『21』の制作でアデルが残そうとしたのは、整った声だけではありません。
その時にしか出ない歌の勢いも、録音の一部にしました。
ところがアルバムの発表後、声の不調で手術を受け、回復したばかりの声を「新しい声」のようだったと振り返っています。
後の『30』では、いつも声を張り上げなくてもよくなった、と本人は話しました。
その変化は、手術前後の声の強弱だけでは説明できません。
アデルが歌に使う声の種類と、その声に託す気持ちが変わっていきました。
2008年|憧れた歌手の発音から、自分が書いた言葉へ
アデルは2009年の取材で、かつてはビヨンセのように歌おうとし、デスティニーズ・チャイルドの曲を繰り返し歌ったと話しました。
エラ・フィッツジェラルドからも歌を学び、当時はアメリカの歌手に影響された発音になっていたそうです。
変わったのは、自分で曲を書き始めたころでした。
イギリスで暮らす自分の言い回しを、アメリカ風の発音で歌うと、本人には不自然に感じられたのです。
16歳で書いた「Hometown Glory」は、2008年のデビュー作『19』にも収められました。
好きな歌手に似せるより、自分の言葉に合う歌い方を探すことが出発点になりました。
アデルはその取材で、『19』を誇りに思いながらも、自分の声を見つける仕事は30歳になっても続くだろうと話しています。
歌声を高く評価される一方、曲作りはまだ追いついていないという批評にも、本人はうなずいていました。
声の使い方ほどには、曲を書く技術を身につけていないと感じていたのです。
だから次に望んでいたのは、歌手として褒められることだけではありません。
作詞作曲や楽器の腕を上げ、よりよい作品を作ることでした。
すでに強い声を持っていたからこそ、その声で何を歌うかが課題になっていた時期です。
後のアルバムで歌詞と歌い方が結びついていく背景には、デビュー当時から続くこの問題意識があります。

写真:CHRISTOPHER MACSURAK/切り抜き:Truu / CC BY 2.0
2010~11年|録り直しても戻らない勢いを、作品に残した
次の『21』では、声を整えることより、歌が生まれたときの勢いを残す選択がありました。
「Rolling in the Deep」を作ったポール・エプワースによると、初期の歌を後から録り直しても、最初の録音が持っていた生々しさは再現できませんでした。
曲の中心になったのは、磨き直した声ではなく、その時点の気持ちが残る歌です。
「Someone Like You」では逆に、二日目のざらついた声で最後のサビを録り直しました。
最初の歌を残した曲と、後から録り直した曲で手順は違いますが、どちらもその歌に必要な表情を選んでいます。
「Someone Like You」の最後のサビと、「Hello」の静かな呼びかけが一曲の中で何を伝えるかは、アデルの歌い方で詳しく扱っています。
ここでは、その後の録音で選ぶ声がどう変わったかをたどります。
2011~12年|手術の後、「同じ声に戻す」だけではなかった
『21』を発表した2011年、アデルは声の不調で公演を中止し、声帯の手術を受けました。
翌2012年のグラミー賞では「Rolling in the Deep」でステージに戻っています。
この出来事を、手術の前後で歌の優劣を決める材料にはできません。
ただ、本人にとって声が変わったことは確かでした。
2015年にBBCで振り返ったとき、回復直後は声が非常に澄み、まるで新しい声になったようだったと話しています。
以前より高くも低くも歌えると本人は感じた一方、慣れ親しんだ声の表情が戻るには時間がかかったとも述べました。
『21』に残した生々しさを、そのまま再現することだけが次の歌の目標ではありませんでした。
その間に録音した2012年の映画主題歌「Skyfall」については、別の理由も本人が明かしています。
妊娠中に声が普段より低くなり、この曲を低い高さで歌ったというのです。
『21』との違いをすべて手術のせいにはできません。
そのとき歌える高さを選んだ一曲として、この時期の声を残しています。
2015年|一人の声を、主旋律と後ろの歌に分ける
『25』の制作では、声を一本に整える以外の方法も試します。
「When We Were Young」は、アデルとトバイアス・ジェッソ・ジュニアが書いた曲ですが、最初から編曲が決まっていたわけではありません。
作業が進みづらくなり、トバイアスの紹介でアリエル・レックシェイドが制作に加わりました。
歌そのものの力を、どんな演奏で受け止めるかを探すことになったのです。
アデルが求めたのはドラムの入った形で、制作陣は1970年代を思わせる方向を選びました。
トバイアスがピアノを弾き、アデルが一緒に歌った録音では、レックシェイドは最初のテイクを採用しています。
『21』で大切にした、一度目の歌に宿る勢いは、この作品でも捨てていません。
その歌を土台に、別の声を足す作業へ進みました。
レックシェイドは、みんなが一緒に歌える場所を曲に作りたいと考えました。
そこで短い区間を加え、アデルが曲名の言葉を柔らかく繰り返す歌を置きます。
その声が続く上で、本人は大きな主旋律を歌いました。
レックシェイドは最後のサビのバックコーラスでも、本人にふだん聴いたことのない高さや歌い方を試してもらったと振り返ります。
アデルの声は、強く歌い上げる一人の声であると同時に、その後ろを支える声にもなりました。
ライブ映像として公開されたThe Church Studiosでの歌唱と、アルバムの録音は別の演奏ですが、同じ曲の二つの役割を知る手がかりになります。

写真:marcen27 from Glasgow, UK / CC BY 2.0
2021年|声を張り上げず、人物を変えて歌う
『30』を発表した2021年、アデルはNPRの取材で、自分の声は成熟したと思うと話しました。
ただ、歌い方の変化は年齢だけではなく、歌詞や歌う内容にもよると説明しています。
いつも強く張り上げる必要はなくなり、この作品では低い音域を以前より生かせた、と本人は感じていました。
言葉との付き合い方も変わっています。
以前は、読んだものが曲に入り込むのを避けるため、小説や記事を読むことを控えていました。
しかし『30』を作る時期には多くの文章を読み、使える語彙が増えたといいます。
本人の説明では、うまい歌詞を書こうと力んだのではなく、扱う主題が違ったから言葉も違う形で出てきました。
低い声を生かす選択も、こうした「何を語るか」の変化と一緒に考えると分かりやすくなります。
「I Drink Wine」で見つめたのは、自分が物事を個人的に受け止めすぎていたことでした。
相手への非難を重ねるだけでなく、自分の構えをほどき、人から愛されることを受け入れたいという曲です。
それだけ内面に踏み込む話だからこそ、歌の表情を一つの深刻さで押し通しませんでした。
「I Drink Wine」では、同じサビを戻ってくるたびに違うように歌い、バックコーラスでは別の人物になったつもりで声を入れました。
本人は、歌っている重い話を少し近づきやすくするため、皮肉を含む表情も加えたと語っています。
それは声を小さくしたというより、声が伝える態度を増やした変化です。
『25』で主旋律を支えていた後ろの声は、ここでは語り手の別の顔まで担っています。
『21』で録音の生々しさを残したときも、アデルは歌詞に合う一瞬を選んでいました。
『30』では、低い声、サビごとの違い、後ろで歌う人物の違いまで使って、一つの気持ちをいくつもの角度から語っています。
手術を境に昔の声を失い、別の声へ置き換えた、という単純な話ではありません。
自分の言葉に合う声を探し続けた結果、強く歌う以外の選択肢も増えたのです。

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