岡本真夜の歌声の変遷|「TOMORROW」から「Alone」再録、歌う喜びを取り戻すまで

岡本真夜の公式プロフィール写真 シンガー

岡本真夜のデビュー曲「TOMORROW」は、聴く人を前へ押し出す歌として知られる。ところが本人が最初に作ったのはミディアムバラードだった。明るい曲で大きな成功を収めても、歌いたかったバラードはなかなか表に出せない。この出発点を知ると、1996年の「Alone」、20年後の同曲の再録、そして近年の新作が一本の線でつながってくる。

その線は、声が一方向に成熟していく物語ではない。曲ごとに声の表情を選べるようになった時期があり、思うように歌えなくなった時期があり、再び選択肢を取り戻そうとしている現在がある。本人の言葉と作品を手がかりに、変わったものをたどろう。

1995年:「元気な歌の人」という印象と、本人の得意な歌

「TOMORROW」は友人を励まそうとして生まれた曲だ。岡本は2026年の取材で、もともとバラードが好きで、デビューもバラードでしたかったと明かしている。最初の「TOMORROW」もミディアムバラード。スタッフの要望でテンポを上げ、ドラマの主題歌になった。デビュー当時の岡本にとって、速い曲を作ることも歌うことも、バラードより難しかったという。

曲は広く届いたが、その成功は本人の希望とぴったり重なったわけではなかった。周囲が求めるのは「TOMORROW」に続く明るい歌。本人の中には、ゆっくりした曲を歌いたい気持ちが残る。ここでの違いは、録音から推測した声質の差ではなく、岡本自身が語る「歌いやすさ」と、求められる曲調との隔たりだ。代表曲が生まれた時点から、歌手として見せたい姿は一つではなかった。

1996年:「Alone」でようやく出せた、もう一つの声

1996年、3枚目のシングル「Alone」が発表された。岡本は「TOMORROW」がヒットしてからこの曲を出すまで、いつバラードを歌えるのかという葛藤があったと振り返る。待ち望んだ曲なのに、録音は楽ではなかった。2016年の取材では、当時は楽曲の感情に自分が押され、歌いながら泣きそうになり、録音中に実際に泣いてしまったと話している。

明るい歌を歌うのが苦手だった人が、好きなバラードなら余裕を持って歌えた、という単純な話ではない。速い「TOMORROW」には曲調との距離があり、「Alone」には歌詞と自分の感情が近すぎる難しさがあった。自分らしい曲を選ぶことと、その曲を思いどおりに表現することは別の仕事だったのである。

2012年:「TOMORROW」を自分の外へ手渡す

ステージで歌う岡本真夜
ライブで歌う岡本真夜。 出典:岡本真夜公式サイト

2011年の東日本大震災後、岡本は避難所で「TOMORROW」を口ずさむ人がいると聞いた。2012年のアルバム『Tomorrow』では、この曲を「TOMORROW ~明日の君へ~」として新たに録音した。2011年末に参加した飯舘村の卒園・卒業式で、岡本と地域の人たちが一緒に歌った部分も作品に収められている。

岡本は2020年、災害が起きるたびにこの曲が使われることに複雑な思いもあったと語った。歌で何かを直接変えられるのか、軽々しく励ましてよいのかという迷いがある。それでも2012年の再録では、1995年に友人へ向けて作った歌を、多くの人が自分の歌として声を重ねる形にした。アレンジや合唱部分が違うことだけを「歌声の変化」の証拠にはできない。ただ、この曲を何のために、誰と歌うかという選択は変わっている。

2016年:同じ「Alone」を、別の距離から歌えるようになった

2016年のアルバム『Love Story』で、岡本は「Alone」を再録した。ピアニストmayoとして活動を始めた年でもあり、この版では自らピアノを弾いている。1996年の録音から20年。岡本は新録について、若いころは曲に気持ちが負けていたが、今回は大人になった自分の「Alone」を歌えた、と話した。

