石崎ひゅーいの歌声はどう変わった?「ピリオド」の迷いから弾き語りの引き算まで

2018年公開の石崎ひゅーいのアーティスト写真 シンガー

自分が歌の主人公として演じるのではなく、聴いている人に主人公になってほしい。
2024年、石崎ひゅーいは、それまでと逆の立ち位置で歌おうとしていると明かした。
思い切り声を出したくなる箇所でも、あえて抑えてみる。
長く続けた歌い方の癖があるため、本人にもまだ手応えはつかめていなかった。

この試みへ至る途中には、2018年の「ピリオド」がある。
相手を突き放すようにも歌えると考え、どちらがよいか決めきれずに録音した曲だ。
自分の感情を歌にすることから、その歌を受け取る人のために表現を選ぶことへ。
石崎の変化を追うと、歌の内容だけでなく、声の強さ、リズム、伴奏の扱いまで見直す過程が浮かぶ。

2012年「第三惑星交響曲」――自分から離れない記憶を歌う

2012年、石崎はミニアルバム『第三惑星交響曲』でメジャーデビューした。
同名曲には、母の葬儀の日に見た景色を詰め込んだという。
亡くなった母へ歌う感覚が、歌詞を書く原動力にもなっていた。

後年の本人の回想によると、中学から続けていたバンド活動では、自分が書いていない歌詞を歌うことに違和感を覚えるようになった。
歌うこと自体は好きでも、自分の中にあるものを表したい。
当初の作詞は、うまく説明できない感情を、とにかく外へ出す行為だったという。

そこへ母との別れが重なり、歌詞はより個人的な方向へ進んだ。
母の思想や人となりを、ほかの人にも伝えて残したい。
自分を表す歌の中に、大切な人の存在をとどめる役割も生まれたのである。

2016年「花瓶の花」――一組の夫婦へ書いた歌が、人に届いた

「花瓶の花」は、かつてのバンド仲間の結婚式へ向け、デビュー前に作った曲だった。
その日だけのサプライズにするつもりで、友人とその妻を思い浮かべて書いた。
ところが、歌ったあとに周囲から曲を褒められ、ライブでも歌うようになる。
後年、石崎が初めて人へ届いたと実感した曲に挙げたのも、この歌だった。

2016年の本人は、歌詞が何を意味するのかを、書いたあとから考えることもあると話している。
まず自分の中から出てきたものを歌い、そこにほかの人が反応する。
「花瓶の花」は、そのやりとりを実際に経験できた曲だった。
身近な二人に贈った歌が、本人の知らない誰かにとっても大事な歌になりうると分かったのである。

同年のツアーでも「花瓶の花」は歌われ、後に公式ライブ映像が公開された。
一度きりの贈り物にするはずだった曲が、客席へ届ける曲として残った。
ここには、歌を書いた本人の記憶だけでは説明しきれない、聴き手との関係が生まれている。

2018年「ピリオド」――歌う態度を、録音中にも迷った

初のベスト盤『Huwie Best』に収めた「ピリオド」では、自然に出た言葉をそのまま残す方法を変えた。
3枚目のアルバム『アタラズモトオカラズ』の頃、自分の経験だけを取り出し続けると、すり減ってしまうと気づいたからだ。
新曲は何度も書き直し、どう表せば人の心へ届くかを考えた。

ベスト盤の最後に置く曲でもあり、当初の春というテーマが、一つの区切りをつける失恋の歌へまとまった。
しかし、言葉が完成しても、歌う態度までは決まらない。
録音では聴き手を突き放すようにも歌えると考え、どちらが合うか迷ったままだったという。

本人は完成後、歌に残った優しさが、最後の強い言葉と釣り合ったのだろうと振り返っている。
最初から正解を決めて、その通りの声を出したわけではない。
書いた言葉と歌う声が同じ感情を示すべきか、少し違う温度を持たせるか。
歌詞ができたあとにも選択が残ることを、録音の中で確かめた曲だった。

2021年「アヤメ」――会えない人へ、寄り道せずに届けたい

「アヤメ」を書いた頃は、ライブでファンと感情をやりとりする機会が長く失われていた。
会場へ行きたいのに行けない人、自分の歌を生きる支えにしてくれる人がいる。
石崎はそうした相手へ直接届く歌を書こうとした。
歌詞に「あなた」を使うことも、本人には珍しい選択だったという。

この曲では、書きながら自分に寄り道をしないよう言い聞かせていた。
伝えたいものがあるなら、その相手へまっすぐ渡す。
「花瓶の花」では、身近な友人へ贈った歌が、思った以上の反応を生んだ。
今度は、会えなくなったファン一人ひとりを思い浮かべ、歌を通して気持ちを返そうとしたのである。

