栄喜さんの歌声というと、真っ先に思い浮かぶのはSIAM SHADEの鋭いハイトーンでしょう。
しかし本人の言葉をたどると、意外な事実が見えてきます。
2025年の大阪城ホール公演では、代表曲を丁寧に「歌う」前半に鎧や足かせのような感覚があり、激しい曲へ移ると「ここからは楽」と感じたそうです。
普通なら、高く激しく歌うほど苦しいはずです。
栄喜さんの場合は、攻撃的なリズム、観客との応酬、身体ごと前へ出る表現がそろった時に、むしろ歌声が本来の居場所へ戻ります。
この記事では、高音を地声かミックスボイスかの二択で決めるのではなく、なぜ栄喜さんの声は「攻める曲」で自然になるのかを、本人の発言と公表された記録から整理します。
栄喜が苦しかったのは、激しい曲ではなく「きれいに歌う時間」だった
大阪城ホール公演の前半には、「RAIN」「1/3の純情な感情」「曇りのち晴れ」など、旋律と言葉を前面へ出す曲が並びました。
栄喜さんは、この時間を歌うことへ強く意識を向ける必要がある選曲だったと振り返っています。
後半に「1999」「D.Z.I.」「GET A LIFE」のような激しい曲が続くと、感覚は反転しました。
本人にとっては、音程を一つずつ整えて見せることより、バンドの大きな推進力へ飛び込む方が自然だったのです。
ここでいう「楽」は、簡単という意味ではありません。
声量、音域、持久力のどれを取っても負荷の大きい曲です。
それでも、発声だけを単独で管理する必要が薄れ、リズム、身体、言葉、観客への呼びかけが一つの行動になるため、本人らしい歌い方へ戻れるのでしょう。
SIAM SHADEの高音は、声だけで完成しない
SIAM SHADEの楽曲は、複雑な演奏と高い旋律が同時に走ります。
そこで栄喜さんの声だけを滑らかに整えすぎると、演奏の熱量から歌が離れてしまいます。
公演記録では、ハスキーな声、ラップに近い言葉の運び、長く伸ばす音、観客との掛け合いが一つの流れとして紹介されています。
これは「高い音を当てる」という説明より、栄喜さんの役割をよく表しています。
一音の美しさだけでなく、次の一音へ観客を連れていく勢いまでが歌唱です。
高音は曲の頂上に飾られる音ではなく、バンド全体が加速した結果として現れます。

強い高音を「全部地声」で説明すると、大事な違いが消える
栄喜さんの高音は、太さと鋭さが同居して聞こえるため、「地声のまま押し上げている」と説明されることがあります。
一方で、音域を調べた第三者資料では、ミックスボイスを使う歌手として扱われています。
この二つは、必ずしも矛盾しません。
高音は曲、母音、音量、語尾の長さによって声の使い方が変わります。
外から声帯の状態を確認できない以上、全曲を一つの声区名へ押し込める方が不自然です。
栄喜さんらしさは、声区の名称よりも、弱く逃げずに言葉の芯を残す点にあります。
「1/3の純情な感情」のように旋律を聞かせる曲でも、「PASSION」のように前へ攻める曲でも、歌詞が演奏の奥へ引っ込まない。
この輪郭が、強い地声感として受け取られる大きな理由です。
大きな声は、それだけで言葉が明瞭になるわけではありません。
音量を優先すると母音ばかりが長くなり、子音や言葉の切れ目が演奏へ溶けることもあります。
栄喜さんの歌唱では、速い箇所でも言葉の立ち上がりが曲のリズムを作る役として扱われています。
公演記録でラップ的な運びが注目されたのも、この性質とつながります。
旋律を美しく伸ばす場面と、短い言葉を打楽器のように置く場面が同じ歌手の中にあるため、強い声が一枚の壁になりません。
ハイトーンの派手さを支えているのは、実は高音へ入る前の言葉の細かさです。
Toshlさんの高音と比べると、同じロック系ハイトーンでも役割の違いが分かります。
Toshlさんの声が長い旋律を空間へ突き抜けさせる場面で強いのに対し、栄喜さんの声は演奏の刻みへ食い込み、曲を前進させる場面で個性が際立ちます。
KAZUMAとのツインボーカルが、栄喜の声を一人芝居にしなかった
SIAM SHADEでは、KAZUMAさんとのツインボーカルも重要です。
ライブレポートには、一文字ずつ言葉を受け渡すような掛け合いまで記録されています。
栄喜さんがすべてを一人で歌うなら、強いハイトーンは長く続く独演になりかねません。
