2018年、15歳の崎山蒼志が「五月雨」で注目を集めた時、本人はまだ自分の声をうまく扱えていなかった。
後年の取材では、変声期にあり、声のコントロールが効かなかったと振り返っている。
世間が知った独特の歌い方は、完成してから人前へ出したものではなかったのだ。
そこから数年を経て、崎山は自分の声の癖を、曲ごとに使い分けたいと考えるようになる。
「五月雨」をバンドで録り直し、「燈」ではなめらかな歌を求めた。
声をひとつの音として扱っていた少年が、歌を選び直すまでをたどりたい。
2018年の「五月雨」――注目された声と、本人の戸惑い
「五月雨」は、13歳の頃の気持ちを歌った曲だ。
2018年5月、インターネット番組『日村がゆく』の「高校生フォークソングGP」で弾き語りを披露し、同年7月には「夏至」とともに初めて音源を配信した。
ギターを抱えて一人で歌う姿が、多くの人にとっての崎山蒼志になった。
本人はこの出会いをありがたいと感じながら、もっと後に、自分で伴奏まで作った曲が注目されていたら、違う形で知られたかもしれないとも話している。
当時からバンドも続けていたからだ。
世に広まった弾き語りは彼の大切な一面だったが、やりたいことのすべてではなかった。
2018年の『日村がゆく』出演回から、ABEMAが公開した抜粋。
その頃の声について、本人が明かしたのは、歌い方をプロに教わったことがなく、制御も難しかったという経験だ。
高校の三年間には、以前カバーしていた歌を歌えなくなるほど声が変わったという。
昔の歌い方を、そのまま再現し続けられる状況ではなかった。
一方、13~14歳頃の自分については、そもそも歌を「歌」としてあまり捉えていなかったとも説明している。
声も破裂する音のような、楽器と並ぶ一つの音だった。
声を出しにくい時期の試行と、音楽の中で声をどう使いたいかという感覚が重なっていたのである。
2020~21年――「Samidare」を、共演者と同時に録る
メジャーデビューに向けて、過去の曲を新たな編曲で作り直すことになった。
2020年に発表した「Samidare」も、その一曲だ。
宗本康兵の編曲は、もとの曲を生かす方向で作られ、崎山はデモを一度聴いた時に、強く納得したという。
数回のやりとりを経て、バンドで演奏する形になった。
ここでは歌をあとから別に入れるのではなく、石若駿のドラム、マーティ・ホロベックのベースと、歌も同時に録った。
一定の拍を示すクリックも使わない。
崎山は、気持ちが高まり、よいテイクが録れたと振り返っている。
自分一人で担っていた演奏の流れを、ほかの奏者と一緒に作る録音になったのだ。
ただし、2021年のアルバム『find fuse in youth』を、すべてバンドの曲にはしなかった。
「鳥になり海を渡る」では、ライブで歌う時の突き抜ける感じを残したくて、ギターと歌を一度に録ったという。
こちらもクリックを使わず、歌と楽器が一緒に動くことを大切にした。
作品は『find fuse in youth』収録の「鳥になり海を渡る」でたどれる。
弾き語りを卒業してバンドへ移った、とまとめると、この選択が見えなくなる。
一人で歌う曲も、共演者と録る曲も、その場の演奏と声を切り離さない点ではつながっていた。
編成の幅が広がる中で、以前からの歌とギターの関係も残していたのである。
2021年「嘘じゃない」――声を合わせるだけでなく、癖を選べるように
声が変わるにつれ、崎山は自分の声に合う高さで曲を作るようになった。
柔らかく穏やかなメロディーも歌えるようになり、アルバムでは以前より余裕をもって制作できたと話している。
周囲が知っている歌い方以外の表現もできたことが、本人の手応えだった。
同年の「嘘じゃない」をめぐる取材では、もう一歩踏み込んだ考えを明かした。
自分の曲をあまり聴き返していないと気づき、自分でも聴きたくなる歌を作ろうと思ったという。
奇妙な音が突然現れる音楽への興味は残りながら、繰り返し歌われるメロディーや、まとまりのある曲の形にも意識が向いた。
使う楽器にも、歌への向き合い方を変えるきっかけがあった。
2021年に買ったガットギターは声へ寄り添う感じがあり、歌いたくなると話している。
