安倍なつみは、ソロ初期には、経験のない恋を歌の中で実感できずに悩んでいました。
後のミュージカルでは、自分とは違う人物になって歌うことに、表現の自由を見つけています。
さらに、その感情を録音に持ち込むと、今度は入り込みすぎないための調整が必要になりました。
ソロ初期の録音で感じた難しさ、舞台で覚えた役として歌う感覚、2014年の『光へ -classical & crossover-』で試した表現。
本人の証言から追うと、それぞれの経験が後の歌唱につながっていたことが分かります。
ソロ初期、一曲を自分のものにする難しさ
2003年8月、『22歳の私』でソロデビューした時、安倍はまだグループに在籍していました。
2008年のインタビューでは、当時はソロとしての意識が薄く、やるべきことに懸命だったと振り返っています。
一人で曲を歌うことと、自分の表現として引き受けることには、時間差があったのです。
その後の『恋の花』や『スイートホリック』では、歌い方の新しい課題にぶつかりました。
録音中に思うように歌えず、できる限り歌った上で、別の日に気持ちを入れ直して挑むこともあったといいます。
様々な曲を任される機会は、表現が増える喜びだけでなく、自分の歌の足りなさに向き合う時間にもなっていました。
難しい曲に向き合うたび、歌いたいイメージと録音で出せる歌の間に、課題が見つかりました。
ディレクターがよいと言ってくれても、本人は納得できず、どこがよかったのかと問い返したこともあったそうです。
中でも、2006年の『甘すぎた果実』は、本人が最も難しかったと挙げた曲でした。
年下の相手に恋をしながら素直になれない気持ちを、どう自分の歌にするか。
経験のない恋愛だったため、曲そのものの難しさに加え、歌の中に実感を持てないことにも苦労したといいます。
後に舞台で役の気持ちを歌うようになる前から、本人の経験だけでは捉えきれない人物を歌う課題があったのです。
2006年発売『甘すぎた果実』のMV。
2007年、自分で決めていた歌の枠が広がる
安倍が転機として挙げたのは、2007年の『息を重ねましょう』です。
この曲を受け取った頃から、もっと自由に自己表現していいと感じ、一曲ごとへの気持ちが変わったと語っています。
自分で思っていた「なっちらしさ」の枠を広げていく時期でした。
同年の『Too far away ~女のこころ~』でも、カバーを自分の曲として届けることを意識しました。
本人が大切にしたのは、一つ一つの言葉を相手に手渡すような歌でした。
歌う曲の種類が増えたという経歴だけでなく、受け取った曲をどう自分から発するかが変わっています。
新しい歌を覚えて歌い切るところから、その言葉を自分の表現として届けるところへ。
2008年には、初めの頃に残っていた「やらされている」という感覚が、自分で望んで歌っているという意識へ変わったとも振り返っています。
一人で発した言葉も、表したものも、自分が引き受ける。
歌う責任を感じることが、そのまま歌う楽しさにつながっていきました。
2008年の舞台で、役として歌う感覚を知る
音楽劇『トゥーランドット』は、安倍が大きなきっかけとして繰り返し挙げる作品です。
それ以前にも舞台経験はありましたが、2008年のこの公演で、役を通じて求められることに応える面白さを強く感じました。
その背景には、卒業後もグループ時代のイメージで見られることへの苦しさがありました。
ソロとして進んでいるのに、以前の自分から抜け出せない。
そんな時、役を演じることが、自分以外の人物になってもよいという自由を教えてくれたといいます。
役への期待に応えたい気持ちが強くなり、毎日の稽古も楽しみになっていました。
2014年には、ミュージカルで身体や喉の使い方が違うことに加え、役に気持ちを重ねて歌うことが大きな違いだったと説明しています。
そしてポップスに戻ると、以前から歌っていた曲でも表現が少しずつ変わったと語りました。
舞台とポップスは、どちらかを選んで終わる関係ではなく、行き来することで歌に新しい材料を持ち帰る関係だったのです。