もう一人の声が入ることで、栄喜さんは歌い切るだけでなく、譲る、待つ、返す、さらに強く出るという選択を持てます。
この関係があるから、声量の大きさが単調さになりません。
高音の前後に別の声が差し込まれ、栄喜さんの一声が登場するたびに場面が切り替わります。
「1/3の純情な感情」だけでは、栄喜の本領を半分しか見られない
「1/3の純情な感情」は、SIAM SHADEと栄喜さんを広く知らしめた曲です。
旋律の切なさと言葉の届き方を考えるうえで欠かせませんが、この一曲だけで歌い方を判断すると、本人が「楽」と感じる領域が見えにくくなります。
「PASSION」では、鋭い声がバンドの速度と結びつきます。
「NEVER END」では、高音を長く保つ力と大きな曲の展開が前に出ます。
「1999」や「GET A LIFE」では、歌唱と叫び、リズム、観客への働きかけの境界が薄くなります。
曲ごとに違う発声法を当てはめているというより、何を前へ押し出すかが変わっています。
旋律を届ける曲では言葉の線を保ち、激しい曲では身体の反応まで声へ含める。
その切り替えを知ると、代表曲の印象だけでは説明できなかった栄喜さんの幅が見えてきます。

荒さと不安定さは同じものではない
ファンの記録を読むと、栄喜さんの声量、伸び、会場を押す力を称える見方が多くあります。
一方で、公演や時期によって歌が不安定に感じられたという記録もあります。
どちらか一方だけを採用すると、栄喜さんの歌唱は美談か欠点の一覧になってしまいます。
実際には、SIAM SHADEの曲が高い音域と強い演奏を長時間要求すること、本人がきれいにまとめるより熱量を優先する場面があることを分けて考える必要があります。
荒い声色は表現として選べますが、音程や声の状態が毎回同じとは限りません。
激しさを評価することと、すべての歌唱を無条件に安定していると断定することは別です。
この揺れまで含めて見る方が、栄喜さんが長く難曲を歌い続けてきた事実の重さが伝わります。
同時に、録音版とライブを同じ条件で比べることもできません。
ライブでは長いセットリスト、会場の大きさ、観客との応酬が加わり、曲単体の録音とは役割が変わります。
一音の精密さだけを採点する見方では、栄喜さんがステージで引き受けている仕事の半分しか見えません。
反対に、会場の熱さだけですべてを正当化すれば、声の状態や歌の違いを考える余地がなくなります。
整っているか、熱いかという二択ではなく、その日にどちらを優先した歌唱だったのかを見ることが、栄喜さんの記録を面白くします。
真似するなら、かすれ声ではなく「曲へ入るスイッチ」を探す
栄喜さんへ近づこうとして、喉を締めて声をかすれさせたり、大声で高音を押し上げたりするのは危険です。
本人のハスキーな音色やシャウトを、短い手順で安全に再現できるとは限りません。
参考にできるのは、曲によって自分の身体が自然に動く条件を知る姿勢です。
旋律を丁寧に追うほど固くなる人もいれば、速いリズムに乗ると余計な力が抜ける人もいます。
栄喜さんの発言は、「苦しいならもっと発声を管理する」という考えだけが答えではないと教えてくれます。
高音で力みやすい原因を確かめる時も、首や顎だけでなく、曲のテンポや言葉の置き方まで見直すと原因を切り分けやすくなります。
痛みや強いかすれが出た場合は、ロックらしい音として続けず、発声を中止してください。
栄喜のハイトーンは、攻めた時に「歌うことを忘れられる声」である
栄喜さんの高音は、単に地声が強い、音域が広い、シャウトが得意という部品の集まりではありません。
バンドの速度、KAZUMAさんとの受け渡し、観客の反応、身体の勢いがそろった時に、声だけを管理する感覚から解放されます。
だから激しい後半ほど本人は自然になり、難しい曲が「ここからは楽」という感覚へ変わります。
強いハイトーンの正体は、喉の使い方一つではなく、自分が最も本気になれる曲の中で声の役割を迷わないことです。
初期の鋭い声からDETROX、ソロ、栄喜道、30周年へ、その役割がどう変わったのかは、栄喜さんの歌唱変遷で詳しくたどります。
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