石丸幹二は、1990年に劇団四季『オペラ座の怪人』のラウル役で舞台に立ち、のちに『美女と野獣』の野獣や『ジキル&ハイド』のジキル/ハイドも演じました。そう聞くと、経験を重ねるたびに声が強くなった、という話にまとめたくなります。けれど本人の言葉を追うと、変化はもっと興味深い。かつて演じた曲を「今の声」で歌い直し、舞台の役から離れて一人の歌手として歌い、さらに大きなオーケストラの前で「あえて大きく歌わない」選択もしています。
同じ美声を磨いただけでは説明しきれない、その選択の変遷を見ていきます。
音大生がラウルになった――まずは「日本語で伝える」舞台へ
石丸は東京藝術大学で声楽を学んでいた頃、1990年の『オペラ座の怪人』で俳優としてデビューしました。本人は、当時ミュージカルを見たこともなく、外国語ではなく日本語で歌いたかったと、後年のインタビューで振り返っています。劇団の看板作品へ飛び込んだ華々しい出発ですが、本人にとっては完成した「ミュージカルの声」の披露ではありませんでした。舞台に立った最初の頃は、なぜ自分が選ばれたかもよく分からず、実演を通して仕事を覚えていったといいます。
ラウルが歌う「オール・アイ・アスク・オブ・ユー」は相手との関係の中で成立する歌です。声を単独で響かせれば終わる曲ではない。1990年の舞台そのものを公式映像で容易に照合できるわけではありませんが、2015年のアルバム『My Musical Life』で石丸は笹本玲奈とこの曲を録音し、若い恋人の歌に人生経験を乗せすぎないよう、積み重ねたものをあえて削いだと語りました。長く歌ったから表現を一方向に足すのではなく、役の年齢や関係に合わせて引く。その発言が、出発点のラウルを後年の石丸がどう捉え直したかを物語ります。
吹替えと野獣が教えた、響きだけでは届かないもの
劇団時代、石丸はディズニー映画『ノートルダムの鐘』日本語版のカジモド役にも挑みました。「僕の願い」の主人公は、塔の外の世界を憧れながら歌います。本人によれば、初めての吹替えでは画面の口の動きに声を合わせること自体が難しく、声を当てるだけでなく、心の動きを声にする仕事だと気づいたそうです。舞台とは制約の違う場所で、人物の内側を伝えることを学んだ経験でした。
約20年後の2015年、同曲をアルバムに収めた際には「歌の解釈も声も昔とは違う」と石丸自身が明言しています。ここで比較できるのは、初演時と再録の具体的な声色を推測で言い当てることではありません。同じ人物を、若い頃の録音をなぞらず、50歳を迎える自分の声で表そうとしたという、本人が認める変化です。
『美女と野獣』の野獣にも、別の難しさがありました。石丸は当時の衣装を防具のようだと振り返り、その重い装いの中で芝居と歌を続けました。のちに「愛せぬならば」を『My Musical Life』の冒頭に選んだのは、懐かしい代表曲だからだけではありません。絶望の底から湧く感情が歌の大きな動きを生む、と本人は語っています。舞台で身体ごと引き受けた役を、2015年にはオーケストラと「石丸幹二」として録音した。役と曲の関係が、劇場からアルバムへ移ったのです。
劇団を離れて、「石丸幹二として」歌う場所をつくる
2007年に劇団四季を退いた石丸は、休養を挟んで舞台へ戻り、2010年に初のソロアルバムを出しました。ここを単なる活動範囲の拡大と見ると、肝心な変化を見落とします。2015年の『My Musical Life』で本人は、劇団時代とフリー転身後のレパートリーを一枚に収めつつ、スタジオでは役を思い出しながらも、基本的にキャラクターではなく石丸幹二として歌ったと説明しています。
その違いは、過去の役を捨てるという意味ではありません。『エリザベート』のトート役では、従来のイメージから離れた暗い存在を作るため、歌い方を大幅に変えたことが転機だったと本人は話しました。2015年のアルバムにはその「最後のダンス」も収録されています。舞台では役が声を決め、録音では役の記憶を材料にしながら自分の名前で曲を立たせる。同じミュージカルの楽曲でも、何者として歌うかが変わりました。

