2012年、13歳の小田さくらが加入したのはモーニング娘。
「スッピン歌姫」オーディションで、約7000人の応募者からただ一人選ばれました。
ところが本人は後年、加入当時は音程に自信があった一方、リズムは弱かったと率直に振り返っています。
「歌がうまい」とは何を指すのか。
その答えを変えたのは、目立つソロパートではなく、先輩から引き継いだバックコーラスの仕事でした。
小田の歩みには、もう一つの転換があります。
ひとりでバラードを歌う機会が増えた後、期待に応えようとすることがつらくなり、自分から歌割りを減らしてほしいと伝えました。
歌を多く任されることだけが成長ではない。
初期の自信から、曲全体のリズムを聴くこと、そして歌える量を選ぶことまで、本人の言葉で変化をたどります。
2013年――歌える自信と、ささやく一行の難しさ
小田は、幼い頃から歌のレッスンを重ねてきた人ではありません。
2019年の取材では、スマイレージのオーディションで歌ったときが、初めてきちんと人前で歌う経験だったと話しています。
その審査には落ち、ハロプロ研修生を経て、11期メンバーになりました。
音程を取る感覚があったことと、歌手の仕事に慣れていたことは別だったのです。
加入翌年の2013年に発表されたのが「わがまま 気のまま 愛のジョーク」です。
小田は当時の取材で、この曲のささやくような歌い出しが苦手だと話しました。
息を多くすると声が小さくなる。
最後の「愛されたい」では、「た」から「い」へどうつなぐかにも迷う。
音程を取れるという自信があっても、短い歌割りには別の難しさがありました。
小さく聞こえればよいわけでも、音を外さなければよいわけでもない。
求められたのは、曲の中でその言葉が持つ表情でした。
最初から曲全体を任される以前にも、一行の中に考えなければならないことが詰まっていたのです。
のちのインタビューでは、加入時に自分のほうが歌がうまいと思っていた、とも打ち明けています。
ただ、そこで得意だったのは主に音程。
グループの曲に必要なリズムは、自分の弱いところだったと気づいたのです。
この時期を「最初から完成した歌手」と見ると、ひとつの言葉をどう置くか悩んでいた姿が消えてしまいます。
2016年――先輩のバックコーラスを引き継ぐ
鞘師里保の卒業後、小田が引き継いだのはシングルのバックコーラスでした。
小田自身が2019年に語ったところでは、2016年の「泡沫サタデーナイト!/The Vision/Tokyoという片隅」からその担当になりました。
コーラスの録音では、自分の声が伴奏の拍からわずかにずれるだけで、曲全体に影響します。
小田はそこでインストを集中して聴き、ドラムやベースに声を重ねる仕事を覚えたと振り返ります。
先輩が難しい歌を任されていた理由も、音程の正しさだけでなく、リズムを聴く力にあったのだと理解しました。
メロディーの裏側で曲を支えるコーラスを担当し、声を伴奏の中へ置く耳を育てたことが転機でした。
2013年に言葉の区切りで苦戦していた小田にとって、歌の一音を曲全体から考え直す経験になりました。

撮影:野田若葉/掲載元:non-no web
2019年――リズムを聴く耳を、会場ごとの歌へ使う
コーラスで伴奏へ耳を向けた経験の先には、ライブで「何が聴こえているか」を調整する仕事もありました。
2019年の取材で小田は、会場の響きや低音の聴こえ方によって、同じ曲でもテンポが遅く感じられることがあると説明しています。
そのときは、ギターやドラムの細かな音を聴き取りやすくしてもらう。
伴奏がどう届くかを確かめてから、声を重ねるための基準を整えていたのです。
ただし、聴き取りやすくなればすべて解決するわけでもありませんでした。
耳へ音が直接返るイヤーモニターでは、録音ブースのような感覚になり、CDと同じ歌い方へ近づきそうになるという悩みも話しています。
例に挙げたのは「愛の軍団」。
小田によれば、録音では明瞭さや的確さを意識し、ステージでは太い声で歌う曲でした。
観客がライブに求める歌と、耳に返る音に誘われる歌い方が、必ずしも一致しない。
だから、聴こえる音を整えたうえで、どの声を届けるかも選ぶ必要がある。
2013年に一行の歌い方で悩んでいた小田は、この頃には同じ曲を録音と舞台でどう歌い分けるかを考えていました。
「愛の軍団」の2013年MV。
2020年――一曲をひとりで歌う、別の難しさ
2020年には、公式チャンネルで「逢いたくていま」のソロカバーが公開されました。
同じ年にハロー!プロジェクトの公演「~The Ballad~」でも、メンバーがひとりでバラードを歌っています。
グループの短い歌割りや複数人のコーラスと違い、ひとりの歌では曲の始まりから終わりまで声を預ける相手がいません。
この経験について、小田は後の取材で、グループで大事にしてきた表現から一度離れ、新しいジャンルに触れたことが刺激になったと話しました。
一方、失恋の歌を練習中に感情へ入り込みすぎ、呼吸が乱れそうになったこともある。
次の課題は、気持ちを大きくすることではなく、気持ちと声を最後まで管理して歌うことでした。
2020年代前半――歌割りを減らす判断も、歌う仕事の一部に
バラードの評価が高まった頃、小田は「歌えて当然」と見られることに苦しんだと、2022年の取材で明かしています。
歌うことが楽しくなくなった時期があり、体調不良が続いて機能性発声障害の診断を受けたことも、本人が公表しました。
期待の重さが診断の原因だったと断定することはできません。
本人の話から確認できるのは、歌う喜びと体調の両方が揺らいでいたことです。
その後の「花鳥風月」の二度目のツアーでは、小田は自分から「歌えません」と伝え、歌割りを減らしてもらいました。
歌う量が少なくなる不安より、声の状態に合わせた選択で気持ちが軽くなった、と振り返ります。
多くのパートを担い続けることを責任と考えていたなら、この決断は難しかったはずです。
ここでは、続けて歌うために負担を調整することが、本人の選択になりました。

撮影:野田若葉/掲載元:non-no web
2025年――歌の評価を、自分一人の上手さから考え直す
2022年の取材時、小田は歌うことを再び楽しめていると話していました。
同じ取材で、ビブラートや高音のような分かりやすい表現だけでなく、所属グループが大事にしてきたリズムにも耳を向けてほしい、と語っています。
2025年の柏木ひなたとの対談では、加入後まもない14歳の頃、同い年の柏木の歌に自信を揺さぶられた経験も明かしました。
太く力強い声に憧れていた小田にとって、自分にないものを持つ相手だったのです。
一方の柏木は、小田の声の張りや艶に憧れていたと応じます。
二人がそれぞれに欲しかった声が違うというやり取りは、歌を一つの物差しで順位づけられないことをよく示しています。
その対談で小田は、自分の歌唱力を褒められる以上に、曲そのものをよいと言ってもらえることが嬉しいと話しました。
加入時の「自分のほうがうまい」という自信から見ると、評価の受け止め方にも変化がうかがえます。
自分の声を際立たせることだけでなく、その声で作品を届けることが喜びになっているのです。
加入当初は正しい音程に自信があり、2016年にはバックコーラスを通じて曲の土台を聴くようになりました。
2020年のバラードでは感情と声を制御する難しさに出会った。
その後には、自分の状態に合わせて歌う量を決めることも覚えました。
小田さくらの変遷は、単に歌声が強くなった歴史ではありません。
曲の中で声が果たす役割を広く捉え、自分がどう歌うかを選び直してきた過程です。
バラード一曲の中で感情と声をどう扱うかは、小田さくらの歌い方で詳しく扱っています。







コメント