2025年のオーケストラコンサート「more」で、海宝直人は同じミュージカル曲でも会場ごとに歌い方を調整したと話しています。響きが大きいホールでは、歌詞が散らばって聴き取りにくくなるからです。子どもの頃に教わった通りに舞台へ立っていた歌手が、曲だけでなく、届く場所まで考えるようになった。その間に何があったのでしょうか。
海宝は「高い音が出るようになった」といった一つの変化だけでこの道を説明していません。大人の役を自分で作れずに悩み、声の訓練を始め、登場人物の感情で声を変える作品に取り組んだ。その歩みを、本人の言葉と時期の分かる作品からたどります。
子役の歌を残した1999年――答えを教わっていた舞台
7歳で『美女と野獣』のチップ役として舞台に立った海宝は、『ライオンキング』の初代ヤングシンバも務めました。本人の回想では、小学4年生の頃に『ライオンキング』で初めてレコーディングを経験しています。1999年の日本語版オリジナル・キャスト盤にも、その時代の歌声が残りました。
子役時代は、担当者が演技を一つずつ教えてくれたと海宝は振り返ります。自分がどんな声で歌うべきか、役の背景から考え抜く段階にはまだありませんでした。ただし、楽にこなしていたわけでもない。ヤングシンバのオーディションでは振り付けがうまくできず、終わってから泣いた記憶があるそうです。後年まで残ったのは、よく響く子どもの声という結果だけではなく、舞台に立つことへの強い憧れでした。
1999年の録音は、子どもの海宝が舞台で何を学んでいたかを考える手掛かりです。ただ、本人は当時の録音がどう作られたか、覚えていない部分もあるといいます。後年、同じ曲を歌い直すことになるからこそ、この最初の録音が意味を持ちます。
2008年『ミス・サイゴン』――教わる役から、自分で作る役へ
高校卒業を前に受けたオーディションで、海宝は『ミス・サイゴン』のアンサンブルに選ばれました。2008年の出演時は19歳。子役時代とは違い、役の名前や出身地、家族構成、戦争に至るまでの人生を自分たちで考えるところから始まったといいます。同じ舞台の歌でも、役に向き合う起点が変わったのです。
ソロを任されない期間もありました。海宝は2019年の取材で、当時は表現したいことがあるのに力が追いつかず、海外のミュージカル俳優の録音を聴いては、なぜ同じようにできないのかと思っていたと語っています。役を自分で作る自由が生まれても、その思いを声にする技術は別に育てる必要がありました。
21歳の頃、ボイストレーナーに習い始めます。2021年の対談で本人は、20代前半に声が変わっていく実感があったと説明しました。役を考えても声にできないもどかしさを、訓練によって少しずつ埋めていく。子役の「教えてもらった役を演じる」段階から、大人の「役を考え、その声を探す」段階へ進むための学びでした。
『レ・ミゼラブル』と『ノートルダムの鐘』――役の心で声を変える
2015年の『レ・ミゼラブル』ではマリウス役、同年の『アラジン』ではアラジン役を演じました。海宝はマリウスのオーディションについて、審査の場で一緒に芝居を作る進め方だったため、自分のイメージをのびのびと表現できたと振り返っています。一曲の上手さだけを見せる場面から、人物を立ち上げる仕事へ、本人の関心がさらに深まりました。
大きな経験として本人が挙げるのは、『ノートルダムの鐘』のカジモドです。周囲に心を閉ざすときには言葉が詰まり、エスメラルダに心を開くにつれて言葉が出る。その心の動きに応じて、話し声だけでなく歌の声も段階的に変えなければならなかったといいます。高い音を一律に力強く鳴らすことより、同じ役の中にある距離の変化を声で示す課題でした。
稽古中に声を出せなくなったことも、本人が公に話しています。そこで喉の負担をどう減らすかをトレーナーと相談し、自分でも研究したそうです。役のために声色を変える難しさと、長く舞台に立つための負担管理を同時に意識するようになった、本人が語る転機です。

