矢野顕子の歌唱変遷|「春咲小紅」からピアノ一台へ、力を抜いても失わなかったもの

2017年の矢野顕子 シンガー

1992年の自分がピアノと歌だけで録音する姿を、25年後の矢野顕子は「あんなにがんばっちゃって」と振り返った。
『SUPER FOLK SONG』の制作現場を撮った映画の再上映に際しての言葉だ。
当時は、演奏の途中をつなぎ合わせず、一曲を最後まで弾き通すことにこだわっていた。
ところが2017年の本人は、そのやり方に固執しないと話している。

同じピアノ弾き語りを続けながら、何をよい歌として残すかという判断は変わった。
「春咲小紅」で広く知られた1981年から、最初の弾き語りアルバム、そして2017年の『Soft Landing』へ。
矢野が手放した緊張と、長い時間をかけても手放さなかったものをたどりたい。

「SUPER FOLK SONG」1992年の録音映画より。

「春咲小紅」のヒットと、歌番組への戸惑い

「春咲小紅」は1981年のカネボウ化粧品のキャンペーン曲だ。
糸井重里が詞を書き、矢野が曲をつけた。
後の対談によると、候補の曲は二つあり、採用されなかった旋律は別の歌「ただいま」になったという。
耳に残る短い歌の背後には、言葉と旋律の組み合わせを選ぶ作業があった。

糸井との制作では、言葉の数を増減させることもできた。
矢野は、二人で直しているうちに、どちらがどこを書いたか分からなくなるほどだと説明している。
出来上がった詞を受け取るだけでなく、自分が歌う音楽になるまで一緒につくる関係だった。

矢野顕子『春咲小紅』1981年シングル写真
1981年『春咲小紅』シングルの写真。
写真出典:1981年シングル写真の掲載元

一方、ヒットに伴う露出を、本人は心地よく受け止められなかった。
40周年の対談では、当時の歌番組が苦手だったことや、ヒットで消耗したことを振り返っている。
スタッフは矢野の志向を理解しており、次もヒット曲を、と求められなかったことも語っている。

広く知られた一曲があっても、それだけで活動の形は決まらない。
翌1982年には、一台のピアノを頼りに各地を訪れる「出前コンサート」が始まった。
そこで重ねた自作曲や他人の曲の弾き語りが、十年後、録音作品として新しい課題になる。

1992年、一曲を弾き通した演奏だけを残す

1992年の『SUPER FOLK SONG』は、最初のピアノ弾き語りアルバムだった。
録音場所は東京の津田ホールと、長野県松本市のザ・ハーモニーホール。
歌とピアノを同時に録り、部分ごとによい演奏を選んでつなぐ方法を取らなかった。
一発録りとは、一度しか試さないという意味ではない。
納得できる一曲になるまで、演奏をやり直す厳しさがあった。

1992年『SUPER FOLK SONG』制作中の矢野顕子
1992年『SUPER FOLK SONG』制作資料に写る矢野顕子。
写真出典:OTONANOの映画制作資料

映画の公式紹介には、冬の松本で空調の音を避けるため暖房を止め、湯で手を温めながら録音した様子が記されている。
歌をうまく運べても、鍵盤の一か所が思うようにならなければ、その演奏を残すかどうか判断しなければならない。
歌い手と伴奏者が同じ一人であることの自由と、両方を一度に引き受ける難しさが、この方法にはあった。

後年の矢野は、当時はピアノだけのアルバムに対する評価がまだ定まっておらず、これによって受け入れられたという趣旨の話をしている。
ライブで積み重ねた形式を、初めてのアルバムとして世に問う録音でもあった。
25年後に映画を見返して、もう少し楽に取り組んでもよかったと思えるほど、当時の自分は力を尽くしていた。

この録音を支えたのが、エンジニアの吉野金次だった。
矢野が演奏を試し、録音された音を二人で確かめる。
その関係は『PIANO NIGHTLY』『Home Girl Journey』『音楽堂』へ続き、弾き語りは作品ごとに取り組み直す表現になっていく。

2017年、録音の方法よりも残したい歌を選ぶ

2017年の『Soft Landing』は、七年ぶり、五作目の弾き語りアルバムだ。
ここで本人が説明した変化は明快だった。
1992年には最後まで弾き通すことを美学にしていたが、今は無駄なことをしないという、別の美学になったという。
一続きの演奏への思いは残り、実際に通して弾いた曲もある。
ただ、それを全曲に課す絶対条件にはしなくなった。

