『すずめ』の録音では、歌詞の気持ちから少し離れるように言われた。
四十五年後の新曲では、自分の気持ちを入れなければ自分の歌にならないと助言された。
増田惠子の歌唱には、正反対にも見えるこの二つの経験があります。
どちらも、自分の声で、その曲をどう届けるかを探した結果です。
ピンク・レディーのケイからソロ歌手へ進んだ時、そして長い年月の先で新しい曲に向き合った時。
声の持ち味をどう受け止め、表現の方法を選んできたのでしょうか。
『すずめ』で、二人の歌から自分の声へ
1981年三月、ピンク・レディーは解散しました。
同年十一月、増田惠子は、中島みゆきが作詞・作曲した『すずめ』でソロデビューします。
本人が望んで実現した提供曲でしたが、録音は簡単には進みませんでした。
その希望のもとにあったのは、桜田淳子が『しあわせ芝居』を歌う姿でした。
中島みゆきの描いた切ない世界が、別の歌手の声で胸へ飛び込んでくる。
本人は2024年の取材で、その経験から、自分もソロならこういう曲を歌いたいと願うようになったと話しています。
『すずめ』は、自分で進みたい方向を選び、望んで手にした曲だったのです。
2026年のクランクイン!の取材で振り返ったのは、中島の弾き語りによるデモの存在です。
その歌が強く頭に残り、自分なりに歌おうとしても、どうしても中島のまねになってしまう。
長く二人で歌ってきた歌手が、一人の声を前へ出す最初の録音で、別の歌手の表現に引き寄せられていたのです。
そこでディレクターから受けたのは、歌詞の意味を考えず、ほかのことを思いながら、さらりと歌ってみるという指示でした。
その方法で歌ったところ、録音にOKが出たと話しています。
強く感情を込めることが、必ずしも自分の声を生かすことではない。
ソロの出発点で、彼女はその難しさに出会いました。
1981年の原盤を用いたリマスター音源。

画像出典:写真掲載元
声にある憂いへ、重さを足しすぎない
なぜ、さらりと歌うことが必要だったのでしょうか。
2024年の日刊スポーツの取材で、本人は、自分の声をハスキーで太く、哀愁があると説明しています。
『すずめ』では、その声でさらに重く歌うと、曲の切なさが強くなりすぎると指摘されました。
自分は心情を伝えたくて歌手になったのに、歌詞の気持ちを考えないよう求められる。
本人にとって、軽く歌うことは、簡単な注文ではありませんでした。
それでも、別のことを考えて歌ったテイクを聴き直すと、その指示の意味が分かったと振り返ります。
声そのものが既に持っているものを、歌手自身が知る。
そのうえで、どこまで感情を足すかを選ぶ。
『すずめ』は、一人で歌うようになったというだけでなく、自分の声を他人の歌い方から切り離して扱う、重要な経験になりました。
その感覚は、テレビで歌うときの立ち姿にもつながりました。
増田は2026年のRe:minderの取材で、マイクを持たない手をポケットに入れていたことを振り返っています。
歌の世界へさりげなく入っていくための、自分なりの振り付けだったそうです。
大きく踊ってきた歌手が、一つの仕草で、感情を入れすぎない歌い方を支えていました。
その後も曲を提供した作家の世界を大切にしつつ、まねに終わらず、自分を前へ出すことを心がけたと話しています。
『すずめ』で得た経験は、この一曲だけの録音のコツにはとどまりませんでした。
2022年、後年の声に見いだされた優しさ
長く歌い続けた後、声への評価にも変化がありました。
2022年のRe:minderの取材で、増田が紹介したのは、ピンク・レディー時代から仕事で関わる川原伸司から受け取った言葉です。
昔の声には絶望的な表現の魅力があったが、今は自然な生き方が優しい声に現れている、という評価でした。
それまでの声の良さを認めながら、後年の声には違う魅力があると受け止めています。
四十周年アルバム『そして、ここから…』の制作には、そうした考えが重なりました。
この作品は、増田が新曲を一曲でも出したいと望んだところから始まりました。
制作が広がり、五曲の新曲を届けるアルバムになったのです。
長く支えてきた作り手が受け止めた今の声で、新しい歌を歌う機会でもあったのです。
そのアルバムの新曲『Del Sole』については、歌っていると元気になれる一方、息継ぎの場所が少なく、歌うのが難しいとも話しています。
優しい声という評価を得た時期にも、声を出す身体には、新しい曲ごとの課題がありました。
持ち味を受け入れることと、歌えるように取り組むことは、同じではないのです。
2022年の公式映像(短縮版)。
五曲の中で、録音に最も時間がかかったと語ったのは『こもれびの椅子』でした。
アルベルト・ピッツォによるピアノ曲の美しい旋律を聴いて、歌ってみたいと思ったものの、実際に声へ移すと難しかったといいます。
歌いたいと思う気持ちが強くても、それだけで表現が完成するわけではありませんでした。
一方、松井五郎の詞には、今の自分だから歌えるという実感がありました。
制作前の対話では、長く一緒に暮らす夫婦が、何もかも同じにしなくても、お互いを尊重して同じ方向を見られるという話をしています。
増田は完成した詞から、重ねてきた時間と、この先の時間を大切にする思いを受け取りました。
若いころの表情を再現するのでなく、今の自分が理解できる心情を歌う。
優しさを見いだされた声は、そうした新曲の世界とも結びついています。
『慕情』では、泣かずに歌うための視点を見つけた
感情との距離を考えたのは、『すずめ』の時だけではありません。
中島みゆきの『慕情』をカバーしようとした時にも、感情が入りすぎて、泣いて歌えなくなることがありました。
2024年の取材では、長く温めていたこの曲を、前年二月に初めてコンサートで歌ったと振り返っています。
どうして歌えるようになったのか。
2026年のクランクイン!の取材では、身近な人が経験した別れを思い、その気持ちを代わりに歌ってみようと考えたところ、泣かずに歌えるようになったと説明しました。
悲しい気持ちをなくすのではなく、誰の思いとして届けるかを定める。
本人の説明からは、そうした視点の置き方が、歌い続けるために必要だったことが伝わります。
その後、自身も夫との死別を経験し、この曲を夫へのラブレターのように歌いたいと語るようになりました。
同じ曲へ戻るたびに、そこへ込める思いも変わっています。

