緑仙の歌を「低い声」や「ロック」の一語で説明すると、肝心な違いを見落とします。
本人が曲について話すとき、よく出てくるのは誰へ届けるか、どの人物の言葉を歌うか、作り手のリズムにどう応えるかという選択です。
「リコネクト」の近い相手への言葉と、ベガルタ仙台へ送る「Blowin’ Wind is blowin’」の言葉は同じ向け方ではありません。
声の切り替えや共演相手との関係も含め、曲ごとの歌い方を見ていきます。
「リコネクト」では、顔の見えない一人へ届ける
「リコネクト」は、緑仙がラジオを通して出会った人たちを思い浮かべて書いた曲です。
番組には、普段の配信を知らず、たまたまラジオを聴いた人もいます。
学生時代の同級生から声を聞いたと連絡が来たこと、亡くなる前の祖父が番組を聴いてくれていたことも、本人は曲の背景として語りました。
緑仙は、この曲の歌詞をアルバムの中で最初に書き、素直で優しい気持ちで書けたと説明します。
「誰にでも一斉に強い言葉を投げる」歌ではなく、離れた場所で声を受け取る一人を想像した歌です。
だから曲の聴きどころも、高音をどこまで出すかより、言葉が特定の人に届くような親密さにあります。
応援歌では、自分の感情だけで歌わない
2024年のベガルタ仙台応援歌「Blowin’ Wind is blowin’」には、別の相手がいます。
緑仙はクラブ設立30周年と当時のチーム状況、選手やサポーターの思いを踏まえ、自分の声が一歩踏み出す力になればと語りました。
歌う際にも、その歴史の重みや熱さを噛みしめたと本人が説明しています。
ラジオを聴いてくれた祖父への思いと、クラブを支える多くの人へのエール。
両者に「気持ちを込める」と言っても、同じ気持ちの量を増減しただけではありません。
誰の経験を背負う歌かが異なります。
応援歌を自分だけの物語にしてしまわないことが、この曲での緑仙の選択です。
裏声から地声へつなぎ、歌える範囲を広げる
表現の選択を支える、声そのものの扱いについても本人の説明があります。
2023年の取材で緑仙は、以前は出なかった高音を歌えるようになり、裏声から地声への移行も滑らかになったと話しました。
その理由には、ボイストレーニングを挙げています。
「低い声」が持ち味であっても、その高さだけで歌を組み立てているわけではありません。
ただ、歌えることが増えれば、曲の気持ちも自動的に表せるわけではない。
「イツライ」の続編「ジョークス」を録音した際には、歌唱に余裕が生まれたぶん、以前ほどつらそうに聞こえないという難しさがあったそうです。
同じ苦しさでも、その中身が違うと本人は説明しています。
声を安定させる技術と、言葉にどんな痛みや決意を残すかは、両方を考える必要があるのです。
小説や漫画の歌では、人物の言葉を借りる
小説『宵を待つ月の物語』のテーマソング「夜明けの詩」は、緑仙自身の経験だけを歌う曲ではありません。
本人は物語の主人公の気持ちを考え、いつもと違う歌い方を試したと話しています。
「リコネクト」のような自分の近い人への言葉を、そのまま別人の物語に乗せない。
歌い方を選び直す理由が曲の外側にある例です。
『H2』とのコラボ曲「青春の向こうへ」でも、人物の視点をどう扱うかが問題になりました。
緑仙は漫画の登場人物にどの歌詞がふさわしいか、制作陣と意見を交わし、録音の日にも共作者に相談したそうです。
誰の言葉として成立するかを詰めてから歌う。
歌詞を書いた本人であっても、「自分の気持ちだけで歌える」わけではありません。
「確証論」と「コンパスは透明」は、どちらもアニメ作品に関わる曲ですが、主人公との距離は反対です。
本人によれば「確証論」の主人公は性格や立場が自分に似ており、普段考えることを書けば人物の気持ちにもつながりました。
「コンパスは透明」の主人公は自分と大きく違い、純粋で仲間のいる人物を想像しながら共作者と歌詞を作りました。
後者を出したとき、友だちの歌を歌う緑仙に驚く反応もあったそうです。
二曲の違いは、アニメ主題歌という肩書ではなく、自分の感情との距離にあります。

画像出典:公式掲載元
難しいリズムを「得意な声」で押し切らない
曲への向き合い方がさらに具体的なのは、ヒトリエと組んだ「sleep sheep syndrome」です。
緑仙は、シノダが作った冒頭の独特なリズムをつかむのが難しく、収録で苦労し、最初のライブでは間違えたと率直に話しました。
高音が出るかどうかとは別の難しさです。
言葉をどの拍へ置くかが曲の個性を決め、普段の歌いやすい流れには直せません。
本人は曲を身体に入れ、今後のライブでも格好よく歌いたいと語っています。
完成した録音があっても、舞台で同じ感覚をすぐ再現できるとは限らない。
「歌がうまい」かどうかの一言より、他の作り手のリズムを自分の歌にするために何に取り組んだかを知る方が、この曲を理解しやすいでしょう。
「機械仕掛けのワルツ」では、逆に緑仙が最初の旋律をハミングで作り、鍵盤を担当する岸田勇気と組み立てました。
本人が夜の散歩で感じる、気持ちを静めて自分を見返す時間が曲の発想です。
既にできた難しいリズムへ入る曲と、自分の口から出た旋律を作り手と育てる曲。
歌う前の立ち位置が違えば、言葉やメロディーとの向き合い方も変わります。
Rain Dropsでは、先に歌うか後に歌うかでも役割が変わる
六人組のRain Dropsでは、他の五人の歌との関係も録音の判断に入っていました。
緑仙によると、自分が最初に歌って後に続くメンバーの方針を作る場合と、最後に入ってすでに録られた声を踏まえる場合があったそうです。
同じ一人のパートでも、最初の声として方向を示す仕事と、全体を受け止めて収める仕事では違います。
この経験を踏まえて緑仙は、ソロでは元気な面も、大人びた面も、子供らしい面も、自分で担う必要があると話しています。
グループでは周囲に合わせて自分の位置を探し、一人の作品では曲ごとに役を引き受ける。
歌声の印象が多様なのは、こうして声を置く相手や場面を変えているためでもあります。
緑仙の歌を聴くとき、何を比べるか
緑仙は、曲ごとに声そのものを別人のものへ変えているわけではありません。
ラジオの先の誰か、サッカークラブの人々、物語の登場人物、共同制作したバンド。
それぞれ相手が違い、その相手のために言葉をどう置くかを選んでいます。
特に「sleep sheep syndrome」のリズムの難しさは、曲が要求する歌い方を本人が具体的に語った例です。
初期の自主制作からRain Drops、メジャーでのソロ活動を経て、この選択肢がどう増えたのかは、緑仙の歌唱変遷で時期ごとに追っています。
ここで挙げた曲も、誰へ歌っているかを一つずつ確かめると、同じ緑仙の声に別の役割が見えてきます。







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