伊藤蘭の歌唱をたどると、昔の声をそのまま取り戻すことだけが、ソロ活動の目的ではなかったとわかります。
2019年の再出発で大切にしたのは、若い頃のように力に頼るのではなく、今の自分が無理なく歌えるところを探すことでした。
やがて、できないことに出会っても別の歌い方を試せるようになり、録音そのものを楽しむ余裕が生まれていきます。
キャンディーズで身につけた三人の声の重なりは、ソロになっても大切な土台です。
ただ、一人で主旋律を担うようになった蘭さんは、当時とは違う難しさにも向き合いました。
変わったのは、声の出る範囲だけでなく、その時の声で曲をどう伝えるかという選択でした。
キャンディーズで、高い声の生かし方と三人で揃える歌を学んだ
キャンディーズ時代の蘭さんは、地声が他の二人より少し低かったと振り返っています。
高いところでは裏声を使い、その性質を作曲家の穂口雄右がコーラスに生かしてくれたというのです。
一人の声の特徴が、三人のハーモニーを広げる役割へつながっていました。
穂口のレッスンでは、和声やコード進行も交えながら、三人で声を合わせていたそうです。
蘭さんは理論を十分に理解できたわけではなく、歌いながら体で覚えていたといいます。
デビュー後も、本番までの短い待ち時間には楽屋でコーラスを確認しました。
高いパートを任せられただけで完成した声の重なりではなく、教わったことを繰り返す日々がありました。
『その気にさせないで』を振り返った2023年の取材では、海外の女性グループを意識し、ハーモニーを聴いてほしいという思いがあったことも話しています。
歌詞を三人で声を揃えて読む下準備があり、コーラスの音や言葉も譜面に書かれていました。
主旋律だけを歌えばよいのではなく、曲の中のいくつもの声を自分たちで作る経験を重ねていたのです。
録音では、その場で渡された譜面をピアノに合わせて確かめ、一人ずつ歌ってソロのパートを決めていました。
蘭さんは、この作業を毎回のオーディションのようだったと振り返っています。
初めて見る曲を覚え、仲間と声を合わせ、その中で一人の歌も受け持つ。
短い時間で曲を形にすることに慣れていった経験が、当時の歌を支えていました。
『その気にさせないで』(1975年発表)。

