秋川雅史の歌い方|「千の風になって」に感情を込めない理由

BSフジ掲載の秋川雅史の写真 シンガー

「千の風になって」を聴いて心を動かされる人は多い。
それなのに歌う本人は、言葉に思いを込めないようにしている、と話す。
悲しみを知らないからでも、冷たく歌いたいからでもない。
感情を歌手の内側へ集めすぎると、聴く人が自分の気持ちで歌を受け取る場所が狭くなる。
秋川雅史が大切にしているのは、聴き手の心まで声と言葉を運ぶことだ。

クラシックのテノールとして鍛えた声で、日本語の歌をどう届けるのか。
歌唱の年代ごとの変化は秋川雅史の歌声の変遷に譲り、ここでは一曲の中で秋川が選ぶ、言葉、響き、感情の距離を見ていく。

歌詞を演じる代わりに、言葉を旋律へ置く

日本コロムビア掲載の秋川雅史の写真
秋川雅史の日本コロムビア掲載写真。
出典:日本コロムビア

秋川は2007年の取材で、「千の風になって」の詩に初めて出会ったときから強い力を感じたと話した。
ただ、その力を表す方法は、悲しみや希望を自分の声で細かく演じることではない。
一つひとつの言葉を丁寧にメロディーへ当てはめる。
歌詞をどう解釈するかは聴く人に委ねる。
歌手が先回りして「ここで泣いてほしい」と決めないのである。

テノールの響きは大きく、目立ちやすい。
だが秋川の考え方では、響きだけが目的ではない。
聴き手へ届くまで言葉を支える役割を声が担う。
本人が語る「言葉をメロディーへ置く」という意図は明確だ。
日本語を歌うときの核は、音量よりも歌詞を誰のものとして残すかにある。

その土台にある発声を、秋川自身はベルカント唱法と説明している。
イタリア語で「美しい歌」を意味する名前のとおり、よく響く声や滑らかな旋律を重んじる声楽の歌い方だ。
秋川にとっては、普段の話し声をそのまま大きくするものではなく、身体を楽器として時間をかけて育てる営みでもある。
言葉の扱いを控えめにすることと、声を十分に響かせることは、ここで両立している。

自分の感情で、聴き手の解釈を決めない

2023年の取材でも秋川は、どの曲でも思いを込めないように歌うのが自分の方針だと説明した。
思いを強く込めるほど感情が歌手自身へ向かい、客席との間に壁ができる。
自分が泣くために歌うのでなく、声の響きを相手の心へ届ける。
結果として聴き手が感動するなら、それは聴き手自身が歌を受け取ったからだ。

これは無表情で歌うという意味ではない。
歌の内容を知らないまま機械的に音を並べることとも違う。
秋川は「千の風になって」を通して歌詞の大切さを学んだと繰り返し語っている。
そのうえで、歌詞への自分の反応を前面に置かない。
悲しみを決め打ちしないから、別れを経験した人も、希望を感じる人も、それぞれの記憶を曲に重ねられる。

一つの長く伸ばす音を聴くときにも、その前後の日本語がどう届くかを追うと、声と言葉を一緒に楽しめる。

マイクなしのホールでも「声量自慢」にしない

クラシックの歌手として、秋川は声をホールへ直接響かせることにもこだわる。
2023年の取材では、マイクを使わず、会場の響きも利用して生の声を届けると語った。
日常の話し声とは違う、長年の訓練で作るテノールの響きを知ってほしいという思いもある。

ここで「感情を込めない」と「大きく響かせる」は矛盾しない。
響きを作ることは客席まで声を運ぶ方法であり、自分の感動を押しつけることとは別だからだ。
声楽的な訓練を積むことも、歌詞を丁寧に扱うことも、聴き手へ歌を渡すための二つの仕事である。
声を鍛える理由を、ただ高い音や大きな音の披露に縮めてしまうと、秋川が日本の歌を選んできた理由を見失う。

クラシックと日本の歌を、同じ声で歌う

イタリア留学時代はクラシックに没頭した秋川だが、自分のコンサートでは日本の歌やポピュラー曲も増やした。
2007年の取材では、三大テノールが美空ひばりの「川の流れのように」を歌うのを聴き、日本の歌をテノールで歌う可能性を感じたと説明している。
歌謡曲に合わせて別の声へ変身するのではなく、クラシックで育てた声を、何の曲に、何のために向けるかを考えた。

その選曲には、客席が何を持ち帰れるかという視点がある。
秋川は2007年、コンサートの目的は聴いた人に元気になってもらうことだと語り、そのためにどの曲を歌えばよいかを研究したという。
2023年にも、公演の前半はクラシック、後半は誰もが知るポピュラー曲という構成を考えていた。
声の作り方を変えるだけではなく、聴く人が歌に入れる順番まで組み立てている。
クラシックの曲でテノールの響きを知ってもらい、親しみのある日本語の歌で、その響きが自分の知る言葉を運ぶ体験へつながる。

「瑠璃色の地球」を、ピアノと一緒に作る

感動を歌手の中だけで完結させないという考えは、伴奏との仕事にも表れる。
2023年の取材で秋川は、松田聖子の「瑠璃色の地球」をピアノ一台でどう表すか、編曲家の鈴木豊乃と繰り返し相談したと話している。
もともとは、コンサートの観客から、その声に合うはずだと勧められた曲だった。
親しみのある歌をそのままテノールに置き換えるだけでなく、声にふさわしい伴奏を作っていたのだ。

同年の別の取材では、そのピアノをオーケストラのように壮大な編曲だと説明している。
豊かな響きで聴き手を動かしたいという意図は、確かにある。
「感情を込めない」とは、感動を求めないことではなく、歌う瞬間に自分の感情へ入り込みすぎないための方針だと捉えると分かりやすい。
選曲や編曲には、聴き手がどう受け取るかを考えた準備がある。

さらに、ピアニストの小島さやかとは本番まで細かくやり取りし、その日の声の状態にも対応してもらうという。
予定どおり同じ声を出すことだけを目指すのではなく、舞台で生まれる感覚に伴奏も応じる。
大きく響くテノールにも、こうした共演者との柔軟な関係があるのだ。

「あすという日が」は、2011年に秋川が発表した日本語の歌だ。
「千の風になって」とは曲の背景も言葉も異なる。
秋川の歌い方を一曲の印象だけで決めず、日本語の歌を別の場面でも届けてきたことを知る入口になる。

声を響かせ続けるために、曲間も組み立てる

公演で声の力を保つには、歌っていない時間も重要になる。
2018年の取材で秋川は、自分の発声では何曲も続けて歌い通すのが難しく、間を取りながら歌う必要があると説明した。
そこで、歌の間にも観客が楽しめるよう、話す内容を研究してきたという。

曲間の話は、歌と無関係な余興というだけではない。
声に休む時間を与え、客席には次の曲に入るきっかけを作る。
同じ取材で、観客から返る拍手が次に歌うエネルギーになるとも語っている。
一曲の大きな響きを支えているのは、歌う瞬間の力だけでなく、舞台全体の時間の使い方でもある。

秋川の歌い方は、声を小さくする方法でも、感情を消す方法でもない。
鍛えたテノールを使いながら、言葉の解釈まで歌手が独占しない方法だ。
歌手が伝えたい気持ちで曲を埋め尽くすより、言葉と響きを客席へ渡す。
その余白があるから、「千の風になって」は一人ひとりに違う歌として届く。

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