さらに『壁抜け男』の「普通の人間」では、共演者とのセッションのような歌唱を本人が語っています。オーケストラだけでなく、少人数の演奏家とのやり取りでも曲を成立させる。劇団時代に身につけた日本語の物語を届ける技術は、ソロ活動で違う器を得たのです。2020年に自選したベスト盤とデュエット盤は、舞台の役から歌手個人のレパートリーへと広がった道筋を示しています。
そのベスト盤に入れた「マイ・ウェイ」は、どの役の劇中歌でもありません。石丸は2015年の録音で、声楽より前に学んでいたサクソフォーンを間奏で吹き、自分なりの一曲にしたと語っています。かつては役の言葉を届けるために始めた歌が、歌手自身の人生を振り返る歌にもなった。その変化は、2020年にソニーが公開した同曲の映像にもつながります。
「時が来た」は、歌えるまで何年もかかった
『ジキル&ハイド』の「時が来た」は、いま石丸の代表曲の一つです。しかし2025年の取材で本人は、約20年前に初めて歌ったときは難しすぎてうまく歌えず、歌いこなすまで何年もかかったと明かしました。代表曲だから最初から自分のものだったわけではない。この告白が、石丸の歌唱史を一本道の成功談から引き戻します。
2013年のアルバム『Love Songs』には、同年のオーケストラ公演で録音した「時が来た」が収められました。石丸によれば、それ以前のアルバムに入れた版と、実際に『ジキル&ハイド』を演じた後のこの版では、選んだ日本語詞も異なります。役の内側から歌えるようになったことが、同じ曲の扱い方に表れたのでしょう。2018年の再演取材では、共演者が変わると絵の具が変わるように舞台も変わると話し、以前の公演で残った課題を作り直すつもりだと語りました。歌を「完成品」にせず、再演のたびに役を問い直していたのです。
2020年の公式映像に残る「時が来た」と、2025年8月のコンサートを記録したアルバム『ORCHESTRA CONCERT 2025』の同曲は、別の機会の歌唱です。後者のインタビューで本人は、強い高音や最後へ向けた力の配分が必要で、駆け引きなしには歌い切れないと説明しました。舞台の役は後進へ渡した一方、曲は自分の節目として歌い続ける。作品の主人公の決意だった歌が、石丸自身の歩みを背負う曲になりました。
同じ2025年の公演では、『オペラ座の怪人』の続編『ラヴ・ネバー・ダイ』から「君の歌をもう一度」も歌いました。1990年に青年ラウルとしてデビューした人が、のちにファントムの歌までレパートリーにし、舞台を離れたコンサートでもその物語を手放さない。役が変わったという事実だけで声の変化を断定はできませんが、歌の視点を増やしてきた歩みを示す選曲です。
大きな編成で、あえて歌い上げない
2025年のオーケストラ公演には、「時が来た」や「愛せぬならば」と並んで、谷村新司の「昴 -すばる-」と「Stand Alone」も入っています。「昴」について石丸は原曲の歌い手を研究した上で、オーケストラを前に朗々と歌い上げるより、宇宙の中の一人として言葉をかみしめる方を選んだと語りました。「Stand Alone」には、ミュージカルの歌唱法とは違う方法で臨んだとも話しています。

ここが、ラウルから35年を経た石丸の到達点として面白いところです。大きな編成なら声も大きくする、という一つの正解に留まっていません。「時が来た」では終盤まで力を配分し、「昴」では広い空間の中に一人を置く。曲の舞台が変われば、声の距離も変える。デビュー時に求めた「日本語で伝える」ことが、役の心情を届ける歌から、石丸個人が曲ごとに立ち位置を選ぶ歌へと広がりました。
声の変化を音域の上下だけで比べると、この経過は見えにくくなります。石丸自身が語った転機は、同じ曲を今の声で歌い直したこと、役の声から自分の名で歌う声を得たこと、そして声を張るべき場面と抑えるべき場面を選び続けていることです。一曲の中で言葉と感情をどう運ぶかは、石丸幹二の歌い方で詳しく扱います。

こちらの記事もおすすめ






コメント