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その感覚は、長い時間を経ても残っていました。
ソロの歌入れで、コーラスを別の人が担当すると聞き、自分はそこを歌わなくてよいのかと確かめたことがあるそうです。
三人で歌っていた頃の習慣と、一人の歌手として曲を仕上げる新しい環境の違いが、ここには表れています。
2019年の『My Bouquet』で、力に頼らない歌を探した
2019年、キャンディーズ解散から41年を経て、ソロアルバム『My Bouquet』を発表しました。
歌うことには自信がなく、録音でも苦労したと、蘭さんは率直に話しています。
一人でマイクの前に立ったとき、どこへ向けて歌えばよいか、その感覚を取り戻すまでにも時間が必要でした。
それでも再び歌おうと思えたのは、自分だけの歌を持ちたいという思いがあったからです。
2023年のCocotameの取材では、声が十分に出ないかもしれないことも周囲へ伝え、今の自分を見せていこうと決めたと振り返りました。
歌う楽しさまで失うほど自分を追い込まない。
経験豊かな歌手として再登場する場にも、できないことを認めるところから始める覚悟があったのです。
そこで意識したのが、力を抜き、無理をしないところで歌うことです。
本人は若い頃の歌唱を、力に頼った部分もあったと振り返り、新しい曲のよさを伝えるために歌い方を選び直していました。
昔と同じ勢いで声を出すことを、再出発の条件にはしていなかったのです。
2019年『My Bouquet』収録曲のダイジェスト。
このアルバムには、自ら詞を書いた『女なら』も収録されています。
作詞でも、思いついた良い言葉が、そのまま歌として伝わるとは限らないことに向き合いました。
2019年の取材では、メロディーに載せたときの届き方を考え、もっとシンプルな言葉を選ぶなど、試行錯誤したと話しています。
自分の思いを詞にするだけでなく、聴き手が気持ちを重ねられる歌にする。
一人で歌う意味は、どんな言葉を届けたいかという選択にも表れていました。
同年6月の初ソロ公演について、otonano編集部の安川達也は、この曲で歌声が最も会場に響いたと記しました。
一人で歌うことへの戸惑いから始まった録音が、現在の自分の歌を客席へ届ける場につながっていきます。
『Beside you』では、できないことから別の歌い方を見つけた
2021年の『Beside you』へ進むと、録音への向き合い方に変化が見えます。
蘭さんは歌ネットの取材で、ソロ再開時には音域が狭まっていたと話し、そのうえで二作目では、できない場合に別の歌い方を試す面白さがわかってきたと説明しました。
できないことを、別の表現を探すきっかけとして扱えるようになっていました。
『ICE ON FIRE』も、複数の候補の中から自分が歌ってみたいと選んだ曲でした。
同じ取材で西山寧は、その張った声にキャンディーズ時代とのつながりを感じ、アルバム全体の歌声を前作より伸びやかだと評しています。
声の出る範囲への本人の戸惑いと、聴き手が受け取った伸びやかさは、同じ作品の中に共存していました。
この曲を選んだ本人には、キャンディーズのステージでもロックや洋楽を歌ってきたという感覚がありました。
聴く人には意外に映るかもしれなくても、自分にはなじみのある音楽だったのです。
三人で広げてきた音楽の好みが、一人で新しい曲を選ぶときにも生きていました。
『ICE ON FIRE』を含む、2021年『Beside you』のダイジェスト。
もう一方には、シンプルなバラード『家路』の難しさもあります。
曲を自分の中で理解するための時間を取り、先生にも見てもらいながら録音に臨んでいました。
勢いで押す歌だけでなく、言葉を伝える歌まで、自分が選べる表情を探す段階に入っていたのです。
『家路』を含む、2021年『Beside you』のダイジェスト。
『LEVEL 9.9』で、これまでにない声の作品にも踏み出した
2023年の『LEVEL 9.9』では、さらに新しい自分を作品に持ち込みました。
『Shibuya Sta. Drivin' Night』について、Cocotameの取材ではオートチューンを用いた仕上がりが取り上げられています。
蘭さんは、自分らしいかどうかよりも、何度も聴きたくなり、歌ってみたいと思った曲だったと語りました。
同じ取材で、本人は最初の三枚を違う表情の作品として振り返っています。
一作目では、周囲が自分に何を求めているのかも考えながら、手探りで選曲していました。
二作目は少し鋭さのある面を出し、三作目では、体が元気なうちに楽しく踊れる歌を作りたいと考えたそうです。
自分に似合う曲を探すところから、自分が楽しんで歌いたい曲へ。
新しい音作りも、そうした選択の中にありました。
この時期の本人は、昔と今の歌録りの違いも具体的に振り返っています。
キャンディーズの頃は一曲を通した流れや雰囲気を重視し、その場で生まれた歌い回しも残していた。
現在は細かく録ってよい部分をつなぐことが多く、どの歌を残すかという判断の重みを感じているといいます。

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新しい曲への挑戦は、録音で声をどう残すかという選択にも及んでいました。
声の加工を含む新しい作品に挑みながら、整った録音の中で何を自分の表情として残すかにも目を向けています。
ソロの歌は、昔の歌唱を再現する場から、まだ知らない自分の歌を見つける場へ進んでいました。
2026年、踊る歌と噛みしめる歌を同じステージに置く
2026年の『Bright on』に向けた取材で、蘭さんは、歌い方や声の出し方への課題と欲が年々増していると話しています。
ソロ再開からの時間を、完成した歌を繰り返す期間として捉えているわけではありません。
もっと歌えるようになりたいと思う箇所が、次の公演につながっています。
その一方で、形にするまで時間がかかり、公演で歌うことを見送る曲もあると話しています。
何を歌うかは、曲数を増やすだけでは決まりません。
今の自分が歌として仕上げられるかを考えながら、曲を並べたときの楽しさも探している。
録音で別の歌い方を試すようになった歩みは、公演の組み立てにも続いています。
同年5月31日の東京公演では、新作の『愛においで』と『Dance on! Love on!』が本編の終盤に並びました。
THE FIRST TIMESの公演レポートは、『愛においで』を言葉を噛みしめるような歌唱として伝えています。
踊る曲を重ねるステージの中にも、言葉を一つずつ受け取ってもらう歌を置いているのです。
本人はこのツアーを控え、息切れしないよう、歌いながら配分を考える必要があるとも語っていました。
力を抜くところを探した再出発から、曲ごとの表情とステージ全体の配分を選ぶ現在へ。
伊藤蘭の歌唱変遷には、そのときの声で音楽を続けるための工夫が積み重なっています。
地声と裏声の使い方や、無理をしない歌の考え方は、伊藤蘭の歌い方で詳しく扱っています。







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