高田渡さんの歌は、うまく歌おうとしていないように聞こえます。
声を張らず、音を長く伸ばさず、話の途中で旋律が生まれたように一節を置く。
その姿から「酔ってぼそぼそ歌う人」という印象だけが残ることもあります。
しかし、高田さんの歌唱力は、その力の抜け方にこそ表れています。
派手な声で言葉を持ち上げるのではなく、言葉の高さまで音楽を下ろす。
すると借りてきた詩も、外国から来た旋律も、東京の狭い部屋で誰かが話している今日の歌になります。
高田渡さんは歌を小さくした人ではありません。
歌手が前へ出るほど見えにくくなる生活を、声の後ろから現れさせた人です。
「酔って歌う人」の物まねでは届かないもの
高田さんについて語られる時、酒とステージでの居眠りは避けて通れません。
本人の逸話として事実である一方、その印象はあまりに強く、歌い方まで「酔ったつぶやき」として片づけられがちです。
長く共演した佐久間順平さんは、高田さんをまねる人の多くが、酒に酔ったような節回しばかりを強調すると振り返っています。
けれど、そこで似るのは表面です。
語尾を崩し、声を弱くし、拍から遅れて入るだけでは、高田さんの歌が持っていた妙な明るさは出てきません。
高田さんの声は、沈んでいるようでいて、伴奏の歩幅を失いません。
言葉を急がず、ギターや弦楽器が作る小さな弾みへ置いていく。
だから暗い題材でも、聴き手を感傷の底へ押し込まず、少し離れた場所から眺めさせます。
たとえば貧しさや失業を歌っても、「かわいそうな私」を大きく演じません。
困った生活と、そこにある可笑しさが同時に残る。
悲しい歌を悲しい顔だけで閉じないことが、高田さんの歌を何度も聴けるものにしています。

歌声を目立たせないことで、言葉が前へ出る
歌唱力という言葉からは、広い音域や大きな声量を想像しがちです。
高田さんは、その競争に参加していないように見えます。
声は太く飾られず、節回しも必要以上に滑らかではありません。
一行を歌い終えると、次の言葉が来るまで空白を残す。
そのため聴き手は、声の技巧より、いま発せられた一文を考える時間を持てます。
高田さんが歌った言葉には、自作だけでなく、山之口貘さんや添田唖蝉坊らの詩もあります。
他人の言葉を扱いながら、朗読会のような堅さにはなりません。
詩を高い棚から下ろし、コーヒーや自転車、長屋や魚釣りのそばへ置き直すからです。
ここで重要なのは、詩にメロディーを付けたことだけではありません。
難しそうな一節を「自分も普段こう言っている」と思える声に変えたことです。
歌手が意味を説明しきらず、言葉が聴き手の暮らしへ入る余地を残しています。
三上寛さんが一つの言葉を声で変形させ、その夜の情景を作る歌手だとすれば、高田さんは言葉の形をなるべく壊さず、置く場所を変える歌手でした。
三上寛さんの歌い方と比べると、同じ「語りに近い歌」でも、声が担う仕事の違いが見えてきます。
「古く聞こえる声」は若い頃から作られていた
高田さんは若い頃から、実際の年齢よりずっと年上に見られました。
同世代の音楽家でさえ、最初は大先輩だと思ったという話が残っています。
これは後年になって声が枯れ、偶然できた個性ではありません。
若い時から、流行の若者らしさを競う舞台の外に立っていました。
力強く未来を宣言する声ではなく、ずっと暮らしてきた人が昨日の続きを話すような声を選んだのです。
その選択によって、歌の中の時間が伸びました。
二十代の歌手が歌っているのに、何十年も前の俗謡や海外のフォークが不自然に聞こえない。
同時に、古い型を保存しているだけでもなく、当時の東京の生活として聞こえます。
「若い歌手が古い歌を歌う」という距離を、老成した声と間が埋めていました。
後年の高田さんが若い頃と地続きに聞こえるのは、年齢が個性へ追いついたからでもあります。
日本のフォークというより、世界の路地裏を歩く音楽だった
高田さんは「日本のフォークの代表」と紹介されます。
もちろん間違いではありませんが、その呼び方だけでは音楽の色が減ってしまいます。
息子の高田漣さんは、父の評価が歌詞へ偏り、音楽そのものの多彩さが見落とされていると語っています。
高田さんの背景には、アメリカのフォークやカントリー、マウンテンミュージックだけでなく、ヨーロッパやキューバの音楽までありました。
『ごあいさつ』では、はっぴいえんどをはじめとする演奏家が加わり、ギター一本の粗い記録とは違う色を持たせています。
弦楽器が軽く跳ね、管楽器が横から入ると、高田さんの低い声は重くなるどころか、街角を歩く人のように見えてきます。
ここに高田さんのリズム感があります。
声だけを聴けば無造作なのに、周囲の音楽と合わせると居場所が正確です。
拍を強く示さず、伴奏へ乗りすぎず、それでも歌が取り残されない。
音楽を知り尽くしたうえで、知らない顔をしているような歌い方です。

声を張らないのに、歌が弱くならない理由
高田さんは、高音や声量で客席を圧倒するタイプではありません。
それでも一人で歌い始めると、会場の注意が声の方へ集まります。
理由の一つは、言葉を全部同じ強さで扱わないことです。
文の頭を急に大きくせず、本当に残したい語の前後へ間を置く。
語尾を美しく伸ばす代わりに、言い終えた後の沈黙へ意味を渡します。
もう一つは、感情を先回りして指定しないことです。
歌手が泣けば、聴き手は歌手の悲しみを受け取ります。
高田さんが淡々としていれば、聴き手は歌われた人の暮らしを自分で想像できます。
小さな声が強くなるのは、感情が少ないからではありません。
聴き手の感情まで歌手が使い切らないからです。
この余白は、浅川マキさんの歌い方にも通じます。
ただし浅川さんが夜の暗がりへ言葉を沈めるのに対し、高田さんは昼間の路地や台所へ言葉を残します。
「生活の柄」が世代を越えたのは、完成させすぎなかったから
高田さんの没後も、「生活の柄」は多くの音楽家に歌い継がれています。
若い聴き手が映画やカバーをきっかけに原曲へ戻り、自分の歌として覚えていきました。
歌い継ぎやすいのは、旋律が親しみやすいからだけではありません。
高田さん自身の感情や技巧で曲を塗りつぶしていないため、別の人の声が入る場所が残っているのです。
本人の歌では、人生の教訓を言い渡すようには聞こえません。
ひとまず今日を過ごしてきた人が、ぽつりと続きを話す。
その未完成さが、聴く人の年齢や生活に応じて意味を変えます。
高田さんの声がどのようにしてこの場所へたどり着いたのかは、高田渡さんの歌唱変遷で年代順に整理しています。
高田渡の歌唱力は、歌手を消して生活を残す力にある
高田渡さんの歌い方を、酔った声や朴訥な歌唱だけで説明すると、最も面白い部分を取りこぼします。
言葉を声の技巧で持ち上げず、日常の高さまで音楽を下ろす。
古い詩や海外の旋律を、いま誰かが暮らす路地の話へ変える。
感情を説明しきらず、聴き手が入り込める余白を残す。
そのため、歌手本人は前へ出ているのに、聴き終えた後には自転車やコーヒー、狭い部屋や夕暮れの方が鮮明に残ります。
歌っていないように聞こえるのは、歌が足りないからではありません。
歌手が目立つための動作を一つずつ手放し、生活そのものが聞こえるところまで声を引いたからです。
その静かな引き算こそ、高田渡さんにしか作れなかった歌唱力でした。






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