石川ひとみは、昔の持ち歌を歌うとき、最初の歌い方をなるべく変えないようにしている。
一方、2023年のアルバム『笑顔の花』では、それまであまり歌ってこなかった曲調に向き合い、自分の声の違う面を感じたという。
同じ歌い方を保つことと、新しい歌い方を試すことは、彼女の中でどうつながっているのだろう。
その出発点には、もともと声を張って歌うことが好きだった彼女が、『まちぶせ』では思いがけない歌唱を残した経験がある。
その後も自分の歌を見直しながら、かつての形を大切にする理由と、新曲で選べる表現を少しずつ確かめてきた。
1981年のオリジナル音源。
初期の録音で、渡された曲を自分の歌にしていく
1978年に『右向け右』でデビューした頃、石川は、自分にどんな曲が合うのかまだ分からなかった。
2025年の取材では、次の曲を渡されるたび、一生懸命に歌っていたと振り返っている。
明るい歌をもらうと嬉しかったものの、違う曲調では、どう歌えばよいのか戸惑うこともあった。
その一例が、1979年の『あざやかな微笑』である。
前作『くるみ割り人形』から大人っぽい恋の歌へ変わり、録音では、繰り返す「止まれ」の「ま」を強く歌うよう求められた。
本人の記憶では、それがなかなかできなかったという。
曲を覚えたあとも、言葉のどこに力を置くのかを、録音の中で探していたのである。
注文の意味が分からなかったり、自分の考えと違ったりするときには、指示どおりに歌って判断してもらうことも、自分が思う歌い方を試すこともあった。
本人は、うまくいかず涙が出た経験にも触れている。
歌うのが好きで、声を伸ばせることだけでは応えられない注文がある。
初期の録音は、渡された歌を覚えるだけでなく、自分の表現と作り手の求める表現をすり合わせる場でもあった。
1981年の『まちぶせ』で、好きな声の張り方とは違う歌が残る
『まちぶせ』を歌うことになったとき、彼女は歌手活動に区切りをつけようと考えていた。
その曲を最後にできるなら悔いはないという思いがあり、歌いたいという希望をスタッフにはっきり伝えた。
以前から練習してきた、大好きな曲だった。
その最初の出会いは、デビュー前のレッスンにさかのぼる。
課題曲として知り、三木聖子のレコードを買って練習していた歌が、自分のシングル候補になったのだ。
与えられた曲に一生懸命応えてきた時期を経て、今度は、この歌を自分が歌いたいと意思を伝えた。
歌唱の前に、曲への向き合い方にも一歩踏み込んだ選択があったのである。
歌入れの感覚も、ほかの録音とは違っていた。
2018年に公開された『A面に恋をして』のインタビュー抜粋で、石川は、自分は大きな声を出したり、声を張ったりする歌が好きだったと説明している。
ところが『まちぶせ』では、ヘッドホン越しに自分の感覚へ入り込み、好きなように歌っているうちに、あの歌い方になったという。
録音に残った声のかすれも、最初から狙った表現ではなかった。
2025年には、通して歌った複数のテイクのうち、自然にかすれたものが採用されたと明かしている。
力のある声を出すことが好きな歌手にとって、自分でも予想しなかった一瞬が、代表曲の歌唱として残ったのである。
後年の取材で、彼女は『まちぶせ』の当時の歌い方を変えたいと思ったことはないと語っている。
曲中の女の子を自分のことのように思って歌ったという回想と合わせると、最初の形を大切にする理由にも、その歌と自分の気持ちとの結びつきが見えてくる。
『一五一会』の歌から、自分の持ち歌をもう一度歌う希望へ