「ピリオド」の録音で迷った、聴き手との距離の取り方。
「アヤメ」では、その距離を埋めたいという願いが曲を作る段階から明確になった。

石崎ひゅーいが写る10周年記念展の告知写真
石崎ひゅーい10周年記念展『、展』の告知写真 出典:ソニーミュージック

2024年『night milk』――自分が主役になる歌い方から離れてみる

初のカバーアルバム『night milk』の土台は、2013年に始めたネットラジオ「ナイトミルク」だった。
眠れない夜に誰かの声を聞きたい人へ、トオミヨウの鍵盤と歌で寄り添う番組である。
リスナーの悩みやリクエストに歌で応える活動を重ね、音源として手元に残したいという声も受けて、アルバムが生まれた。

制作時の石崎には、歌の主役を聴き手へ譲りたいという考えがあった。
以前は、物語の主人公を自分が演じる感覚で歌っていたという。
今回は普段なら強く歌いそうなところで声量を抑え、トオミヨウやスタッフに聴いてもらいながら細かく調整した。
自分がどれだけ感情を表せるかに加え、相手がその歌に入れる余地を考えるようになったのである。

藤井風の「旅路」では、リズムに対して少し後ろに着地する歌い方を参考にした。
石崎自身は前へ進む傾向があり、その違いに苦労したという。
自分の得意な歌い方へ置き換えるだけでは挑戦にならない。
習得したとはまだ言えなくても、いつものリズムをいったん離れてみる経験になった。

2024年12月1日の配信ライブ「night milk special YouTube Live from J-WAVE」より。

「点描の唄」は、取り組む前とあとで印象が大きく変わった曲だ。
音域が広く、旋律の起伏も大きいので、自分の曲と近く歌いやすそうだと思っていた。
実際には、細かな音の動きや裏声の使い方に、自分にはない要素が多かったという。
男女で歌う原曲を一人の歌へまとめるキー選びも含め、アルバムで最も難しかったと振り返った。

2024年12月1日の配信ライブ「night milk special YouTube Live from J-WAVE」より。

清竜人の「痛いよ」では、原曲の痛みへ深く入り込む歌い方に惹かれながらも、自分が同じ方向へ進むと重くなりすぎると考えた。
そこで、相手を包むような優しさを目指し、少し明るい方向へ解釈を変えた。
好きな歌をそのままなぞるのでなく、自分が歌うとどうなるかを踏まえて選び直している。

『night milk』(2024年)全曲トレーラー。
各曲の抜粋。

さらに、自分がアイナ・ジ・エンドへ提供した「アイコトバ」にも、教わるものがあった。
彼女の録音では、途中で歌詞を変えると、すぐに歌い方まで変わったという。
石崎が改めて歌う際にも、語尾のニュアンスが彼女の表現へ引かれ、新しい解釈に気づいた。
自分で作り、デモでも歌った曲が、ほかの歌い手を通ることで違う可能性を持ち帰ってきたのである。

2024年5月10日、東京国際フォーラムでのライブ。
『night milk』発売前の歌唱。

2025~26年――弾き語りでも、足す前に引いてみる

2025年11月からの弾き語りツアーは、翌年のアルバム『Tokyo City Lights』の制作と重なった。
客席の空気や会場にも左右される編成で、石崎が主題にしたのは、丁寧に歌を届けることだった。
余裕が出ると抑揚や間を足してしまう癖を見直し、ギターを弱く弾き始めたり、弦の響きを抑えてリズムを出したりする方法を試した。
音を足す以外にも、一曲の起伏を作る方法があると実感したという。

「Tokyo City Lights」を発売記念の配信ライブで弾き語りした際には、音源より半音高くした。
本人には、音数が少ない編成で同じキーを使うと、言葉が埋もれる感覚があったためだ。
伴奏は基本的に弦の響きを抑え、落ちサビだけ開いた。
聴かせたい部分を強調するために、その前後をどれだけ抑えられるかを考えていたのである。

2026年3月18日のアルバム発売記念配信ライブより。

キーも伴奏も、その曲を相手へ渡すために選び直す。
本人はこの弾き語り版も試行錯誤中だと話しており、完成形にたどり着いたという結論ではない。
一曲の中でギターと声をどう組み合わせるかは、別稿の石崎ひゅーいの歌い方でも詳しく扱っている。

自分の中から出てきた言葉を守ることは、石崎にとって歌うための大切な出発点だった。
そこから、人に届く歌を経験し、歌い方に迷い、ほかの歌い手から自作曲の表し方まで教わった。
今では、自分の感情を強く差し出すだけでなく、聴き手が歌へ入ってくる場所を作ろうとしている。
声を抑える選択にも、言葉を半音上へ持ち上げる選択にも、その願いが通っている。

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