2019年、かつての歌と「今の声」を別々に残した
2019年のソロ作『I wish. I want.』には、ディズニー作品から選んだ曲が収められました。咲妃みゆとの「新しい世界」は、その年に公開された公式映像でも確かめられます。海宝は20代の頃から自分の声を録音に残したいと考えており、トレーニングを重ねて少しずつ表現できることが増えた時期の声を残せた、と話しています。
興味深いのは、アルバムの曲を単に過去の役の再演にしていないことです。『ノートルダムの鐘』の「Someday」は本来エスメラルダが歌う曲ですが、海宝はカジモドの感覚で録音したと明かしました。声を役に合わせる経験を経て、同じ作品の別の人物から曲を引き受ける選択ができるようになっていました。どんな思いを声に置くかという曲単位の判断は、海宝直人の歌い方で詳しく見ます。
2020年のアルバム『Break a leg!』の初回限定盤には、子役時代に歌った「早く王様になりたい」がボーナストラックとして収められています。当時ヤングナラを演じたEmaと、同じキーで歌うことを本人は選びました。元の録音と現在の歌を、キーを変えたことだけで比較する形にはしなかったのです。もちろん、録音環境や編曲まで同じとは言えません。それでも、子どもの声を消さずに、現在の声で同じ曲へ向き合う意図ははっきりしています。
同じ2020年には、25周年記念の「Break a leg!」コンサートをオーケストラと開催しました。
2021年『王家の紋章』――きれいに歌える旋律ほど、役の声が要る
2021年の『王家の紋章』で初めてメンフィス役を演じる前、海宝は歌稽古で別の難しさにぶつかっていました。曲は耳になじみやすい一方、歌う側には息継ぎの余地が少ない。終盤までどう息を配るかを考えなければ、旋律を追うだけで人物の心情が置き去りになると、本人は取材で話しています。
さらに、一番と二番で旋律が同じでも、登場人物の感情は同じではありません。海宝は、その変化を自分の中に作ってから歌おうとしていました。『ノートルダムの鐘』で心を閉ざした声から開く声への段階を考えた経験が、ここでは同じメロディーの中に違う気持ちを通す課題として現れます。ただし、取材時は稽古の途中です。この発言を、完成した舞台の歌唱を聴き取った記録としては扱えません。
海宝が警戒していたのは、美しい曲をそのまま歌うと、役ではなくコンサートで歌う海宝自身の声に聞こえてしまうことでした。一方で、どの曲も演劇的に強く歌えばよいわけではなく、ロックの質感や音楽のグルーヴに乗る方が合う曲もあるといいます。2008年には役を自分で作ること自体が新しい経験だった。2021年には、曲ごとに役の言葉と音楽のどちらをどう前へ出すかまで、稽古で考えるようになっていました。
2025年の「ever」から「more」へ――響く会場で言葉を届け直す
舞台活動30周年の2025年、海宝はバンドのメンバーも出演した「ever」を経て、オーケストラとの「more」を開催しました。後者の選曲では、自分が出演してきた作品を振り返りながら、オーケストラの響きが生きる曲を中心に据えたと説明しています。編成を替えたこと自体が声の変化を証明するわけではありません。本人が語る変化は、その響きの中で言葉をどう届けるかにあります。
音が豊かなホールほど、歌詞が大きな響きに紛れてしまうことがある。「more」では各会場の響きを探り、同じ曲でも伝わり方に合わせて調整したそうです。2024年の音響設計者との対談でも、海宝はミュージカルの翻訳歌詞で助詞に強い音が来ると、日本語の自然な抑揚が崩れかねないと話していました。会場の広さや残響の違いを意識しつつ、役の言葉を聴き手へ渡す。ここまで来ると、歌の仕事は音程を合わせるだけでは終わりません。
同じ30周年の取り組みには、新曲「LIFE IS A STAGE」などを収めた『ever more』もあります。会場での調整と、録音に残す歌は同時期の別の仕事です。

2026年の取材で海宝は、役作りを「役の声」を探す作業だと表現しました。最初に決めた声色を貼り付けるのではなく、台本や楽譜、人物の来歴、相手との関係を考えた結果として声が立ち上がる。子役の頃に与えられた答えを、大人になって自分で探すようになったという流れは、今も終わっていません。
海宝直人の歌唱の変遷を一言でいえば、決まった声を磨き上げる歩みから、役と相手と場所に応じて声を見つける歩みへ、ということになるでしょう。声の訓練、カジモドでの試行錯誤、かつての曲の再録、響きの異なるホール。そのどれもが、「今ここで誰に何を伝えるか」を選び直す仕事につながっています。







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