小椋佳の歌唱変遷|思い通りに歌えた初舞台から、声の変化を受け止めるまで

ファイナル・ツアーを紹介する2022年の取材記事に掲載された小椋佳 シンガー
ファイナル・ツアーを紹介する2022年の取材記事に掲載された小椋佳

小椋佳自身は、昔のレコードを聴いて、当時の自分はどうしてあの声を出せたのだろうと思うことがあると話しています。
一方、初めてコンサートを開いた1976年には、思い通りに歌えていると実感する瞬間がありました。
この二つの言葉の間には、歌うことの喜びと、同じようには歌えなくなる難しさがあります。
初期の録音からファイナル・ツアーの時期まで、本人が歌声とどう向き合ってきたのかをたどります。

さらば青春 正規配信音源(1976年10月7日、NHKホール)

1971年のデビュー作——最初から歓迎された歌ではなかった

小椋佳の最初のアルバムは、1971年に発表した『青春〜砂漠の少年〜』です。
後に本人が振り返ったところでは、発売前の社内会議で、その歌は眠いと評され、一度は発売を見送られかけていました。
一方、担当ディレクターの多賀英典は、その声質と純粋な気持ちを世に出したいと考えていたと伝えられています。
小椋佳の歌手としての出発点には、同じ声を退屈と感じる人と、届ける価値があると感じる人がいました。

1976年の初舞台——歌と客席がつながった瞬間

それまで人前への出演を控えていた小椋佳は、1976年10月7日、NHKホールで初めてのコンサートを開きました。
この舞台では、冒頭に「しおさいの詩」、最後に「さらば青春」を歌っています。
録音を通して届いていた歌を、目の前の客席へ歌う機会でした。

1976年、NHKホールの初舞台で歌う小椋佳
1976年、NHKホールの初舞台で歌う小椋佳。
画像出典:写真掲載元

本人が長く覚えていたのは、歌の途中で、自分の思い通りに歌えていると実感したことです。
そのとき、客席から波が押し寄せてくるように感じたといいます。
耳に聞こえる音ではないのに、確かに受け取れるものがあったのでした。

ここで変わったのは、歌うことの手応えです。
レコードを作ったときの反応とは別に、歌っている最中に客席とつながる喜びを知りました。
本人が語る初舞台の記憶からは、歌唱の満足と、聴き手の存在が結びついたことが分かります。

2021年——昔の自分の声に驚くようになる

2021年、アルバム『もういいかい』を発表した年に、小椋佳は歌手活動の引退を考えていると話しました。
大きな理由として挙げたのは、長いステージを務める体力への不安でした。
さらに、歌うことが楽しくて仕方なかった若い頃に比べ、思うようには歌えなくなってきたとも語っています。

昔のレコードを聴くと、その声を出せた自分に驚くという話には、初舞台とは違う歌との距離が表れています。
かつては歌っている最中に思い通りだと感じられたのに、今は過去の声を自分でも不思議に思う。
本人は体力の問題に加えて、望むように歌うことの難しさも感じていたのです。

もういいかい 正規配信音源(2021年原盤)

2022年のツアー——声の変化を感じても、歌をしっかり届ける

ファイナル・コンサート・ツアー「余生、もういいかい」を続けていた2022年、小椋佳は、体力的にはしんどくても、公演を終えるたびに達成感があると話しています。
また、聴きに来た人がそれぞれの人生を思い起こせる時間にしたいと考えていました。
自身が果たすこととして挙げたのは、歌をしっかり歌うことでした。

初舞台では、思い通りに歌えた瞬間と客席の反応が、忘れられない喜びになりました。
後年のツアーでは、昔と同じように歌えないと感じた本人が、それでも聴き手の人生と歌を重ねる時間を大切にしています。
声についての自己評価が変わっても、客席へ歌を届けることには意味を見いだしていました。

余生、もういいかい 公式ダイジェスト(2022年1月9日・10日)

ファイナル・ツアーの後にも歌唱の機会はあり、2024年3月にはBunkamuraオーチャードホールでコンサートを開いています。
2026年の歌番組でも「夢芝居」などを披露しました。
歌を終えようと考えた時期が、そのまま歌わなくなった時期だったわけではありません。

小椋佳の変遷には、初舞台で知った喜び、昔の声との落差、そして変化を抱えながら歌を届ける姿があります。
本人が寂しげと感じている声や、言葉を伝えるうえで重視することは、小椋佳の歌い方で取り上げています。

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