柏原芳恵の歌唱変遷|『春なのに』で広がった歌の伝え方と、後年の『ひとりごと』

2022年の取材時の柏原芳恵 シンガー
2022年の取材時の柏原芳恵

『ハロー・グッバイ』は、3回ほど歌ったところでレコーディングのOKが出た。
柏原芳恵が振り返る、このヒット曲の録音は驚くほど早いものでした。
ただ、本人には、もっと曲の世界を表現したいという思いがありました。

その思いが動き出したのが、17歳で出会った『春なのに』です。
歌えることと、歌を誰かに伝えること。
その間にある広がりを、中島みゆきとの制作で感じるようになりました。
その後は、カバーの選曲や編曲にも思いを込め、自分が届けたい歌の世界を作るようになります。
初期の録音から、男性歌手の曲を取り上げた作品、若い頃の歌を歌い続ける舞台へ。
声の印象と、歌に向き合う姿勢の両方から、その歩みをたどります。

1981年『ハロー・グッバイ』、早い録音の先にあった思い

1981年の『ハロー・グッバイ』は、柏原芳恵を広く知らしめた代表曲です。
当時は約3か月ごとに新曲を出し、同時にアルバムも制作していました。
日中の仕事が終わればレコーディングへ向かう生活です。
忙しい制作日程の中でも、本人の録音は比較的早く進んでいたといいます。

2022年の取材でデビュー当初を振り返った本人は、芸能界について何も分からず、大人たちが用意した道を遅れないように走っていた、と話しています。
歌や仕事の進め方を一つずつ教わり、周囲についていこうとする時期でした。
録音が早く終わったという話も、そうした目まぐるしい制作の日々の中にあります。

それでも、本人の中には、もう少し曲の世界を表現したいという気持ちが残っていました。
求められた録音を終えられることと、本人の表現への関心は、別に進んでいたのでしょう。
『春なのに』との出会いは、こうした思いを抱えていた時期に訪れました。

2022年の取材時の柏原芳恵
2022年の取材時の柏原芳恵。
画像出典:写真掲載元

1983年『春なのに』、17歳の歌に広がった「伝える」という意識

ディレクターから『春なのに』の話を聞いたとき、柏原芳恵は、中島みゆきが自分に曲を書いてくれることに驚きました。
届いたデモテープには、先輩を送り出す、当時17歳の本人にも重なる気持ちがありました。
自分の年齢で受け止められる別れを歌った作品に、本人は深く心を動かされました。

そしてレコーディングのスタジオに、中島みゆき本人が訪れます。
練習している歌を聴き、高い声が出ることに触れながら助言をしたのです。
柏原芳恵は、このやり取りを境に、歌の伝え方や、誰かへ伝えるという意識が広がったと振り返っています。

デモを聴いて、自分にも分かる別れの気持ちを受け取る。
次に、その気持ちを歌にして、人へ届けることを考える。
作者本人とのやり取りは、曲に感動した17歳の歌い手が、それを自分の表現へ移していく場面でもありました。

そこからは、作品ごとの表現の違いを考えることも、面白くなっていったといいます。
2015年の番組取材でも、中島から細かく教わった経験が、現在の歌い方や表現の広がりにつながったと語っています。
何十年も後に振り返るときにも、この制作が出発点の一つになっていたのです。

『春なのに』は、やがて卒業の歌として歌い継がれるようになりました。
本人には当時、卒業ソングの定番を歌うという意識はなかったそうです。
自分が大切に歌ってきた曲を、聴き手がそれぞれの別れに重ね、育ててくれたと受け止めています。
17歳の自分に重なる曲だったものが、ほかの人たちにとっても大切な歌になっていきました。

2010年の『アンコール2』では、選曲から歌の世界を作る

曲の世界をどう伝えるかという関心は、後年のカバー制作では、選曲や曲順にも表れています。
2010年、デビュー30周年の『アンコール2』で取り上げたのは、男性歌手たちの演歌でした。
2007年のカバー集に続く企画で、森進一や吉幾三らの作品に向き合っています。

きっかけは、スタッフからの、次は男性演歌を歌ってみてはどうかという提案でした。
柏原は、ファンの予想をよい形で裏切りたいと考えます。
本人も、聴き手にどんな意外性を届けるかを楽しんでいました。

選曲のためには、初めて行ったカラオケ店に、合計で十数時間こもったといいます。
例えば森進一にも多数の曲がある中から、どれを自分が歌うのかを調べていきました。
重視したのは、一曲ごとに描かれる男女の物語です。

歌う際には、原曲のまねで終わらないよう、全曲の編曲も柏原に合うものへ変えています。
男性歌手の声色を再現することより、自分が受け取った物語を、自分の作品にすることを大切にした取り組みです。

このアルバムは、曲順も含めた一続きの作品として聴いてほしいと語っています。
冒頭にはオルゴールの音を置き、ふたを開けるように歌の世界へ入ってもらう演出もしました。
歌い出す前から、聴き手が作品へ入っていく流れを考えていたのです。
『春なのに』で広がった、一曲を人に伝える意識。
後年のカバーでは、選曲、編曲、曲順まで含めて、自分の歌を届ける形を組み立てていました。

2022年『ひとりごと』、初々しい曲をしっとりした歌声で

2022年11月4日、日本橋三井ホールで開かれた「A・RU・KU 第二章」では、若い頃の曲にも、後年の歌声が重なりました。
その一つが、1981年のアルバム『ハロー・グッバイ』に収録されていた『ひとりごと』です。
この日の公演は、2020年の40周年コンサートに続く第二章として、会場とオンラインの両方へ届けられました。
前半では『春なのに』に続いてシングルを発売順に歌い、アルバムの曲も織り交ぜています。
観客と共有してきた曲をたどりながら、現在の歌声を聴かせる構成でした。

「ひとりごと」――1981年『ハロー・グッバイ』の音源

公演を取材した原田健は、『ひとりごと』を、発売当時よりしっとりした歌声になったと評しています。
初期のスタジオ録音と、この日のステージでは条件が異なりますが、取材者が捉えたのは、昔の曲に重なった現在の歌手の魅力でした。
曲を知る人が若い頃の歌を思い出しながら、今の声の表情にも触れられる場になっていたのです。

一方、柏原芳恵自身は、この曲の初々しさを気に入っていました。
歌い終えたあとのMCでは、今でも歌って大丈夫かと、冗談めかして客席に尋ねています。
曲の若々しさを覚えている本人と、今の歌声を受け取る客席。
昔の曲を歌う場には、その両方がありました。

初々しい曲への愛着を保ったまま、その時点の声で歌う。
当日の歌唱評と本人のMCを合わせると、長く歌ってきた人ならではの、昔の曲との付き合い方が見えてきます。

2022年の取材時の柏原芳恵
2022年の取材時の柏原芳恵。
画像出典:写真掲載元

『ハロー・グッバイ』の録音が早く終わっても、本人の中では表現への関心が残っていた。
『春なのに』では、歌を人に伝える意識が広がり、カバーでは、作品を組み立てるところから主体的に関わるようになりました。
そして『ひとりごと』には、昔の曲を今の声で届ける姿がありました。
柏原芳恵の歌唱の歩みは、声の印象の変化とともに、歌を選び、受け止め、伝える仕事を自分のものにしてきた過程としても捉えられます。

曲の中での低音や声の使い方については、柏原芳恵の歌い方で取り上げています。

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