伊藤美来は、デビュー当初、ライブでもCDと同じように歌えることを目指していた。
それが2022年には、自分に出しやすい音や伝え方を考え、音源とは違う歌い方を自分で判断できるようになったと語っている。
持ち歌を重ねる中で、歌い方を決める役割にも変化が生まれた。
一曲をどう届けるか、その答えを自分でも出せるようになったことだ。
2026年の「rotate」では、自分で書いた言葉に感謝を込め、前を向く気持ちでまっすぐ歌ったという。
CDの歌を再現しようとしていた伊藤美来は、どんな経験から、自分の声で伝える方法を選ぶようになったのだろう。
2016年のデビュー当初は、CDの歌声が練習の基準だった
伊藤美来のソロデビュー曲「泡とベルベーヌ」は、2016年10月12日に発売された。
当時の自分を振り返ると、歌で何を表現したいかを尋ねられても、うまく答えられなかったという。
制作を支える人たちの期待に応えることで精いっぱいだった。
ライブの準備でも、完成したCDの歌声を再現できるようになるまで練習していた。
時間をかけて録音し、ディレクションを受けた音源には、その曲をよく届けるための歌い方が入っている。
伊藤にとって、それを舞台で再現することは、作品を大切にするための向き合い方でもあった。
ただ、その頃は自信を持てず、ステージに立つことへの緊張も大きかった。
歌うことを、技術のある人にしか許されないもののように捉えていた時期でもある。
うまく歌わなければいけないという思いが強く、歌で何を伝えるかについて、まだ明確な考えを持てずにいた。
その中で、ライブに来た人たちが歌を受け入れてくれた経験が積み重なっていく。
伊藤にとってライブは、制作したものを届け、ファンと気持ちを交わす場所になっていった。
2020年の「vivace」で知った、ささやく歌の魅力と難しさ
2020年のアルバム『Rhythmic Flavor』では、Charaが作詞・作曲した「vivace」が、新しい歌い方への入口になった。
伊藤は、いつもと違う大人っぽい自分を見せたいと伝えたうえで、Charaの世界を自分が歌ったらどうなるかに挑戦している。

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制作の準備で訪ねたのは、Charaの自宅だった。
曲は事前に聴いておらず、リビングでCharaがギタレレを弾いて歌うのを聞き、一つずつフレーズを覚えていったという。
伊藤はついていくのに必死だったが、それと同時に、Charaらしさの濃い曲を、自分はどう歌えばよいのかという緊張も感じていた。
録音で提案されたのは、ささやくように歌うことだった。
伊藤には、研修生の頃から、お腹に力を入れてしっかり声を出すというイメージがあった。
そこに、淡々と小さく歌うことで、大人の魅力を表せるという発見が加わる。
本人は、大人の歌に挑める年齢になったことを喜びながらも、その感覚を自然に自分の中から出すのは難しく、まだ学んでいるところだと話している。
小さく歌えばすぐに完成するわけではなかった。
しっかり声を出すという、それまで頼りにしてきた感覚をいったん離れ、作り手の表現を自分の声へ移していく経験だった。
2022年のライブで、CDとは違う歌い方を自分で判断する
歌い方を選ぶ変化が、本人の言葉ではっきり表れるのが、2022年のライブツアー『What a Sauce!』を振り返った話だ。
この公演では、新しい「気づかない?気づきたくない?」に続けて、しばらく歌っていなかった「土曜のルール」「ルージュバック」を並べた。
昔の歌を今の自分が歌う姿から、大人になったところを見てもらおうと考えたのだ。
以前はCDを聴きながら、地声で歌った箇所と裏声で歌った箇所を確かめ、録音と同じようにできるよう練習していた。
完成した音源の歌い方を、細かな声の使い分けまで基準にしていたことがわかる。
ところが、経験を重ねるうちに、自分が出しやすい音や、思いを伝えやすい歌い方が見えてきた。
そこで、CDとは違うアレンジを自分で判断できるようになったという。
同じ持ち歌でも、その時の自分で歌うために、声の使い方を考えられるようになったのだ。
この時点でも、緊張は昔と同じくらいあったと伊藤は話している。
一方で、スタッフに考えや希望を伝えられるようになり、安心できる材料も増えた。
自分で決められることが増えたぶん、ライブを楽しむ気持ちも育っていった。
曲順にも、自分の意図をはっきり持つようになっていた。
同年の新曲「青100色」の次にデビュー曲「泡とベルベーヌ」を歌うことは、最初のセットリスト会議から決めていたという。
5周年を経て変わった姿と、変わらないところを、一続きの歌で届けたかった。
「青100色」――MV(2022年作品)
ただ、その2曲は、ライブで初めて披露する新曲と、久しぶりに歌うデビュー曲でもあった。
直前のMCで強気な言葉を口にしたぶん、自分にプレッシャーをかけたと伊藤は振り返る。
自信がついたから緊張しなくなったのではなく、緊張していても、何を見せたいかを決めて舞台へ出られるようになっていた。
「ワタシイロ」から「点と線」へ、録音でも声を相談するようになった
2017年の「ワタシイロ」と2023年の「点と線」は、作曲家の坂部剛、作詞家の渡部紫緒と作った楽曲だ。
同じ制作陣との再会によって、録音での取り組み方の違いも見えてくる。
「ワタシイロ」は、伊藤にとって1stアルバムで最も録音に時間がかかった曲だった。
良い曲を歌いこなさなければ、と自分にプレッシャーをかけ、堅くなっていたという。
ディレクターたちが提案する歌い方を試しながら、形にしていった。
6年後の「点と線」では、歌を録る時間が以前より短くなった。
坂部は、どう歌いたいか、どう歌えばよいかが、伊藤自身にも見えるようになったことを、その変化として挙げている。