画像出典:写真掲載元
舞台ごとに求められるものは違い、音楽劇では歌唱指導の先生から学んできました。
一度覚えた方法で何にでも対応するのでなく、別の作品では、前に学んだやり方を見直すこともあったといいます。
歌唱の幅が広がるまでには、役の解釈と声の使い方を、その都度学び直す過程がありました。
2008年秋、歌う舞台を自分でも作り始める
同じ年の秋のツアー『Angelic』では、ライブの作り方にも変化がありました。
用意されたステージに立つ形から、選曲や衣装を決める段階へ入り、演奏者に編曲やメドレーのつなぎ方を相談するようになったのです。
いつもの曲が、編曲によって違う顔を見せることにも驚いたと語っています。
そこから出てきたのは、もっと自分の歌を磨かなければ、という思いでした。
一緒に演奏する人たちと音楽の話をし、知らなかったことを教わる。
本人が自分の言葉で歌おうとする意識は、周囲と相談しながら、その歌を届ける場まで作る姿勢へ広がっていました。
2014年、言葉を切る歌から、流れをつなぐ歌へ
『光へ -classical & crossover-』では、その経験をアルバムに残しました。
安倍が説明した歌い方の違いは具体的です。
ポップスではリズムに言葉を乗せていく一方、ミュージカルやクラシカルな曲では、長いフレーズの流れを途切れさせないことを意識しました。
本人は、長く伸ばした糸を重ねるようなイメージを持っていたといいます。
歌うジャンルの名前が変わっただけではありません。
単語ごとに区切る歌い方から、一続きの流れを作る歌い方へ、言葉と音楽の関係を捉え直しています。
同じ声でも、フレーズを組み立てる単位が変わったのです。
例えば『サリー・ガーデン~風と少女~』では、子守歌のような柔らかさを思い描いていました。
それまで慣れていたのは、リズムに合わせて言葉を区切り、何度も息を継ぐ歌い方です。
この曲では、その習慣を見直し、音に寄り添って歌全体が流れるようにしたと説明しています。
舞台で得た表現の幅は、強い感情を表す歌だけでなく、身近な相手へ優しく歌いかける曲にも生きていました。
2014年『光へ -classical & crossover-』収録音源。
ただ、舞台で身につけた表現を録音に持ち込む際には、調整も必要でした。
舞台ならちょうどよい感情が、録音では強く出すぎたり、入り込みすぎて涙が止まらなくなったりしたと振り返っています。
そのまま大きく表現すればいいのではなく、一曲の歌として届けるために、感情を整える課題も生まれました。
『夢やぶれて』と『光へ』で試した、一曲の歌の届け方
『夢やぶれて』では、東京フィルハーモニー交響楽団と、音と映像を同時に収録する録音に挑みました。
オーケストラを背に歌う緊張感の中で、曲を一つの流れとして届ける経験です。
当初、映像を作る予定だったのは『光へ』だけでしたが、録音の手応えから『夢やぶれて』も撮ることになりました。
クラシックのホールで、いつものハンドマイクもない。
音楽を背中で感じながら歌う環境に、自分を落ち着かせるだけでも精いっぱいだったと振り返っています。

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このアルバムでは、伴奏の録音にもすべて立ち会い、音が組み上がる過程を見てから歌を入れています。
すると、それまで気付かなかった楽器の音まで耳に入るようになり、どう歌を重ねるかを以前より考えたといいます。
舞台で仲間と一つの音楽を作った経験が、オーケストラを背に歌う作品を残したいという希望につながっていました。
書き下ろし曲『光へ』では、別の調整をしています。
恋愛の歌を多く受け取ってきた安倍にとって、愛や生きることを大きく扱うこの曲は、新しい夢へ進む自分を後押しするような歌でした。
最初は言葉を大切にしようとして感情を入れすぎ、もっとまっすぐに歌う方法を試したと語りました。
一曲を通して録音する中で、余分なものを削ぎ落としていったのです。
役の気持ちを深く理解することと、その気持ちを過剰に出さないことの両方が、歌の課題になっています。
2014年『光へ -classical & crossover-』収録音源。
安倍は、このアルバムを舞台上の発声で録音した初めての作品とも説明しました。
舞台で育てた声と、録音で届ける表現を結びつけたことが、2014年の大きな変化だったのでしょう。
その翌年、バースデーライブについては、長く応援してくれる人と一緒に楽しむ「なっち」の場を大切にしたいとも語っています。
新しい歌い方を学んだ後も、それまでの親しみやすさを残す選択がありました。
自分の経験にない歌の主人公を捉えようとしたソロ初期から、役の気持ちになって歌い、録音ではその感情を整えるところまで。
安倍なつみの変遷には、自分と歌の登場人物、そして聴き手との距離を、曲や場に合わせて選べるようになった道筋が見えます。







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