Nulbarichの「NEW ERA」は、日本語と英語が行き来するのに、途中で歌が別物へ切り替わったようには感じにくい。
JQはこれを、発音を巧みに切り替える計画の成果とは説明していない。
先に意味のない英語でメロディを口ずさみ、その母音と曲の雰囲気を残しながら言葉を決める。
順序を知ると、二つの言語が一つの歌として続く理由が見えてくる。
JQの歌い方を声量や音域だけで語ると、この工夫を見落とす。
メロディ、言葉、トラックを別々に仕上げて最後に重ねるのではなく、互いに動かしながら声の置き方を決める。
その制作過程を「NEW ERA」と、本人が語った別の曲から見ていきたい。
英語の仮歌から、日本語の言葉を選ぶ
2016年の取材でJQは、「NEW ERA」の日本語と英語の混ざり方を問われ、あまり意識していなかったと答えた。
メロディを考えるときには、意味を持たない英語を口にすることが多いという。
後から歌詞を付けても、先に声が作った母音や空気感を守ろうとする。
だから「英語部分は洋楽風、日本語部分は邦楽風」と機械的に分かれるのではない。
本人が意識していると述べたのは、耳当たりのよさだ。
これは単に小声で歌うことではない。
言葉を強く打ち出す前に、曲が流れたとき声がどう収まるかを考える、という制作の選択である。
まずメロディ、次にその動きを壊さない言葉という順番だけで、この曲の歌への視点は変わる。

写真出典:Billboard JAPANの本人取材
滑らかな音の中に、自分の気持ちを残す
2017年の取材では、JQは仮の歌詞をメロディへ当ててから、日本語の印象的なフレーズを入れ、最後に説得力のある歌詞にすると話した。
耳に気持ちよく収まるだけでは終えないのだ。
言葉の意味をどこに置くかを考え、英語と日本語を一曲の中で働かせる。
同時に、実際に自分が感じたことのない感情は歌ってもしっくりこないと明言している。
日常の小さな気持ちを少しひねって書くことはあっても、感情の核を借り物にはしたくない。
言語を混ぜる器用さの裏に、自分の口から出て自然かどうかという別の基準がある。
トラックは伴奏ではなく、歌を変える相手
JQは、歌だけを主役にしてトラックを背後へ置く考え方をしていない。
好きな歌手としてエリカ・バドゥを挙げたとき、自分は歌い上げすぎないクールな声を好むとも話した。
さらに、自分の歌もトラックにつられて変わるという。
曲の拍子や音色を決めてから同じ歌を載せるのではなく、音が動けば声の選択も動く。
本人が例にしたのが「Spread Butter On My Bread」と「hometown」だ。
「hometown」は最初ギターの弾き語りだったが、トラックと歌の双方が大きく変わったという。
一つの曲でも、伴奏を入れ替えれば声がそのまま残るとは限らない。
JQにとって「歌い方」は、固定の発声法をどの曲にも適用することではなく、曲ができ上がる途中で選び直すものなのだ。
一言ごとの感情を、和音と一緒に決める
ソロ作「BIG BUG BEAR」の制作では、この発想がさらに細かく見える。
JQはまずメロディを作り、山﨑豪とスタジオでアカペラへ和音を付け直した。
和音を一定の拍で機械的に変えるのではなく、一言ごとの歌詞とメロディに合う響きを探したという。
ここでは悲しさを残し、次の行では気持ちが晴れてもまだ明かし切らない――そんな感情の段階を二人で話し合った。
アカペラで表れた言葉の動きが、伴奏の和音を決める手がかりになっている。
言葉と旋律が示す感情に合わせ、周りの音を細部まで作り直す。
2016年に「耳当たりのよさ」と呼んだことを、もっと深いところまで実践した一例と読める。

写真出典:Spincoasterの本人取材(Photo by Motomi Mizoguchi)
「ポップス」で、英語の癖を日本語へ戻す
母音を残して言葉をつなぐ普段の方法を、別の方向から照らす曲もある。
2026年にn-bunaが手がけた「ポップス」では、JQは日本語の発音へ普段とは違う意識を向けた。
n-bunaは、JQの日本語には英語の子音や強勢の置き方が影響していると捉え、一つのモーラに一つの音を当てる、歌謡曲のような方法を試したかったと説明している。
モーラとは、例えば「スマート」を「ス・マ・ー・ト」と数えるときの、言葉の長さの単位だ。
JQ自身も、カタカナで書かれた語を英語のように発音すると直された、と振り返った。
普段なら英語の感覚でひと続きに扱う言葉も、日本語として音を一つずつ置くと、旋律への収まり方が変わる。
英語が得意か、日本語が得意かという二択ではない。
曲の中でどの言葉を長くし、どこに強さを置くかという習慣まで、歌の個性になっているのだ。
同時期のVaundyによる「僕らの事にさせて」では、普段より熱量を出す歌い方に苦戦したという。
JQは録音中、二人の指示へ体で反応するような感覚で、新しい発見が続いたと話している。
クールに収めることだけを自分の正解にせず、曲を作った相手が求める言葉の届け方を試す。
この二曲は、自然に聞こえる普段の歌にも、本人が身につけてきた細かな癖があることを教えてくれる。
座って歌うときの感覚から、曲を考える
歌をどの大きさの場へ届けるかも、JQにとって具体的な問題だ。
ソロの発想の出発点を聞かれた際、本人はコロナ禍にベッドの上で曲を作り、布団をかぶってハンドマイクで録音した経験を挙げた。
そのとき座った姿勢で出せる声の範囲や、自分の周りに見える小さな空間が、制作の手がかりになったという。
声を小さくすれば親密になる、という決まりを当てはめたわけではない。
その場所で無理なく歌う自分から曲を始め、大きな会場で鳴らすための音楽とは違う距離を見つけたのだ。
「NEW ERA」で言葉を旋律に合わせていたのと同じように、声が自然に動く条件を、曲の側にも受け入れている。
声を張り上げないことと、気持ちを隠すことは違う
JQが好むクールな歌声は、何も感じていない声という意味ではない。
歌詞に自分から遠い感情を入れず、曲の中で言葉を自然に響かせる。
そのために、歌い上げすぎない声が合う場面もあれば、共作者と熱量を引き出す場面もある。
どちらも、曲と言葉に応じて選ぶ表情だ。
「NEW ERA」の自然さを考えるときも、発音だけを切り離して真似るより、曲が生まれた順序を知ると理解しやすい。
まず声でメロディを探し、残したい母音を見極め、言葉とトラックを互いに合わせる制作がある。
そして曲が変われば歌も動く。
それがJQらしい歌い方の核だ。
Nulbarichからソロへ進む中で、その声が何を語るようになったかは、JQ(Nulbarich)の歌唱変遷でたどれる。

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