「キャンディ キャンディ」を歌うとき、堀江美都子は、聴き手の中にある子ども時代の記憶を大切にする。
一方、2020年の『One Voice』では、若い世代の曲に挑み、一曲ごとに声の表情を変えた。
懐かしい歌を守ることと、歌える世界を広げること。
その両方を引き受けてきた歩みには、代表曲への反発も、新しい録音への戸惑いもあった。
少年の物語を歌った少女は、録音の現場で育った
1969年、テレビアニメ『紅三四郎』の主題歌を歌った堀江は、まだ小学生だった。
少女たちが参加したオーディションで評価されたのは、少年を思わせる透明感のある声。
柔道少年の物語に、中性的な子どもの声が選ばれたのである。
ただし、曲を渡された本人には、それまで歌ったことのない種類の歌だった。
録音室には作詞家、作曲家、作品や放送の関係者など大勢の大人がいて、緊張もしたという。
2023年の取材では、おとなしい子どもだった自分も、歌詞の世界を想像すると楽しくなり、マイクの前で大きな声が出たと振り返っている。
物語を思い浮かべることは、初期から歌を動かす助けになっていた。
当初の仕事は録音が中心で、平日は学校に通い、休みに東京へ行って歌う生活だった。
歌手本人がテレビや舞台に出る機会が増えたのは、1970年代に入ってからだという。
「アクビ娘」「魔法のマコちゃん」など、性格の異なる主人公を歌う仕事を通じて、声に任される感情も増えていった。
その土台には、作り手から受けた、言葉を子どもにきちんと届けるための指導があった。
日本語を美しく伝え、人を感動させる歌手になること。
後年の堀江が繰り返し語るこの教えは、様々な声を使い分ける際にも、歌の中心を見失わないための基準になっている。
「キャンディ キャンディ」を受け入れるまでの揺れ
1976年の「キャンディ キャンディ」は、歌手として進む道を考えていた時期の大きな出会いだった。
堀江は2020年の取材で、活動の幅を広げるべきか迷い、大学受験にも挑んでいたと振り返る。
それほど多くの人が歌を聴いてくれるなら、この仕事を大切にしよう。
19歳でのヒットは、アニメソングを歌い続ける決心につながった。
けれども、代表曲を得た後も気持ちは一様ではなかった。
「キャンディ キャンディ」の歌手としてばかり扱われることに反発し、ライブで歌うのを控えた時期もあったという。
同世代のアイドルが注目を浴びる姿への思いもあり、洋楽のカバーを歌うなど、別の音楽の世界も探っていた。
歌謡曲の事務所から誘いを受けたことも、2023年の取材で明かしている。
それでも彼女は、アニメの歌のメロディーや物語にひかれ、この分野に力を注ぐ道を選んだ。
そして、作品を見て育った人にとって代表曲は幼い日の宝物なのだと受け止めるようになる。
一度の成功で迷いが消えたというより、歌う側の思いと、聴き手の中に残った歌との関係を、時間をかけて結び直していったのだ。