以前のように声と楽器を並ぶ音として扱うだけでなく、歌そのものを中心に考える時間が増えていた。
その時に望んでいたのは、声の癖を全部取り除くことではない。
特徴的な声やイントネーションを、曲に応じて使えるようにすることだった。
荒れるような声にも、さらに太く、迫力を持たせて生かす可能性を感じていたという。
整いきらない部分も自分で扱い、曲としてのまとまりと両立させたい。
扱えない声に戸惑っていた頃から、個性をどこで使うか考える段階へ進んでいた。

出典:ソニーミュージック
2023年「燈」――感情の強さを、そのまま声へぶつけない
「燈」は、TVアニメ『呪術廻戦』「懐玉・玉折」のエンディング曲として生まれた。
崎山は原作を読み直し、夏油傑の気持ちの揺れを自分なりに受け止めた。
作品から初めて彼の曲を聴く人が多いことも考え、聴きやすさを意識したという。
歌唱では、部分的な強さは使いながらも、全体の流れをなめらかにし、丁寧に歌おうとした。
痛みのある物語だからといって、その感情をずっと声でぶつける方法は選ばなかったのである。
題名にも、まぶしい明るさより、ほどよい温かさで灯る光をイメージしていた。
サビからラップに近い部分へ入る展開も、歌の流れを途切れさせないための選択だった。
言葉を細かく運ぶ部分を別物として置くのではなく、サビから自然につながる面白さを求めたという。
一曲の中で歌い方が動いても、聴く人がその流れに乗れるように考えていた。
崎山はこの頃、過去の「五月雨」を他人の作品のように聴けるようになったとも話している。
自分が聴き手として求めるなめらかさと、制作やライブを重ねて感じたことが、歌い方につながっていた。
年齢とともに声が変わっただけでなく、自分の歌を外から聴く耳も変わっていたのである。
「Swim」で、昔の自分の曲を見つけ直す
2023年のアルバム『i 触れる SAD UFO』に収めた「Swim」は、13歳頃に書いた曲だった。
聴き直すと、今の自分が音楽に求めているなめらかさが、すでにその曲にあったという。
崎山は、現在の自分なら、新しい編曲をしてあげられると感じて収録を決めた。
初期の自分は激しく、現在は穏やかになった、と分けるだけでは説明できない発見だ。
昔の作品の中にも、後から求めることになるものが残っていた。
声を扱う方法が増えると、古い曲も、今の自分が歌いたいものとして選び直せる。
「五月雨」をバンドで録った時とは違う理由で、過去の作品と現在がつながった。
「Swim」収録:『i 触れる SAD UFO』公式作品情報
2025年「ダイアリー」――迷いを歌っても、思いつめすぎない
2025年の崎山は、初期には生活から離れた世界を比喩で書きたかったが、今は日常にある感情へ共感する歌にひかれると話している。
上京後、ほかの人の歌詞を、自分の暮らしに重ねて受け取る経験も増えた。
その聴き方が、声にも歌詞にも表れ、「燈」の頃から心地よくなめらかな声を求めるようになったという。
TVアニメ『SANDA』のエンディング曲「ダイアリー」では、大人になりたい気持ちと、子どもの頃へ戻りたい気持ちの両方を考えた。
当時23歳だった自分も、大人になりきったとは思えず、その本音が作品の人物と重なったと話している。
歌の中の迷いは、作者が外から説明するものではなく、自分にも残るものだった。
それでも、悩みを深刻な声で閉じ込めるようには歌わない。
崎山は、少し息をつける感じをサウンドへ任せ、歌う時にも、抜けのある開かれたイメージを持ったという。
迷いがすべて解決しなくても、思いつめすぎずにいられる曲になったと受け止めている。
感情を歌へ乗せることと、感情のまま声をぶつけることは、ここでも分かれている。
「五月雨」で知られた声を守るために、ずっと同じ歌い方を続ける必要はなかった。
共演者と同時に歌い、声に合う旋律を見つけ、昔の曲にも新しい歌い方の手がかりを探した。
崎山の変化は、個性を整えて消すことではなく、どの曲で何を生かすかを自分で選べるようになる過程だった。
一曲の中で言葉と声をどうつなぐかは、崎山蒼志の歌い方で「燈」に絞って詳しく扱っている。







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