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ただし、伊藤にとって「点と線」は、相当苦戦した曲でもあった。
高音が続く中で、耳にすっと入る声にしたい。
そのために、ウィスパーに近い柔らかな声質を考え、地声でも歌うなど、いくつもの方法を試している。
ほかの楽器と調和する声にしたい、という狙いもあった。
Dメロで3声が重なる部分も、録音の場で時間をかけて調整した。
最後のサビへ向かう前に、いろいろなところから声が浮かぶような、宇宙を感じる場面になったと本人は捉えている。
歌録りの時間が短くなっても、声を重ねる場面や質感は丁寧に探っていた。
坂部は、声が持つ前向きな印象は、最初に出会ったときから変わっていないとも話している。
伊藤自身は、難しい曲を試練と感じながら、作家やディレクターと話すうちに前向きになり、それが声にも乗ったと受け止めた。
提案を受け止めるだけで精いっぱいだった初期に比べ、会話そのものが歌う気持ちを整える時間にもなっていた。
2026年、まっすぐ伝える歌と、自然に馴染む歌
2026年10月7日に発売された『39rpm』は、同月12日のソロデビュー10周年を記念するアルバムだ。
リード曲「rotate」の歌詞は、伊藤自身が書いている。
応援してくれる人に感謝を伝えたいという思いから、伝わりやすい言葉を選び、歌もまっすぐ前を向く気持ちで歌ったという。
最初は、もっとかっこよく感情を揺さぶるような詞にしたいと考えていた。
けれども、それではかえって伝わりにくくなるかもしれない。
作曲した睦月周平から届いた明るいメロディにも促され、難しい言い回しにせず、一つずつ言葉を届ける方向を選んだ。
この時の伊藤は、歌に自分の価値観や性格、経験してきた思いを乗せることの大切さを語っている。
作詞を経験し、言葉を作る人がどれほど心を動かしているかを知ったことも、その気づきにつながった。
初期には答えられなかった、歌で何を伝えたいのかという問いに、自分の言葉で向き合うようになっている。
同じアルバムの「A Quiet Flame」には、長く歌ってきたことが、新曲で自然に表れた経験もある。
作詞・作曲・編曲は、「Shocking Blue」や「No.6」を手がけた園田健太郎。
初めて歌ったとき、ディレクターから、前から歌っていたかのように馴染んでいると声をかけられたという。
伊藤は、園田が自分の声や技量を理解して曲を作ってくれたことに加え、ライブやイベントで園田の曲を何度も歌ってきたことも大きいと考えている。
その積み重ねが、曲に合う歌い方を自然に選ぶことにつながった。
「ワタシイロ」で初めて受け取る曲のよさに圧倒されていた頃とは、作り手への応え方も変わっていた。
その一方で、「rotate」に込めたのは、今ある景色をできるだけ大切にしていたいという気持ちでもあった。
10周年の取材でも、自分らしさはまだわからないと答えている。
それでも、どんな気持ちのときに聴いてもらえる音楽にしたいかは、少しずつ定まっていた。
CDの歌い方を基準に練習していた時期から、ささやく声を試し、舞台で自分の声を判断し、録音でも狙いを相談するようになった。
「rotate」のまっすぐな歌には、その積み重ねの先で、自分が伝えたい言葉を歌うという選択がある。
曲ごとの声の強さや息、距離感の作り方は、伊藤美来の歌い方で詳しく扱っている。







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