画像出典:写真掲載元
2026年の新曲では、自分の気持ちを込める
2026年八月、ソロ四十五周年の新曲『貴方は彼方へ』が発表されました。
増田の書いた手紙をもとに、竹原ピストルが歌詞とメロディーを作った曲です。
編曲は船山基紀が担当しました。
まず歌詞が届いたのは、前年のクリスマスイブでした。
自分の手紙が歌の言葉になったことに心を動かされ、四月末には竹原の弾き語りによるデモを受け取りました。
自分の思いが詞になり、旋律になっていく過程へ、初めから立ち会った曲です。
本人は、その一つひとつを忘れられない出来事として振り返っています。
今回も、最初から思うように歌えたわけではありません。
本人によれば、デモと一緒に歌おうとしても、初めは涙で歌えませんでした。
歌い重ねる中で、声に力が出てきたと感じています。
前向きに歌えるかもしれないと感じたのは、船山の編曲を聴いたときでした。
増田には、かつてパリで見たメリーゴーラウンドの情景が浮かび、大切な人と一緒に乗っているように感じられたといいます。
伴奏の録音では、演奏者にも思いを伝えるために仮歌を歌いました。
歌詞を一人で受け止めて泣いていた段階から、共演者と一緒に、どんな曲として届けるかを作る段階へ進んでいたのです。
録音に入る際にも、どこまで気持ちを込めるかに迷いました。
そこで船山から、この曲は本人のために書かれたのだから、本人の気持ちが必要だと助言されます。
増田は、口角を上げ、明るく歌う方法を選びました。
別れの歌を、悲しさだけで包まないための選択です。
『すずめ』では、感情を重ねすぎないことが自分の声を生かしました。
今度は、その人自身の思いを入れることが求められています。
それは昔の教えを忘れたからではなく、新しい曲が、自分に何を必要としているかを考えた結果なのでしょう。
新曲に向き合うために、発声を学ぶ環境も変えました。
2026年五月から、長く師事した先生に代わり、オペラとポップス、それぞれの分野の二人の先生に学んでいると語っています。
前の先生には三十年ほど教わっていましたが、今回は、新曲を歌う責任の大きさから、今のままではいけないと感じたそうです。
気持ちを込める表現と、その曲を支える声の準備。
その両方に取り組む制作でした。
歌唱の経験が増えても、新しい歌の難しさに合わせて学び方を選び直す。
増田惠子の声には、持ち味を大切にしながら、曲ごとに歌い方を問い直してきた歩みがあります。
声の太さやハスキーさ、軽く歌う工夫と日々の発声への取り組みは、増田惠子の歌い方でも取り上げています。







コメント