録音の体制も変わった。
吉野は監修に回り、録音とミックスは渋谷直人が担当した。
矢野は吉野の体調を考え、従来と同じ仕事を求める代わりに、現場で望む音を受け止めてもらうことを大切にした。
最終的にどの演奏を採用するかは自分で決めるが、吉野の賛同は今も確かな支えになる。
その信頼は、最初のアルバムから変わっていなかった。

2017年の矢野顕子
2017年の本人取材写真。
写真出典:CINRAの本人取材

新しい試みを避けるようになったわけでもない。
この録音では、吉野の提案でベヒシュタインのピアノを使った。
矢野にとって、慣れたスタインウェイは意図をすぐに分かってくれる相手だったが、ベヒシュタインから欲しい音を得るには、弾き方を改めて探る必要があったという。

2019年のブルーノート東京公演には、アルバムの録音で使った同じピアノが持ち込まれた。
矢野はそこで、ようやく楽器が心を許してくれたように感じ、うまく鳴らせたことがうれしかったと話している。
長年続けた弾き語りにも、まだ慣れない相手と関係をつくる余地があった。
録音を完成させた後も、その経験を次のステージへ持ち出していたのである。

アルバム『Soft Landing』公式予告映像(2017年)。

声だけで始める歌と、昔の登場人物のその後

『Soft Landing』には、自作曲七曲とカバー六曲が収められた。
他人の曲を歌う際には、その言葉が自分の口から出るものとして受け入れられるかを考える、と矢野は話している。
自作曲でも、歌う相手や場面を思い描くことは大切だった。
表題曲はドラマ『ブランケット・キャッツ』のために書かれ、本人は作品の優しい雰囲気に寄り添うことを意識したという。

その曲を舞台では、別の入り口から届けている。
2017年12月10日のNHKホール公演では、まずピアノの前に座らず、立ったまま無伴奏で歌い始め、途中から弾き語りへ移った。
声だけを先に差し出し、後から鍵盤を加える。
弾き語りという形式の中でも、声と鍵盤の出会わせ方は固定されていなかった。

「Soft Landing」(2017年6月配信シングル)。

長く付き合ってきた曲にも、新しい時間が加わった。
「SUPER FOLK SONG」は、もともと1980年に糸井自身のアルバムに入っていた、糸井作詞・矢野作曲の歌だ。
それを矢野が自分の歌として育て、1992年のアルバムの表題曲にした。
糸井も後に、矢野が歌うようになって彼女の歌になった、と認めている。

さらに2016年の二人の催しから、登場人物のその後を描く続編が生まれた。
2017年に発表された「SUPER FOLK SONG RETURNED」である。
糸井が歌った1980年の作品から37年を経た新曲だった。
古い歌に戻るとき、当時の歌い方を再現する以外に、同じ人物の続きを今の二人で歌にする道もあった。

「春咲小紅」を、客席との時間に開く

2017年の『The Covers』では、「春咲小紅」もピアノ弾き語りで披露した。
かつてCMを通じて届いた曲を、一人の演奏として歌い直している。
2019年には、渋谷の「ほぼ日曜日」で開かれた催しで、約百人の観客を前にキーボードを弾きながら歌った。

その場では歌い出しをやり直し、飾らないやり取りに客席から笑いが起きたという。
当日の取材は、こうした場面で距離が縮まることと、歌に残るみずみずしさをともに伝えている。
ヒット当時に苦手だったテレビ出演とは違い、ここには、歌い始めるまでの時間も共有する小さな客席があった。

2019年に鍵盤を弾きながら歌う矢野顕子
2019年の催しでキーボードを弾く矢野顕子。
写真出典:BARKSの2019年催事報告

一曲を途切れず弾き通すために自分を追い込んだ1992年から、録音の条件を選び直し、舞台では声だけの入口や客席との会話も使う時期へ。
矢野が力を抜けるようになったのは、歌を残す基準を失ったからではない。
自分が納得できる演奏を、信頼する相手と確かめる姿勢は続いている。
その芯があるからこそ、昔と同じ方法に縛られず、長く歌ってきた曲にも新しい居場所をつくれるのだ。

矢野が一曲の言葉とピアノをその場でどう結びつけるかは、矢野顕子の歌い方で掘り下げた。

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