デヴィッド・ボウイの変化は、衣装や音楽のジャンルだけに表れたものではありません。
言葉を話すように届ける声、高い音へ踏み込む声、演奏者を刺激する声。
制作に立ち会った人々の証言をたどると、曲の中で声に何をさせるかという選択も、時期ごとに変わっています。
ただ、昔の表現を捨てて新しい自分に置き換わった、と考えると見えにくくなる部分があります。
1960年代の演劇的な歌い方は、その後の語り声へもつながる手掛かりです。
1970年代の勢いを生かす録音と、晩年の慎重な仕上げ方も、単純に若さと衰えへ分けられません。
1967年の初アルバムから『Blackstar』まで、声の選択が変わった場面をたどります。
1977年の楽曲。
MVは短縮版。
1960年代の歌には、すでに役を演じる声があった
1967年のアルバム『David Bowie』を制作したマイク・ヴァーノンは、若いボウイの歌を、音楽を付けた詩や半ば話すような表現として振り返っています。
そこには、俳優で歌手でもあったアンソニー・ニューリーを思わせる、強い演劇性がありました。
言葉を人物の声として届けることが、初期から歌の中にありました。
ヴァーノンが特に評価した「Love You Till Tuesday」は、オーケストラを生かした、親しみやすいポップな作品でした。
一方で、アルバム全体の風変わりな人物や語り口が誰に届くのか、制作側もつかみかねていました。
声で人物を立ち上げる試みが、商業的な成功に先立っていたのです。
1971〜72年、整えることより歌の出来事を残す
『Hunky Dory』から続く時期の共同制作者、ケン・スコットは、1972年の『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』に収めた「Five Years」の終わりに、ボウイが涙を流して声を上げた場面を覚えていました。
役柄を作ることと、歌う本人の感情が動くことが、録音の中で重なっていたのです。
スコットが共同制作した4作品では、歌の大半が最初の通しテイクだったという回想もあります。
音程やタイミングのわずかな揺れをすべて取り除くより、そのときの感情を残す考え方でした。
この4作品では、通して歌う中で生まれる変化が、大切にされていたことが分かります。
1975年、ソウルへの接近は高い声との格闘でもあった
『Young Americans』の時期には、ソウルやR&Bへの関心が歌に大きく入り込みます。
本人は後年、当時それらの音楽を日常的に聴き込んでいたことを振り返りました。
一方、望んでいた高い声や大きく動くファルセットは、簡単に出せたわけではありません。
当時の薬物問題で声が荒れており、その表現を得るために苦労した、と本人が説明しています。
本人の回想には、高い声をもっと自由に使いたいという課題が残っています。
新しい音楽への接近は、声の可能性を試す機会でもありました。

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1976年の『Station to Station』では、ソウルへの接近を一つの声色へ固定する見方も、さらに難しくなります。
「Golden Years」では、高低の対照に加え、同じ言葉の扱いが変わっていくところにも注目できます。
甘く誘う声が、曲の進行とともに別の表情を帯びると捉えると、一曲の中の変化が見えてきます。
低音か高音かという区分に加え、一つの曲の中で声の態度をどう動かすかも、変化を捉える軸になります。
「Heroes」から「Ashes to Ashes」へ、声の広がり方を変える
1977年の「Heroes」では、トニー・ヴィスコンティが、声の強さに反応する録音方法を用いました。
近くのマイクに加え、離れた位置のマイクが大きな声で開くように設定し、歌が強まると部屋の響きも加わる仕組みです。
静かな声と強く張る声の差が、そのまま音の空間の差にもなっていました。
広がっていく印象のすべてを、発声だけの変化と考えることはできません。
どれほど強く歌うかが、どの響きまで引き出すかを左右します。
ここでは声量の選択と録音環境が結びつき、表現の幅を作っていたと考えられます。
1980年の「Ashes to Ashes」では、また違う方法が使われました。
ヴィスコンティによると、歌と同じ言葉を話す声も録り、複数回重ねています。
歌う声と語る声の組み合わせへ、表現の選択肢が広がっていました。
1983年、リズムと声を大きく前へ出す
『Let’s Dance』を共同制作したナイル・ロジャースは、ボウイと音楽の方向をよく共有できたと話しています。
デモをもとに編曲を作り、実際の演奏に合わせて調整する、速いペースの制作でした。
ボウイは、ロックンロールの感触をつかむため、歌も管楽器もリズム隊も一緒に録る案まで出していたそうです。
これは全曲が同時録音になったという話ではなく、曲の勢いをどう生かそうとしたかが分かる提案です。
「Modern Love」は試唱から1オクターブ上げた、と担当技師は回想しています。
ロジャースはこの曲を、力強いピアノと洗練された管楽器が同居するロックンロールとして説明しました。
整ったダンス音楽という印象だけでは、制作時に求めた生々しい勢いを見落としてしまいます。
声も、その曲のリズムや熱量の中で選び直されていたのです。
1990年代、電子的な音の中にも、その場で歌う勢いを残す
『Earthling』(1997年)では、コンピューターを使った編集が制作を速めました。
共同プロデューサーのマーク・プラティは、ボウイが曲の区間を入れ替えるよう提案し、すぐ作業が終わることに驚いた場面を覚えています。
ただし、細かく音を組み直せる環境になったからといって、歌まで小さな断片から作る方向へ一直線に進んだわけではありません。
プラティが説明する歌の録音は、伴奏を作る傍らで書いた言葉を譜面台に置き、そのまま歌うというものでした。
「Little Wonder」の発想にも、身近なカタログを面白がるやり取りが入り込んでいます。
新しい電子的な音と、その場で生まれた言葉を歌にする反応の速さが、同じ制作の中にありました。
音楽の外見が変わっても、歌う瞬間の勢いを取り込む姿勢は残っていたのです。

