ミュージカルでオペラ的な歌唱を学んだ吉川晃司は、声が太くなり、歌うキーも上がったと話しています。
しかし、その歌い方を続けるだけでは、リズムのある歌い方が難しくなるとも感じていました。
手に入れた声を、どう自分のロックへ戻すかという課題があったのです。
吉川の歌の変化は、強い声になっていくことだけでは説明しきれません。
初期の「モニカ」から、表現の武器となった低音、発声を学び直した休養期、還暦で見せる歌までをたどります。
「Humpty Dumpty」―2009年発表曲の公式音源
1984年、「モニカ」のリズムと浮遊感
吉川は1984年、映画『すかんぴんウォーク』と、その主題歌「モニカ」でデビューしました。
大きな動きやシンバルキックなど、全身を使うステージの印象が強い歌い手ですが、初期の声にも、その後とは違う魅力があります。
ミュージシャンの西寺郷太は、「モニカ」のリズムやボーカルに、Duran Duranの「Planet Earth」にも通じる浮遊感を感じたと、自身の連載で振り返っています。
若さや勢いに加えて、当時のポップミュージックと結びついた声の質感を受け取っていました。
西寺は、最初に見た水面へのダイブに驚き、後から曲を聴き込む中で、ボーカルの質感にも耳を向けたといいます。
ステージの動きだけでなく、声からも初期の吉川を捉えていたのです。
さらに西寺は、他の作家が書いた歌詞やメロディと若い吉川の個性が出会うことで、深みと軽やかさが生まれていたと評価しています。
初期の歌は、後の太い声へ至る準備段階としてだけ受け取られているのではありません。
作り手たちのポップな感覚に応えた声として、その時期を好む聴き手もいたのです。
その後、COMPLEXでの活動とソロでの制作を重ね、吉川は自分のボーカルの表現を広げていきました。
大きな変化の一つは、ロックのステージを離れた場所での歌の経験から生まれています。
2008〜2009年、ミュージカルで増えた声の選択肢
2008年、吉川は『SEMPO』で、初めてミュージカルに挑戦しました。
そこでの経験は、翌2009年のアルバム『Double-edged sword』にもつながっています。
「Humpty Dumpty」では、本人がベルカントと呼ぶ、オペラ的な歌い方を使いました。
本人は、そう歌うことで声が太くなり、ミュージカルの期間中にはキーも上がったと説明しています。
歌える声の幅が広がったという、本人の実感でした。
ただし、その方法だけを使い続けると、リズミカルに歌いにくくなるとも話しています。
声を厚く響かせることと、ロックのビートの中で歌うこと。
新しく得た歌唱を、自分で制御して使い分ける必要がありました。
この取材で吉川は、音楽以外の経験からも刺激を得て、それを音楽へ返すという考えを語っています。
ミュージカルへの出演も、歌手として歩んできた道とつながっていました。
そこで増えた声の厚みを曲へ持ち帰り、今度はバンドのリズムの中で使えるように考える。
新しい歌唱を身につけた後にも、自分の歌へなじませる作業が続いていたのです。
2013年、低音を自分の武器と捉える
2013年の『SAMURAI ROCK』の取材では、聞き手の伊藤亜希が、ここ10年ほどで太い声や低音が目立ち、その中の表情も増えていると指摘しています。
吉川も、そうした声が一つの個性になってきたのではないかと応じました。
年齢や経験を踏まえ、増えた表現を武器として使っていきたいと考えていました。
「SAMURAI ROCK」―2013年発表曲の公式音源
本人は、年齢とともに増えてきたものを使う感覚で、低音を捉えていました。
低い声も、声を出せる範囲の話にとどまらず、曲の中でどんな味わいを出すかという表現になっていました。
同じ取材では、ツアー序盤に低音の調子がよくなかったことも話しています。
個性として使える声であっても、いつでも同じように出せるわけではない。
吉川の変遷には、表現を広げることと、その時の声に向き合うことの両方があります。
この頃の歌で、何を伝えたいかにも、舞台や芝居の経験が関わっていました。
『SEMPO』で杉原千畝を演じたことなどを振り返り、役の背景や気持ちを考えるうちに、それまでになかった感情や考えが自分の中に生まれたと話しています。
その人物の行動を演じた自分が、現実では何もしなくてよいのかという問いが残ったのです。
『SAMURAI ROCK』も、一曲ずつ切り離すより、全体の順序を通して伝えたいことがあるアルバムでした。
吉川は、その流れをライブでも再現する構成にしています。
増えた低音の表情を語る一方で、作品の中で何を訴えるかも深く考えていた時期でした。
声の変化とともに、その声に託す内容も積み重なっていたのです。
2018〜2019年、発声を学び直してステージへ戻る