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1987年の病気による休業を経て、石川は少しずつ仕事を再開した。
テレビやラジオ、カバーアルバムの制作などを続けながらも、定期的にライブで歌うところまでは、なかなか進めずにいたという。
その後、昔の持ち歌を改めて届けたいという思いにつながったのが、2004年からの『みんなの一五一会』シリーズだった。
BEGINが考案した四弦楽器・一五一会とともに、童謡やフォークソングなどを歌う中で、またしっかり歌っていけるかもしれないという希望が生まれた。
2021年の取材で、本人はこの経験を、自分の過去の歌をもう一度聴いてもらおうと思ったきっかけとして挙げている。
歌う曲が増えたというだけでなく、自分の歌へ戻る気持ちが育った時期だった。
シリーズは、唱歌や童謡からフォークソング、かつてラジオで親しまれた歌へと広がり、自分のオリジナル曲を歌い直す作品にも進んだ。
昔の録音をそのまま振り返るのではなく、新しい楽器とともに歌い、その中へ自分の持ち歌も迎え入れる。
カバーを歌う経験と、オリジナル曲へ戻る歩みは、ここでつながっている。
2004年『みんなの一五一会~唱歌・童謡編~』の「春の小川」。
2010年代半ばからの浅草での定期ライブでは、以前あまり歌ってこなかったアルバム曲も見直していく。
それまではシングル曲や『HOME・MADE-ただいま-』の曲、カバーが中心だった。
2023年の取材で石川は、ゆっくり歌を聴いてもらえる会場を知り、眠っていた曲を生演奏で届けたいと思ったと説明している。
代表曲だけでなく、自分のために作られた曲を一つずつ歌い直す機会になったのだ。
最初は声まで震え、最後まで歌えるだろうかという不安もあったという。
客席との距離が近く、その震えまで伝わってしまうのではないかと気にしていた。
客が来てくれるかという心配もあったが、実際に歌を聴きに来てくれる人がいた。
こうして回を重ねることが希望となり、2018年のアルバム『わたしの毎日』や、40周年コンサートにつながっていった。
持ち歌を大事にする気持ちは、録音を思い出すだけでなく、実際に客席へ届ける経験の中でも確かめられたのである。
2018年の『まちぶせ』で、二つの時代の声を重ねる
『わたしの毎日』には、『まちぶせ(81-18バージョン)』が収められている。
1981年のボーカルと、新たに録音した2018年のボーカルを組み合わせた、過去の自分とのデュエットだ。
一曲すべてが2018年の歌唱というわけではなく、二つの時代の声がパートを分けたり、重なったりする構成になっている。
本人の回想では、録音後、スタッフからどちらの時代の声なのかを尋ねられ、自分でも聴き直したことがあったという。
それほど似ていると感じられた一方、彼女自身は、声がまったく変わっていないと言い切ってはいない。
2019年のラジオで、昔の『私の祖国』を聴いた神谷明から声があまり変わらないと評された際には、自分では変わっていると思うが、歌のキーは変えていないと答えている。
保ちたいのは、聴く人が覚えている曲の形でもある。
昔の録音を聴けば、今なら別の歌い方ができると思うことはある。
それでも、最初の形になじんでいる人へ届けるときは、なるべく原曲どおりに歌う。
自分の変化を感じながら、その変化をすべて昔の歌へ持ち込むことは選ばなかった。
『笑顔の花』では、普段より強い声や中音の歌を試す

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2023年の『笑顔の花』では、新曲に合わせた選択がはっきり語られている。
『アシタノ風』と『zankyouhanabi』について、石川は、これまでのレパートリーにはなかったタイプの曲調かもしれないと述べた。
その二曲では、お腹に力を入れ、いつもより強めに歌ったという。
『アシタノ風』では、旋律から受け取った強さを、自分の書く言葉にもつなげた。
歌ネットの取材では、つらい出来事も自分の力にし、これからも成長していきたいという思いを詞にしたと説明している。
渡された歌のアクセントに苦労した初期から、曲の力強さを受け取り、それに合う言葉を自分でも作る立場へ。
強めの歌唱には、歌い手として引き受けた思いも重なっている。
『zankyouhanabi』は、デモを聴いてぜひ歌いたいと思い、実現を待った曲だった。
歌えることが決まると、作曲者の梅口敦史と一緒に詞を書いたという。
かつて『まちぶせ』を望んだように、曲を好きになるところから新しい表現が始まる。
今回は、その好きな旋律に載せる言葉を作るところにも参加していたのである。
別の取材では、中田裕二が手がけた『こんなにも愛してる』にも触れている。
最初は歌ったことのないような雰囲気だと思ったが、覚えて実際に歌うと心地よく、中音の感じがする曲になったという。
取材者の西山寧は、そこでの中低域の響きを新鮮なものとして評している。
高音を張ることが好きだった歌手が、新しい曲の中で、声の別の面を確かめていたのである。
同じアルバムに収めたカバー『道化師のソネット』にも、時間を隔てて歌い直した経験がある。
20代の頃にテレビで歌った記憶から、2022年十月のコンサートで久しぶりに取り上げた。
改めて曲のよさを感じ、その歌の思いがアルバムの主題にもつながると考えたのだ。
新しく録音する際には、さだまさしの原曲を繰り返し聴き、譜割りと発音を確認してから歌った。
新曲で強さを試すことと、すでに形のある歌を素直に歌うこと。
どちらも、その曲をどう届けるかという選択だった。
2026年の取材でも、石川は、自分の喉の調子にとって何がよいのか、そのつど探りながら歌を磨きたいと語っている。
自分の声を確かめ、新曲では新しい歌い方を試しながら、長く聴かれてきた歌には、その歌らしい形を残していく。
『まちぶせ』で生まれた歌唱を大切にしてきた歩みは、今の彼女が選べる表現と一緒に続いている。
一曲ごとの声の使い方は、石川ひとみの歌い方で詳しく扱っている。







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