加藤登紀子の歌い方|低い声を生かす高さと、会話の一言に込める感情

加藤登紀子の取材写真(2025年、撮影:田辺虎太朗) シンガー
加藤登紀子の取材写真(2025年、撮影:田辺虎太朗)

加藤登紀子の低い声は、本人が自分に合う高さを見つけてきた声でもある。
同時に、加藤は自分の中に、高い声や細い声、弱い声もあると書いている。
一つの声色に決めて歌う人、と考えると、その選び方を見落としてしまう。
声の出しやすい高さ、歌う体の整え方、何気ない言葉に置く感情から、加藤登紀子の歌い方を見ていきたい。

「難破船」(2015年・NHKホール公演の正規ライブ音源)

声に合う高さを、自分で見つける

加藤が高校時代に教わったのは、譜面を自分の声に合うキーへ移し替えることだった。
教科書にある高さが合わず、音楽の成績は悪かったという。
先生は、譜面を書き直して、どの高さが合うか探すよう促した。
歌い直した後で、いいアルトだと認められた。

この経験では、歌う音の高さを選び直したことで、自分の声の良さが見えてきた。
加藤の低い声を考えるとき、その人に合った高さで歌えることは、大切な前提になる。

声の高さを選び直す考え方は、持ち歌を録音するときにも表れている。
2025年に「時には昔の話を」を再録した際、加藤は、以前の録音には今の自分からすると少し甘い印象があり、ステージで歌っている現在の形を残したかったと説明した。
キーも以前と変えているという。
ただ低くすればよいのではなく、そのときの自分が、どんな表情で言葉を届けたいかと高さの選択が結び付いている。

高さも太さも、いくつもの声がある

公式サイトの文章で、加藤は、高い声と低い声、細い声と太い声、強い声と弱い声が自分にもあると述べている。
声の高さに加えて、太さや強さにも違いがあることを、本人が捉えている。

かすれたり、ひび割れたりした声でも、人に言葉を届けようとする声は強い、と加藤は考えている。
ここでいう強さは、声の大きさだけでは説明できない。
どんな声色を選び、その声で何を伝えるかまで含めて、本人は歌を捉えている。

自分の声に向き合う前提には、好きになれなかった声を認め直した経験もある。
子どもの頃に録音を聴いたときは、低く、ざらついて聞こえた自分の声に失望したという。
ところが、ダミアの低いしゃがれた歌声に接したときには、その深さや温かさにひかれた。
声の滑らかさだけを良さの基準にしなくなると、低さやざらつきも、言葉の表情として受け取れるようになる。
加藤がいくつもの声を認めていることには、そのような聴き方の変化も重なっている。

声を出すときの、立ち方への意識

加藤は2025年の取材で、立ち方を意識して続けたところ、前より声が出ていると言われるようになったと話した。
膝を曲げると痛むため、脚を伸ばし、踵を床に着け、肩甲骨の辺りに力を入れて、体を持ち上げるように立つことを意識したという。

これは、加藤が自分の体に合わせて工夫してきた経験だ。
自分で声の調子を整えられるという言葉の背景には、こうした日々の取り組みもある。
訓練を始めた時期と、その後の歩みは、加藤登紀子の歌唱変遷でたどっている。

日常の中で声を出すことについては、裁縫をしていたときの話も面白い。
2023年の『婦人公論』では、発声練習をしながら縫い物をしていて、糸がもつれ、思わず驚きの声を上げたら、いい声が出たと語っている。
それ以来、その一言を声にしながら裁縫するのが習慣になったそうだ。

整った音を出そうとする場面だけでなく、とっさに口から出た言葉にも、本人は声の手応えを見つけている。
これは、会話の短い言葉に感情を置く歌い方を考えるうえでも、印象に残る話だ。
声を出す体を整えることと、言葉に自然に気持ちが乗ることの両方へ、加藤の関心が向いている。

加藤登紀子の取材掲載写真(2025年、USEN encore)
加藤登紀子の取材掲載写真(2025年、USEN encore)。
画像出典:写真掲載元

「そうだね」と「たかが」に、感情が出る

2025年の江﨑文武との対談で、加藤は、日本語の日常会話を意識して歌っていると説明した。
加藤が注目するのは、いきなり本題を言わず、さりげない前置きから話し始めるところだ。
「だから」や「でもね」と切り出す時点で、話し手の気持ちは動いている。
歌でも、その短い言葉に感情を込めるという。

「時には昔の話を」なら「そうだね」。
「難破船」なら、冒頭の「たかが」。
前者は相手の言葉を受ける一言、後者は物語を始める一言だ。
何が起きたかを説明する前の、相づちや切り出し方から、その人の気持ちを歌おうとしている。

加藤は以前にも、制作側から出だしで強くつかむことを求められても、自分は順番に語りかけるタイプだと話している。
話を聴く人が、気持ちを向ける時間も大事にしたい。
その一方で、最初にどの言葉から切り出すかは重要だとも考えている。

自分で書いた歌でも、意味を一度決めたら終わりではない。
加藤は、作り手の自分から歌い手の自分へ作品を渡すと、言葉の向こうに別の世界が見えたり、思っていなかった意味が現れたりすると説明している。
作ったときの気持ちを再現するだけでなく、歌い続けることで言葉の感じ方が育っていくのだ。
だからこそ、何気ない前置きにも、その日、その曲を歌う人の感情が宿るのだろう。

伴奏と一緒に録ることで、歌の時間を共有する

語りかけるような歌は、一人だけで完成するものでもない。
2025年の「時には昔の話を」は、江﨑文武のピアノ、常田俊太郎のバイオリン、村岡苑子のチェロと同時に録音された。
各自は別々のブースに入り、互いの顔は見えていなかったという。
江﨑は加藤の歌に引っ張られた感覚を語り、録り終えた後には、全員が同じテイクを選んだと振り返っている。

会話のように歌うということは、伴奏から自由に離れてよいということでもない。
言葉の流れを周囲の演奏者も受け取り、一緒に曲の時間を作っていく。
この録音の証言を踏まえると、声だけでなく、歌と楽器がどのようにフレーズを受け渡しているかにも耳を向けたくなる。

客席の反応を受け取りながら、言葉を届ける

加藤が語りかける相手は、録音の向こうの聴き手だけではない。
2023年の取材では、ステージから、ある歌詞で顔を上げた人の反応がわかると話している。
客席との距離が縮まるにつれ、音楽を通じて気持ちを通わせる感覚が生まれたという。
歌い手が言葉を届け、聴いた人の表情が変わる。
その小さなやりとりも、公演の歌を支えている。

公式サイトに掲載された2018年のオーチャードホール公演の記録では、「百万本のバラ」で会場が一緒に歌う場面が描かれている。
加藤が客席へマイクを向けて任せる形ではなく、自分も歌いながら、観客の声が重なっていたそうだ。
低い声の存在感で聴かせる場面と、周囲の人がその歌に加わっていく場面。
両方があるところにも、加藤の歌が会話や呼びかけとつながっていることが表れている。

加藤登紀子の歌い方は、声の高さや太さを選ぶことと、言葉のどこへ感情を置くかを選ぶことがつながっている。
低い声に注目して聴き始めたときも、短い相づちや歌い出しまで耳を向けると、本人が語る歌い方を曲の中で確かめられる。

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