長く歌ってきた曲を、もう一度録音する。
ばんばひろふみの2012年の「SACHIKO」には、曲の中で誰として歌うか、誰と声を重ねるかを考え直した変化がありました。
その前には、ヒット曲を歌えなくなった気持ちが、別のヒットによってほどけた経験もあります。
代表曲との距離、仲間と歌う喜び、歌唱の機会を控えながら続ける制作。
その時々に選んだ歌との付き合い方から、ばんばの歩みをたどります。
SACHIKO(1979年原盤、Sony Music Direct提供の正規配信音源)
「SACHIKO」が、以前の代表曲も歌える自信になった
バンバン時代の1975年、「『いちご白書』をもう一度」は大きな成功を収めました。
ただ、ソロへ進んだばんばにとって、その成功は、自分が次に何を歌うかという悩みにもつながっていたそうです。
2016年の取材では、あの曲を超える作品を作れるのだろうか、と考えていた時期を振り返っています。
その後に生まれたのが、1979年の「SACHIKO」です。
作詞を担当した小泉長一郎と、女性を応援する曲を作ろうと話していたといいます。
詞を受け取ってから旋律を作り、録音へ進んだこの曲がヒットしたことで、ソロの歌い手として自信を持てたそうです。
そして、それまで封印していた「『いちご白書』をもう一度」も、歌えるようになったと話しています。
以前のヒットを超えられるかという不安が、ソロでの手応えを得て変わった。
過去の歌を再び選べるようになった点にも、歌い手としての変化が表れています。
「いちご白書」をもう一度 バンバンの音源(1975年)
2012年、歌う立場が広がった「SACHIKO」
その「SACHIKO」も、年月を経て、同じ気持ちのまま歌う曲ではなくなりました。
若いころには兄や別れた恋人のような立場だった歌い手が、後年には父親や祖父のような立場にもなる。
ばんばは2012年の取材で、自分の年齢とともに、歌の中の人物との関係が変わったことを説明しています。
アルバム『メイド イン 京都』での再録は、ギラ・ジルカのライブに招かれた際の経験がきっかけでした。
竹中俊二によるサンバ風のアレンジで歌った手応えを、録音にも生かしています。
後半に子どもたちの合唱が加わり、大人の声も重なる形になりました。
ばんばは、これまで違う立場から歌ってきた「SACHIKO」が、その一曲に含まれたと捉えていました。
リズムと参加する声を変えたことが、長年歌うなかで広がった曲の理解と結びついています。
歌い慣れた曲にも、初めての曲にも、録音の課題があった
『メイド イン 京都』では、重い物語を持つ「霧雨の朝突然に」も歌い直しました。
長く再録してこなかった理由として、歌い手がどう表現するかの難しさを挙げています。
「SACHIKO」のように明るく開く曲ばかりではなく、容易には歌い直せない作品を引き受けた録音でもありました。
また、舞台で取り上げてきた「胸が痛い」は、どのように歌うかを思い描きやすかった一方、初めて挑む「北山杉」は、自分の歌にするまで苦労したそうです。
過去の自分の歌を受け止め直すことと、他の人の歌に自分との接点を見つけること。
この録音には、違う種類の挑戦が含まれていました。
2014年、五人で歌って感じたグループの喜び
2014年には、杉田二郎、堀内孝雄、高山厳、因幡晃と、ブラザーズ5としての活動が始まりました。
若いころにバンバンを組み、その後ソロを続けてきたばんばにとって、再びグループで歌うことには新鮮さがあったそうです。
当時の取材では、喜びも悲しみもグループで受け止める良さを語っています。
かつて一緒に活動した高山と、また同じ場で歌えることも、面白い経験として受け止めていました。
「この街で」などを聴いた取材者は、五人の声がそれぞれ違いながら一体感があり、ソロよりも優しい印象を受けたと伝えています。
ばんばは、声が集まることで変化が生まれていると応じていました。
誰と一緒に歌うかによって生まれる表情を、本人も感じていたことがわかります。
再録の「SACHIKO」で幅広い年代の声と重なった後、今度は長い経験を持つ歌い手同士で声を合わせる。
自分一人の歌を深めることと、仲間の声の中に入って歌うことが、活動の両側にありました。
この街で ブラザーズ5のミュージックビデオ(2014年6月発売作品)

画像出典:写真掲載元
2018年、普段とは違う選曲で歌い直す舞台へ
2018年のばんばは、普段は弾き語りやトリオで歌い、複数の出演者がいる公演にも参加していました。
そうした舞台では、歌える曲数に限りがあったり、客席と一緒に歌うフォークの名曲を選んだりすることがあります。
その年に用意した『All Time ばんばひろふみ』は、自分の歩みから自由に歌を選ぶ機会でした。
きっかけは、9月に神戸チキンジョージで行った、本人を含む八人のバンドでの公演です。
その手応えが、同じメンバーで次の舞台へ向かう自信になったと話しています。
京都公演では、普段は取り上げる機会の少ない『エンドレスナイト』のテーマ曲も歌いたいと考えていました。
同じヒット曲を長く歌い続けるだけでなく、しまっていた自分の歌を、再び舞台の候補に戻す。
この時期の変化は、編成の人数だけでなく、どの曲を聴き手へ渡し直そうとしたかにもあります。
ばんば自身も、年齢とともに音楽への向き合い方が変わり、周りの人に支えられて続けてこられたと振り返っていました。

画像出典:写真掲載元
2024年、歌唱を控えることと、制作を続けること
2024年3月、ばんばは加齢性難聴を公表し、耳の調子がステージやテレビでの歌唱に影響していると説明しました。
今までより歌唱を少し控えると伝える一方、音楽と向き合って発信し、新曲も制作していると明かしています。
同じ発表で始めたYouTubeチャンネルも紹介し、日常の話や音楽制作の過程を公開する考えを伝えました。
この選択には、聴き手に会う方法を、自分の状態に合わせて変える面があります。
ステージで歌う機会を調整しながら、作品を作り、その過程も届ける。
公演に立つことと、音楽を作って人に渡すことを、別々に考えて続けようとしていたのです。
ラジオ番組の最終回では、佐久間順平の「僕をひとりにしないで」をカバーしたデモ音源も紹介しました。
同年12月には、本人のYouTubeチャンネルで、この曲の制作への思いと歌唱を公開しています。
動画の説明によれば、以前からカバーしたかった曲で、佐久間に歌いたいと伝えてから長い時間を経て、形にしようとしていた作品でした。
3月の発表後にも、歌いたい一曲を選び、届ける取り組みが具体的に続いていたのです。
僕をひとりにしないで(2024年12月、本人公開映像)
「SACHIKO」でソロの自信を得て、以前の代表曲にも戻れたこと。
同じ「SACHIKO」を、別の立場や声の重なりから歌い直したこと。
グループやバンドで歌う時間を重ねた後、歌唱の機会を控えながら、新しいカバーを形にしたこと。
ばんばひろふみの変遷には、その時の自分にとって、歌をどう持ち続けるかという選択があります。
曲によって異なる声の柔らかさや歌唱の重さについては、ばんばひろふみの歌い方で取り上げています。







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