奥村チヨの歌には、濃い恋の表情と、きらきらした声の印象がある。
その盛り上がりを、楠木建は声のトーンを明るく変える表現として捉えた。
「嘘でもいいから」を手がかりに、声量と声の色を分けて考えると、この歌い方の面白さが見えてくる。
サビで声の色が明るくなる
楠木が具体例に挙げるのは、1970年の「嘘でもいいから」だ。
サビでトーンを大きく明るい方向へ動かすところを評価している。
声量も多少は増すが、その変化は控えめで、声の明るさが曲の熱を高めるという見方である。
ここで分けて聴きたいのは、声が大きくなったかと、声が明るくなったかという二つの変化だ。
楠木はこれを、音量のつまみと音色のつまみを別々に動かすことになぞらえている。
「嘘でもいいから」のサビで注目するのは、後者を明るい側へ大きく動かすような歌い方である。
同じ盛り上がりでも、声量の増加だけを追うと、この歌唱で変わっているものを捉えきれない。
「嘘でもいいから」の当時のライブ録音は、『ナイトクラブの奥村チヨ』(1970年)に収録されている。
台詞のような声と、伸ばす声を使い分ける
同じ「嘘でもいいから」には、明るさだけでなく、言葉ごとの表情を追う面白さもある。
レコード音源を解説するブログの筆者・ぽぽんたは、この曲の甘えた声や笑うような声に注目している。
また、曲名を歌う長い音でビブラートを使い、それ以外を台詞のように表現する点を挙げている。
声を揺らして余韻を作る場所と、話しかけるように言葉を渡す場所を分けるという捉え方だ。
ここでいう台詞らしさは、旋律やリズムを放り出すことではない。
ぽぽんたも、その二つがしっかりしていることを評価している。
音の高さと時間の流れを保った上で、笑いを含ませたり、相手に甘える調子を加えたりする。
歌詞に書かれた言葉を発する人の様子まで、声の中に置いていく歌い方なのである。
サビで声の色が変わることと、一つの言葉に表情が加わることは、働く大きさが違う。
前者は曲の場面を切り替え、後者はその場面にいる人物の気持ちを細かく伝える。
「嘘でもいいから」を聴くときも、サビ全体の明るさを追ったあと、伸ばす音と言い切る言葉に注目し直すと、二つの表現を分けて考えられる。
「くやしいけれど幸せよ」には、また違う具体例がある。
音楽評論家の馬飼野元宏の解説によると、歌の途中に入る特徴的な声は、録音中に自然に出たものが好評で採用されたという。
決まった旋律の音だけでなく、言葉の間にこぼれるような声も、人物の気持ちを表す材料になる。
長く伸ばす音の美しさに加え、短い声が一曲の印象を決めることにも、奥村チヨの表現の細かさが見えてくる。
「恋泥棒」は、伴奏の細かさと歌の間が鍵になる
声の表情を引き立てるのは、伴奏との関係でもある。
馬飼野は、「恋の奴隷」の節回しを小唄調と捉え、「恋泥棒」ではその歌い方が16ビートの演奏に乗る面白さを指摘した。
日本的な節回しと、細かく刻まれるポップスのリズムが、一曲の中で組み合わされている。
ぽぽんたによる「恋泥棒」の解説も、16ビートの伴奏に対して、旋律は8ビートの流れを持つと捉えている。
伴奏が細かく動くからといって、歌も同じ細かさで動き続けるわけではない。
その違いを意識すると、演奏の勢いの上で、言葉がどれくらいの長さを与えられているかが聴くポイントになる。
さらに同解説が注目するのが、各コーラスの終わりにあるリズムの切れ目だ。
伴奏が止まる間に歌の時間が残り、再び演奏が動き出す。
ずっと同じ勢いで言葉を並べる場合とは違い、歌い手の言葉が前に出る瞬間が作られる。
奥村チヨの濃い表情を考えるときには、声そのものの特徴に加えて、こうして声が目立つ時間を与えられる構成にも目を向けたい。

画像出典:写真掲載元
色っぽさを支える、声のコントロール
音楽を評するぽぽんたは、子供の頃は奥村チヨの色気の強い歌い方が苦手だったという。
ところが、大人になってベスト盤や映像を見直すと、声の骨太さに気づいた。
音程や声のコントロールを保ちながら、楽譜の音符だけでは表しきれない音を加え、歌詞の世界を作っていると捉え直したのである。
この評価が示すのは、旋律を正確に歌うことと、その上に人物の癖や表情を乗せることを、奥村チヨが両立しているという見方だ。
ぽぽんたが好む曲として挙げているのも、「青い月夜」と「嘘でもいいから」である。
表面の色っぽさへの好き嫌いだけでは見えにくかった、声を細かく扱う力が、聴き直したときの発見になった。
この細かさが、録音の中だけの表現ではないことも興味深い。
楠木は『ナイトクラブの奥村チヨ』の「恋の奴隷」について、スタジオ録音の歌い方をライブでも細かく再現していると評価している。
一度だけ偶然に生まれた印象なのか、舞台でも扱える表現なのか。
同じ曲の録音を比べる意味は、こうしたところにもある。
大きく歌う曲や、別録音からも声の幅が分かる
「恋の奴隷」の印象だけで声を捉えると、見落としやすい面もある。
馬飼野は「ごめんね…ジロー」の歌い方を、おおらかに歌い上げるカンツォーネのような唱法と評し、「北国の青い空」では旋律の音域の広さを挙げている。
小さな言葉の表情を楽しむ曲とは別に、大きく旋律を運ぶ曲も、奥村チヨの歌を知る具体例になる。
もう一つの入口は、同じ曲の別録音だ。
復刻盤『チヨとベンチャーズとレオ・ビーツ』には、シングルの原盤とは異なる「北国の青い空」が二つ収められている。
また、『チヨの片想い』では「バスが来たら」「ともだちならば」といったバラードも取り上げられている。
これらは当時アポロンで制作された音源で、代表曲のシングルを集めた盤とは違う歌の姿に触れられる。
別録音を比べるときは、声の変化と伴奏の変化を一緒にしてしまわないことが大切だ。
同じ声の出し方でも、周囲の楽器やリズムが変われば、柔らかく感じたり、力強く感じたりする。
まず演奏が作る印象を確かめ、その上で、言葉の終わりや伸ばす音の扱いに耳を向ける。
有名な歌い方の印象から少し離れて、どの曲で何を前に出しているのかを考える聴き方ができる。
「嘘でもいいから」を聴くなら、まずサビへ進むときの声の明るさに注目したい。
次に、その華やかさを支える旋律の運びと、言葉に加わる表情を分けて捉える。
濃い表情をただ強くするのではなく、声の色で曲の熱を高めるという主題が、ここで具体的になる。
初期の甘えた歌い方から恋3部作へ進み、「終着駅」を自分から望んだ歩みは、奥村チヨの歌唱変遷でまとめている。







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