言葉を選んでいたのかもしれない。
当時の植村はそう振り返り、これからは痛みや恥ずかしさも歌に出す必要があると考えるようになっていました。

「トイレの神様」を作って初めて、家族こそ自分が書きたかったものだと気づいた。
ヒット後の植村はそう語っています。
聴き手を増やした出来事以上に、何を自分の声で語るのかを変えた出来事でした。

植村花菜『トイレの神様』のジャケット
2010年にシングルとしても発売された「トイレの神様」。
画像:植村花菜公式ディスコグラフィー。

ヒットの直後に、なぜ昔の曲を歌い直したのか

2010年秋の『花菜~My Favorite Things~』は、「ミルクティー」や「紙ヒコーキ」など、それまでの曲を新たに録音したアルバムです。
「トイレの神様」をきっかけに植村を知った人へ、ほかの歌も届けたい。
その「名刺代わり」という狙いに加え、本人にはもう一つ、五年間で変わったものを聞いてほしいという思いがありました。
ボーカル、ギター、録音に向き合う意識の成長です。

中心に置いたのは、自分の原点であるアコースティックギターと歌でした。
録音ではテンポの目安を鳴らすクリックをあまり使わず、ほとんどを一発録りにして、共演者の音を聴きながら歌ったと話しています。
「トイレの神様」では押尾コータローが丁寧な譜面を用意し、ギター一本の伴奏を引き受けました。
植村は、元の自分の素朴なギターとは違う角度から歌を表現したいと考え、押尾に任せたのです。

このアルバムには、歌を一人だけで完結させない面白さもあります。
植村が特に喜んだのは、尊敬する山本潤子と「すばらしい日々」を歌い、声が重なった瞬間でした。
軽く歌っているように見えて、言葉に説得力がある。
植村が山本の歌に感じたその魅力を、自分の曲で、一緒に声を出しながら経験できたのです。

また「あなたのその笑顔はいいヒントになる」では、もともとのギター中心の曲を、塩谷哲のピアノと歌によるラテン調に変えています。
ギターの伴奏をピアノへ変え、別の歌い手と声を重ねる。
共演者との組み合わせを変えながら、かつての曲に取り組み直したアルバムでした。

2007年発表のオリジナル版。

2010年の塩谷哲との再録版。

植村花菜『花菜~My Favorite Things~』ジャケット
2010年のセルフカバー作『花菜~My Favorite Things~』。
画像:植村花菜公式ディスコグラフィー。

日本語が通じない場所で、言葉の重みを知る

2011年、仕事で訪れたナッシュビルのライブハウスで、植村は日本語の歌を披露しました。
歌やメロディーへの反応はよかった一方、言葉が分からないから英語で歌ってほしいという声も受けたといいます。
植村は、それまで洋楽では言葉よりメロディーやリズムが重要なのだろうと思っていたそうです。
現地のコーディネーターから英語特有の表現があると教わり、歌詞の意味を知りたいという反応を、自分が見落としていたのだと気づきました。

2012年にはギターを持って一人でアメリカを旅し、各地で歌います。
ヒット後は働きづめで、新しい体験を取り込む時間がほとんどなかった。
このままではいつか曲を書けなくなるのでは、という危機感も旅の理由でした。
日本語の持ち歌で各地を回ったのは、そのままの自分にどんな反応が返ってくるか、確かめたい気持ちもあったからです。

ところが、ニューヨークでは日本語の歌にも興味を示す人がいた。
本人が移住先としてこの街を選ぶ理由の一つです。
英語を覚えたい気持ちと、日本語で生まれた歌を残したい気持ちは、植村の中で並び立っていました。
移住を決めた後、離れて暮らす家族への思いを歌にした2016年の作品が、ただいま。
題材の中心にある身近な人へのまなざしは、「トイレの神様」以後も続いています。

Ka-Naの「Happiness」は、二つの言葉を分けた

2016年末、植村は家族とニューヨークへ移りました。
英語に不自由しながら子育てと活動を両立する日々には、思うように進められない焦りもあったといいます。
2018年の「Happiness」は、その中で、自分らしく楽しむことを思い直して生まれた曲です。
Ka-Naという名前で海外でも活動を始め、翌2019年には同曲を収めたEPを発表しました。

本人はこの曲について、日本人もアメリカ人も聴くことを意識し、AメロとBメロを日本語、サビを英語にしたと説明しています。
同時に、日本語からしか生まれないメロディーのよさにも気づいたそうです。
英語は、日本語の歌を捨てるためではなく、思いを伝えるためのもう一つの手段になりました。
本人が気に入っていると語ったのは、頑張りすぎを軽やかに戒める一番の歌詞です。
自分が抱えた焦りを、聴く人にも向けられる言葉へ直していました。

2020~22年――客席との会話と、言葉から始める歌

ニューヨークのバーで歌い始めた頃、植村は日本の客席とは違い、演奏中も会話が続くことに戸惑ったそうです。
ところが、歌い終われば歓声が上がり、演奏後にCDを買ってくれる人もいる。
静かに聴いていないから、歌が届いていないとは限らなかったのです。
路上で歌っていた経験もある植村は、聴きたい人が自由に聴く場を受け入れ、2020年の取材ではライブの基本的なやり方は日本とほぼ同じだと答えています。

一方、曲の合間のMCは全て英語にしました。
言葉が出てこなければ客席に尋ね、教えてもらいながら話を続けることもあったそうです。
歌の言語をどう選ぶかに加え、演奏の前後でどう相手と会話するか。
日本語の歌を持ち続けながら、客席との付き合い方を覚えていきました。

2021年のミニアルバム『それでいい』をめぐる翌年の取材では、日々の出来事をまず言葉に書き出すと説明しています。
気持ちを自由に書き、読み返して使いたい言葉を選ぶ。
その詞からメロディーを作り、うまく曲にならなければ言葉を直して、また向き合うという進め方です。
2010年の「トイレの神様」では、曲より詞を先に書くことが本人にとって初めての試みでした。
かつて締め切り間際まで悩んだ作り方が、後には日々の思いを歌へ育てる習慣になっています。

『トイレの神様』という一曲の中で、長い物語をどう歌にしたかは植村花菜の歌い方で詳しく見ます。

家族の記憶を詞から歌にし、共演者の音を聴いて昔の曲を歌い直し、海外では言語ごとのメロディーを見つけた。
植村が重ねてきたのは、自分の体験と歌を、目の前にいる人へ届ける方法を選び直す作業でした。

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