グレン・ヒューズ(Deep Purple)の歌い方|ロックの高音に、ソウルの即興を持ち込む

ベースを弾きながら歌うグレン・ヒューズ グレン・ヒューズ(Glenn Hughes)
Cherygunner / CC BY-SA 4.0

グレン・ヒューズの高音を、ロックの叫び声として覚えている人は多いでしょう。
けれど本人が、その声の使い方を説明するときに挙げるのは、スモーキー・ロビンソンやマーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダーたちです。
彼にとって、突き抜けるような高音も、R&Bの歌手が裏声を使う感覚につながっています。

だから、どこまで高く出せるかだけでは、ヒューズの歌の面白さは説明しきれません。
ほかの歌手に声を重ねる。旋律の合間に、その場で思いついた歌い回しを加える。伴奏を引かせて、息遣いまで聴かせる。
高音を含めたさまざまな声で、一曲の表情を変えていく歌手なのです。
1974年のカリフォルニア・ジャムで演奏された「Burn」には、デイヴィッド・カヴァデールと歌うヒューズの姿があります。

「Burn」は、一人の歌手の声ではない

「Burn」を聴くとき、最初に押さえたいのは、主に歌う人が二人いることです。
マイクを手に前へ出るカヴァデールと、ベースを弾きながら歌うヒューズ。
ヒューズは楽器を弾いているので、伴奏とコーラスの担当だと思うかもしれませんが、自分で主旋律を歌う部分もあります。「Burn」では、途中で旋律が切り替わる中間部を作ったのもヒューズでした。

この二人の違いを、ヒューズはカヴァデールの太い声と、自分の高い声という言葉で振り返っています。
一方で、音を揺らして伸ばすビブラートには共通点があり、声を合わせやすかったとも話しています。
声の高さや太さに違いがあっても、伸ばした音の揺れ方までばらばらだったわけではありません。

曲作りでは、ヒューズが一人で歌う箇所、カヴァデールに任せる箇所、二人で歌う箇所を相談していました。
「Burn」も、片方が歌い終えたらもう片方が同じことをするだけの曲ではありません。
違う声が出てきて、重なるところでは二人になる。その変化自体が、歌の展開を作ります。
ベースを持つほうの歌手に注目すると、あの高音が単なる付け足しではないことが分かります。

2011年、Black Country Communionでのグレン・ヒューズ
2011年、Black Country Communionでのグレン・ヒューズ。写真:Alberto Cabello derivative work: MrPanyGoff / CC BY 2.0

高音の手本は、ロックの外にもある

ヒューズは、Deep Purpleに入って初めて歌う機会を得た人ではありません。
その前のTrapezeでも、ベースと歌を担っていました。
Deep Purpleへの加入についても、歌わせてもらえないのであれば参加しなかった、と説明しています。
歌うことは、ベーシストとしての仕事に添えられたおまけではなかったのです。

もともとの関心も、重いロックだけに向いていたわけではありません。
Trapezeの「Coast to Coast」や「Will Our Love End」を作っていた頃、本人はソウルに強くひかれていました。
ヒューズを迎えた側のイアン・ペイスも、彼の声をソウル寄りと捉え、カヴァデールには違う、低くブルース的な声が求められていたと振り返っています。
ヒューズは、そのソウル寄りの声を、ロックバンドの中でも生かすことになったのです。

その背景を知ると、高音の意味も少し変わります。
ヒューズは2025年、自分の高い声をR&Bのファルセット、つまり裏声の使い方と結びつけて説明しました。
しかも、毎晩まったく同じ場所で使うとは限らず、その瞬間に必要だと感じれば加えるのだといいます。
高音は、曲の決まった場所で必ず披露する技だけでなく、歌いながら表情を変えるための声でもあるわけです。

バンドの音を引かせると、歌の細部が前に出る

ただ、即興的に声を動かせるからといって、ずっと歌を飾り続けるわけでもありません。
2016年のアルバム『Resonate』について、ヒューズは伴奏をいったん減らし、声やアコースティックギターが聴こえる場面を作るのが好きだと話しています。
聴き手に、呼吸やメロディーの歌い方まで届くようにするためです。

同作の「Steady」は、その考え方が関わる曲の一つです。
ヒューズはこの曲からアルバムを書き始め、音楽、構成、歌詞を一曲ずつ完成させていきました。
歌を録る直前に声だけで変化をつけるのではなく、声がよく聴こえる場面を、曲を組み立てる段階から考えていたのです。

楽器の音が減って声が前に出れば、一音の伸ばし方や、次の言葉までの間にも注意を向けやすくなります。
そこからバンドの厚い音へ戻れば、歌の細部を聴く時間と、全体の勢いを受け取る時間が一曲の中に生まれます。
ヒューズが求めているのは、声を常に最大にすることではなく、声の聴こえ方に変化をつけることなのでしょう。

2024年、クラクフ公演のグレン・ヒューズ
2024年、クラクフ公演のグレン・ヒューズ。写真:Фіксер / CC BY-SA 4.0

歌える曲でも、自分の言葉として信じられなければ歌えない

声の強さや即興の自由さを支えるものとして、ヒューズは歌詞への実感も大切にしています。
ある録音では、曲そのものは良かったのに、自分が歌う内容を信じられず、歌えなかったことがあると話しました。
音が出せるかどうかとは別に、その言葉を自分が歌って納得できるか、という問題があったのです。

『Resonate』の頃の本人が、人生の不安や立ち直る過程を歌っていると説明していたのも、そのためでしょう。
難しい高音を入れれば、その言葉に気持ちがこもるとは限りません。
自分が本当に伝えたいことを歌うからこそ、その場で声を動かす理由も生まれるのでしょう。

一方、舞台上のヒューズは、自分を俳優のような存在とも捉えています。
普段の自分をそのまま立たせるだけでなく、歌を届けるための姿になってステージへ出る。
大きな身ぶりや大胆な歌い回しも、本人にとっては曲を演じる行為の一部なのです。
派手な歌い回しも、歌っている内容を聴き手に感じてもらうために使いたい。その姿勢が、彼の大胆な歌を支えています。

どれだけ声を動かしても、聴かせたいのは曲

ヒューズは、ライブで声の飾り方を変えても、曲のメロディーや歌詞は守ると説明しています。
その場で何でも変えてしまう、という意味の即興ではありません。
聴き手が知っている歌を保ちながら、声を重ねたり、伸ばしたり、高い声を加えたりして、その日の歌にするのです。

「Burn」では、カヴァデールとの声の違いが歌の展開になります。
ソロの「Steady」では、伴奏を減らすことで、細かな歌い方を聴かせる時間が生まれます。
ヒューズの高音やソウル的な歌い回しは、こうした曲の流れの中で働いています。
高い声が出た瞬間に加えて、誰と歌っているのか、その前後で伴奏がどう変わるのかにも耳を向けると、歌の組み立て方まで楽しめます。

ただ、本人もずっとこのように、自分の声を捉えていたわけではありません。
技巧を見せようとしすぎたという反省や、叫ばずに歌ったときの反応については、グレン・ヒューズの歌声の変遷でたどっています。

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