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2018年は、1月のライブを最後に、喉のポリープの治療に専念するため歌手活動を休みました。
この年の取材で吉川は、それ以前から、出ない音を感じるようになっていたと話しています。
ピアノの鍵盤の一部が壊れたような状態にたとえ、その中で歌える工夫を覚え、発声も勉強し直していました。
一方で、本人は使い込んできた声の味わいも大切にしていました。
ジョー・コッカーのように、声に年輪が感じられ、その声で人の心を動かす歌手にひかれていたのです。
高い音や強さを取り戻すことだけが、歌の目標ではありませんでした。
同じ取材では、ようやく感情を声に乗せ、音として伝えられるようになってきたという実感も語っています。
歌い続けてきたからこそ、自分の声に何を残したいかが、はっきりしていました。
2019年2月の日本武道館公演で、吉川は復帰します。
SPICEの公演レポートは、その歌声の力強さ、伸びやかさ、艶を伝え、「SAMURAI ROCK」では歌の切れ味と演奏の重心の低さを挙げていました。
同じ公演で取り上げられたのが、最初のアルバム『パラシュートが落ちた夏』に入っていた「I’m in blue」です。
アカペラから始まり、ホッピー神山のピアノと対話するように歌われたこの曲について、レポートは柔らかさや軽やかさ、細かな表情を評価しています。
復帰の舞台では、強い声が戻ったという印象だけでなく、古いレパートリーに今の歌の深さを重ねる姿も伝えられていました。
復帰前に本人が語った、感情を声に乗せたいという思いと合わせて読みたい場面です。
復帰後は35周年ツアーを続け、9月には幕張メッセでステージに立ちました。
35周年ツアー・幕張メッセ(2019年9月8日)の公式ダイジェスト
2025年、同じ「モニカ」に深みを重ね、別の歌も歌う

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60歳の誕生日を迎えた2025年8月18日、吉川は「KANREKI ROCK」と題したライブを行いました。
幕開けに歌ったのは「モニカ」です。
1984年のデビュー曲を、41年後のステージでも歌いました。
公式に掲載された公演レポートは、歌声に増した強靱さ、表現の豊かさ、懐の深さを挙げています。
続く「サヨナラは八月のララバイ」には、切なさと伸びやかさも感じ取っていました。
強さを保つことと、声の中の感情を増やすことが、同じステージにありました。
この年には、奥田民生とのユニット、Ooochie Koochieでも活動しています。
9月の日本武道館公演で吉川が歌った「片恋ハニー」について、音楽ライターの長谷川誠は、今の年齢だからこその色気や切なさが漂う歌声と評しました。
自分の代表曲を歌い続けるだけでなく、別の相手と作った歌の中でも、その時の声を生かしています。
二人の曲を交換して歌う場面もありました。
奥田が「LA VIE EN ROSE」を、吉川がユニコーンの「Maybe Blue」を歌っています。
レポートは、若い頃の曲を還暦の二人が歌い合うことで、曲の別の表情が現れたと受け止めていました。
同じ代表曲を長く磨く歩みに、相手の歌を自分の声で受け取る面白さも加わっています。
この公演の「片恋ハニー」は、2026年発売のライブ作品『Ooochie Koochie TOUR at NIPPON BUDOKAN』にも収められています。
吉川晃司の歌は、声を太くし、使える低音を増やしてきた歩みと、その声へ感情や年輪を重ねる歩みがつながっています。
新しい歌唱法を覚えた時にも、声の調子に困った時にも、必要になったのは、その声でどう歌を届けるかという選択でした。
強さだけを一つの物差しにしないところに、長く歌ってきた吉川の変化があります。
太い声とリズムの両立、低音の使い分け、声を出し過ぎないための本人の意識は、吉川晃司の歌い方で取り上げています。







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