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2000年代、歌を残す瞬間を何度か選び直す
『Heathen』(2002年)に続く『Reality』(2003年)は、ライブで演奏するバンドの即応性を生かす方向で制作されました。
この時期のヴィスコンティの説明では、歌を録る機会は、リズム録音後、制作の途中、終盤と複数ありました。
一回の機会に何度も延々と歌わせるのでなく、少数のテイクを録り、必要なら以前の録音の一節も使う方法です。
1970年代の通しテイクを重視した証言と比べると、よい歌を残すための選択肢は増えています。
最初の反応を尊重しながら、作品が出来上がっていく途中で、声の表情を確かめ直す余地も持つ。
録音方法の違いは、歌う力が一方向に変わった証明ではなく、歌を仕上げる判断の変化として捉えるほうが自然です。
2013年の『The Next Day』は、前作から約10年を経て発表されたアルバムです。
ヴィスコンティは、声が以前より低くなっていることを認めながら、歌声を高く評価していました。
過去のステージで曲のキーを下げた例にも触れていますが、それをこのアルバムの全曲に当てはめることはできません。
低くなるという身体的な変化と、その声でどんな歌を作れるかという表現上の判断は、同じ答えにはならないのです。
この作品は、最初から完成形の決まった復帰アルバムとして始まったものでもありませんでした。
書いた曲を試すところから進み、制作の2年目に、アルバムになるという判断に至ったとヴィスコンティは説明しています。
以前の声をそのまま再現することより、その時点の歌で何ができるかを確かめる時間がありました。
『Blackstar』の歌は、共演者へ働きかけていた
2016年発表の『Blackstar』では、ドニー・マッキャスリンらとの制作が新たな場になりました。
2014年にマリア・シュナイダーのオーケストラと録った「Sue (Or in a Season of Crime)」は、翌年、別の編成で取り組み直されています。
マッキャスリンは、この再録で構成や伴奏の組み方を試したこと、そしてボウイの力強く情熱的な歌が、演奏する側を鼓舞したことを話しています。
2014年、マリア・シュナイダーとの録音。
MVは短縮版。
晩年の歌を、残された声の弱さだけで説明してしまうと、この関係が抜け落ちます。
歌は演奏の上に置かれるだけでなく、一緒にいる人の反応を引き出していました。
なお、バンドと同時に歌った場面の証言と、完成盤の最終ボーカルがどう仕上がったかは区別が必要です。
ヴィスコンティは、最終期の歌を自身の小さなスタジオで、ボウイと二人で録ったと説明しています。
2015年録音、2016年の『Blackstar』収録版。
ボウイの歌唱は、高くなる、低くなる、荒くなるという一本の線ではたどれません。
話すような声を使うこと、勢いを残すこと、別の音楽へ声を合わせること、録音の中で組み合わせること。
その都度、歌をどう届かせるかを選んできた人でした。
作品の中での声の強弱や言葉の使い分けは、デヴィッド・ボウイの歌い方でも取り上げています。

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