取材者が新しい版のテンポを以前よりゆったり感じたと伝えると、岡本は意識して遅くしたわけではなく、毎年ライブで歌ううちに今の自分に合う速さになったと答えた。さらに、デビュー時には意識しなければできなかった曲ごとの声質やファルセットの使い分けが、長年の経験で自然にできるようになったという。同じ歌を繰り返すうち、曲に飲み込まれる歌唱から、自分の距離で歌を見つめられる歌唱へ変わったことが、本人の説明から見えてくる。

再録「Alone ~featuring mayo on piano~」は2016年の『Love Story』に収録されている。1996年の原曲と2016年の再録は別の録音であり、ピアノを自分で弾いたことと歌の変化を同一視する必要はない。歌唱についての根拠は、岡本が語った感情との距離、テンポの感じ方、声色の選び方にある。

2010年代から2025年:声が思うように出ないとき

一方で、経験を積むほど歌いやすくなり続けたわけでもない。岡本は2010年ごろにメニエール病を発症したと公表している。その後、低い音が聞こえづらくなったり、声が出しづらくなったり、音程を取りにくくなったりしたと本人は振り返る。病名だけでその後の歌唱の問題をすべて説明することはできない。実際、本人は長く原因をつかめず、声帯の検査では異常が見つからなかったと話している。

2023年にかつての制作関係者、溝口大悟と再会した。翌2024年のライブを見た溝口は、昔より出しづらい箇所や声質の変化を感じながらも、歌の中に岡本らしさが残ると伝えたという。その紹介で出会ったトレーナーは、昔の映像や録音と体の使い方を比べ、角度や舌の使い方を少しずつ見直す方法を提案した。これは本人が伝えたトレーナーの見立てであり、病気の原因や治療法が確定したという意味ではない。

2025年7月、岡本はテレビ番組『音楽の日』で「TOMORROW」を歌った。約半年のレッスンを経て、本人は予想より少し上の状態で臨めたと話す一方、「完全復活」ではないとも明言している。近年の公式MV「Lastly」はその年に発表された新しい録音だが、曲自体は18歳のころに作られ、長く発表の機会を待っていた。初期の心を持つ曲を、現在の声で世に出したのである。

2026年:「Promise」で戻ってきた選択肢

取材時の岡本真夜
取材に応じた岡本真夜。 出典:音楽ナタリー

2026年のミニアルバム『singer-songwriter』には、1998年に書きかけた「Promise」が収録された。新作でありながら、曲の種は20代の岡本が残したものだ。本人によると、思うように歌えなかった十数年は、本来なら地声で出せる音でもファルセットへ切り替える場面があった。「Promise」の録音では、以前ならファルセットに逃げていた箇所を地声で歌えたという。

ここにあるのは「高音が何音まで戻った」という測定ではない。岡本が一つの曲の中で、どの声を選べるかという実感だ。2016年には曲に応じた使い分けを語る一方、本人の説明によれば、長く歌いづらさも抱えていた。2026年の「Promise」は、地声とファルセットを改めて自分の意志で選びたいという歩みの、具体的な一場面になった。

同じアルバムの「最強伝説更新中」は、本人が1990年代後半から持っていたメロディーを今の言葉で仕上げた明るい曲だ。岡本は新作の完成時にもレッスンを続け、声の回復を望んでいる。デビュー時に周囲が求めた「元気な岡本真夜」へ単純に戻ったのではない。バラードを歌いたかった若い日の気持ちも、長く歌う中で得た表現も、声に悩んだ経験も持ったまま、また歌を選び始めている。

岡本真夜の変遷を一曲で言うなら、「TOMORROW」の歌手が別人のように変わったのではない。明るい歌と静かな歌の間で、自分の声をどう使うかを探し続けた。今なお回復の途中にあるという本人の言葉を残したまま、歌うことが再び楽しいと言える地点まで来た。その現在の歌い方を、岡本真夜の歌い方では曲ごとの選択から見ていく。

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