奥村チヨの歌唱変遷|濃くなった恋の表情と、「終着駅」で選んだ道

奥村チヨのポートレート(撮影年不明) シンガー
奥村チヨのポートレート(撮影年不明)

「恋の奴隷」で歌われる女性を、奥村チヨは情感豊かに演じた。
けれど、大ヒットした歌と本人が本当に歌いたい歌は、重なり切っていなかった。
初期の甘えた歌い方から恋の表情を濃くしていった歩みには、「終着駅」で自分の望む歌を選び取る、もう一つの転機がある。

「Be With You -あなたに逢えた-」|2016年・ワーナーミュージック・ジャパン公式MV

初期からあった、甘えた歌い方

奥村チヨは1965年、「あなたがいなくても/私を愛して」でデビューした。
公式プロフィールが当時の特徴に挙げるのは、コケティッシュな魅力と甘えた歌い方だ。
「ごめんネ…ジロー」がヒットした初期から、声には相手へ甘えるような人物像があった。

ただ、初期の歌を、甘えた表現だけで捉えることはできない。
音楽評論家の馬飼野元宏は、「ごめんネ…ジロー」を、カンツォーネのようにおおらかに歌い上げる歌唱と評している。
恋3部作の印象が定着する前から、大きく旋律を運ぶ歌も歌っていた。

「ごめんネ…ジロー」|1965年音源・Universal提供音源

1967年の「北国の青い空」を経て、1969年から1970年に発表したのが「恋の奴隷」「恋泥棒」「恋狂い」の恋3部作だ。
初期からの甘えた印象を、大人の恋を演じる歌へと押し広げた。
とりわけ「恋の奴隷」では、相手に合わせようとする女性の願いが、奥村チヨの濃い歌の表情と結びついている。

「恋の奴隷」|1969年スタジオ音源・Universal提供音源

「恋の奴隷」で、歌の中の女性を演じ切る

この路線は、本人が最初から望んでいたものではなかった。
後年の取材では、歌詞にショックを受け、歌いたくなかったと話している。
「小悪魔」というイメージに合わせて、写真撮影でも笑わないよう求められた。
当時は音楽番組で素顔を話す機会も少なく、歌の中の女性が、そのまま歌手本人の印象になりやすかったという。

それでも、歌う場では、その女性像を細かく表現していた。
楠木建は『ナイトクラブの奥村チヨ』(1970年)の「恋の奴隷」を、情感豊かでありながら、スタジオ盤の歌唱に驚くほど忠実だと評している。
京都のナイトクラブで録音されたこのライブには、客が一緒に歌う場面まで入っている。
客席に応じながらも、歌の人物の表情を崩さず届けるところに、楠木は彼女のコントロールを見ている。

「恋の奴隷」|京都ベラミ・1970年ライブ録音/Universal提供音源

歌の人物を演じる力があることと、その人物像だけを歌い続けたいことは別だった。
その迷いの中で出会い、自分から強く歌いたいと願ったのが、「終着駅」だった。

奥村チヨの「北国の青い空」と「ナイトクラブの奥村チヨ」を組み合わせた再発盤ジャケット
『北国の青い空』と『ナイトクラブの奥村チヨ』を収めた2013年再発盤のジャケット。
画像出典:UNIVERSAL MUSIC JAPAN

「終着駅」は、自分から歌いたいと望んだ曲だった

1971年12月に発表した「終着駅」は、しっとりとしたバラードだった。
恋3部作でスターになっていた奥村チヨは、歌詞の面でも、自分が本当に歌いたい歌との違いを感じていたという。
「終着駅」に出会うと、この曲を歌わせてもらえなければ辞める、というほどの決意を示した。

「恋の奴隷」では、恋の相手に向かって自分を差し出す人物を演じていた。
一方、「終着駅」が描くのは、過去を抱えた女性たちの寂しい情景だ。
歌を聴く側の視線も、相手への甘えから、その人物が生きてきた時間へ向かう。
音楽を評するぽぽんたも、恋シリーズの色気を子供の頃は苦手にしていたが、「終着駅」は録音して繰り返し聴き、暗く寒い情景を思い描いたと振り返っている。
曲調がしっとりしただけでなく、それまでの歌い方に抵抗を感じていた聴き手にも、別の表情を届ける曲になった。

「終着駅」|1971年音源・Universal提供音源

馬飼野は、この曲を、大人の悲しい恋をドラマチックに歌い上げる作品として捉えている。
恋の相手へ直接甘えるような節回しから、女性の置かれた情景を伝える歌へ。
持っていた歌唱力を、本人が望む別の物語に使う選択だった。

もっとも、後年まで「恋の奴隷」を嫌い続けたわけではない。
奥村は、自分の魅力を引き出してくれたなかにし礼への感謝も語っている。
歌いたい曲へ進んだあとで、戸惑いの大きかったヒット曲の価値も、受け止め直していた。

2016年、歌手活動を終えるつもりでも、もう一度歌いたくなった

2016年の「Be With You -あなたに逢えた-」では、浜圭介から歌ってほしいと頼まれ、最初は断っていた。
その前、2014年に母が亡くなったときには、歌手を完全に辞めようと考えていたことを、後の手紙で明かしている。
活動を終えるつもりでいた本人を、再び歌へ向かわせた一曲だった。

浜はこの曲を2015年に完成させ、奥村に一度聴いてほしいと働きかけた。
曲に心を動かされて録音を決めると、奥村は1か月以上、毎日5時間のレッスンを重ねた。
本人が「終着駅」以来の惚れ込み方だったと語る、12年ぶりの新曲である。
もう一度歌いたいと思えた曲に、準備の時間もかけていた。

2017年1月には、長年、奥村を応援してきた浅草の音のヨーロー堂で、初めての店内ライブを開いた。
「終着駅」に続いて、この新曲をファンの前で披露している。
若い頃に自分から望んだ曲と、後年に再び録音へ向かわせた曲が、同じ場で歌われた。

奥村チヨの歌唱場面|2017年1月15日、浅草・音のヨーロー堂
奥村チヨの歌唱場面|2017年1月15日、浅草・音のヨーロー堂。
画像出典:写真掲載元

「サイレントムーン」を歌って、活動を締めくくる

2018年の『ありがとう~サイレントムーン』にも、往年のヒット曲に加えて、新曲が入った。
浜が書いた「サイレントムーン」である。
奥村は、この曲を聴いて惚れ込み、歌ってからでなければ活動を終えられないと思ったという。
過去の代表曲をまとめるだけでなく、最後にも新しく心を動かされた歌を残した。

本人が選んだ言葉は、歌手活動からの「卒業」だった。
まだ歌えると言ってもらえるうちに辞めたい、やり残したことはない、と話している。
歌いたいと思う曲を録音したうえで、活動の終わりも自分で決めたのである。

歌の中では濃い恋の表情を演じながら、自分が次に歌う物語は選び直す。
「終着駅」から後年の新曲まで、声をどんな歌に使いたいかという本人の思いが、奥村チヨの歩みを動かしていた。
声の明るさや表現のコントロールは、奥村チヨの歌い方で取り上げている。

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