画像:公式掲載元。
その間にも、歌で担う役割は広がっていた。
1977年の「ボルテスVの歌」は、男性コーラスや児童合唱と一緒に、チームで戦う物語を歌う曲。
本人によれば、主人公がチームになった作品では、男女の声が加わる主題歌を作ろうという発想があった。
さらに、2024年には、当時はかわいらしい曲を歌うことが多く、かっこいい歌を歌いたかったので、この仕事がうれしかったとも話している。
少女の物語の歌手として広く知られながら、勇ましい作品にも取り組む。
曲に求められる役割と、自分が歌いたい表現の両方が、彼女の仕事を広げていた。
声優として学び、録音の変化にも向き合う
主題歌の録音に居合わせた関係者の誘いから、声優の仕事も始まった。
『宇宙魔神ダイケンゴー』のクレオ役を演じたころは、本人も演技の未熟さを感じていたという。
歌では一人で短い時間の世界を作るが、芝居は共演者と作り上げていく。
その違いを現場で学ぶことになった。
声優としての活動には、歌の仕事とは別の手応えも生まれた。
歌の仕事が少なくなっていた時期に、『ひみつのアッコちゃん』のオーディションに合格し、演技を評価されたことが、仕事の流れを動かしたと振り返っている。
様々な人物を演じた経験は、作品に沿って声を選ぶ、歌手としての幅にもつながった。
一方、1980年代に録音がデジタルへ移るころには、自分の声の聴こえ方にも戸惑った。
演奏者と録音することに慣れていた堀江は、初期のデジタル録音を平たく感じ、自分の声にも違和感を覚えたという。
新しい環境は、歌手が好みに合わせて止められるものではなかった。
流れを受け入れて歌い続け、やがて心地よく感じるようになったと、2019年の取材で話している。
彼女の歩みには、作品への対応だけでなく、録音された声と自分の感覚をすり合わせる時間もあった。
言葉の多い歌で、感情を置く場所を探す
かつて教わった、音と言葉の間の余白を歌う方法は、新しい曲ではそのまま使えないこともあった。
テンポが速く、歌詞が細かく詰まった曲で、一語ずつ感情を盛り込もうとすると、流れが崩れてしまう。
堀江が感じていたのは、言葉を大事にしてきたからこその難しさだった。
そこで、繰り返し歌って曲を自分になじませ、その中に自分なりの余白を見つけるようにしたという。
2019年の取材でも、言葉が詰まった曲に気持ちを入れるには時間がかかるが、歌い込むほどその場所が分かると語っている。
曲の速さに慣れることと、感情を置く場所をつかむことを、一緒に進めていたのである。
この課題に正面から取り組んだのが、2020年のカバーアルバム『One Voice』だった。
武部聡志をプロデューサーに迎え、21世紀のアニメ映画の主題歌や挿入歌を中心に選曲。
自分の代表曲を集めた『One Girl BEST』と同じ日に、他の歌手の作品に挑む一枚を発表した。
50周年を振り返る機会を、新しく学ぶ機会にもしたのだ。

画像:公式掲載元。
『One Voice』で、一曲ごとに歌を作り直す
BUMP OF CHICKENの「sailing day」は、映像を見た堀江が、ロックバンドを率いて歌う自分を思い描いて選んだ曲だった。
武部の編曲と若い演奏者たちの力を受けて、自分も思い切り歌おうとしたという。
原曲への憧れを、そのまま自分が歌う場面へとつなげた選曲である。
「星間飛行」には、教える立場から生まれた発想があった。
大学の授業で課題曲として扱ううちに、自分ならどう歌うか、どんな編曲にしたいかを考えるようになり、収録を希望したという。
学ぶ側だけでなく、教える側の経験も、新しい歌への挑戦につながっていた。
編曲は1980年代のニューミュージックを意識したものになった。
そこで考え直したのが、原曲の印象を決める短い掛け声の表現だ。
本人は、曲に欠かせない言葉を残しつつ、耳元でささやくように歌おうとしたと説明している。
別の取材では、その近さを作るために録音時の音色の調整も行ったと話しており、歌い方と音作りの両方で新しい編曲に合わせていた。
このアルバムでは、十曲の声を一様にそろえるより、それぞれの曲に合う表現を選んだ。
一方で、自分の歌は部分だけを修正すると流れが不自然になるため、部分的な直しはしなかったとも語る。
曲ごとの声を選びながら、その曲の中では一続きの表現を保つ。
録音の細部にまで、歌全体の流れを大切にする姿勢が表れている。
記憶の中の歌を守り、次の歌を引き受ける
昔の曲を歌うときには、録音した日の状況や、先生に言われたことを思い出すという。
歌い崩せば、聴き手が大切にしている記憶まで変えてしまうからだ。
2023年には、変化するものを調整して保ち続けることが、歌手の仕事なのだとも話している。
その歩みは、自分の持ち歌の外にも続いている。
2024年には、水木一郎が歌った曲を、「父をもとめて〜LEGACY Ver.〜」として新しく録音した。
『ボルテスV レガシー』のテレビ版のための歌だった。
長く一緒に歌ってきた先輩の曲を引き受けた堀江は、録音中も水木に見守られているように感じたという。
子どもの声を求められたデビューから、代表曲を歌い継ぐ責任を知り、別の歌手の作品も自分の声で引き受けるようになった。
堀江美都子の変遷は、声に任せる役割が増えてきた過程でもある。
聴き手の記憶を尊重する姿勢があり、その一方で、次の曲のために歌い方を考え直す柔軟さがある。
その積み重ねが、長く歌い続ける彼女を支えている。
言葉を明瞭に届けながら物語の感情を立ち上げる方法は、堀江美都子の歌い方で掘り下げる。







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