1990年の「ZUTTO」を、永井真理子は2024年にもう一度録音しました。
長年の仲間と新しい編曲を作り、現在の声で届けたクリスマス版です。
さらに「Reborn」の歌い直しでは、かつて意識して加えた発音のニュアンスを変えています。
昔の声を取り戻すことだけが、復帰の目標だったのでしょうか。
本人の話をたどると、声が思うように出ない時期を乗り越え、今の自分に合う歌を選び直してきた道のりが見えてきます。
「ミラクル・ガール」蝶が岳ヒュッテ山頂ライブ(2018年公開)。
初期の元気な歌の裏で、発音を細かく学んでいた
1987年にデビューした永井は、前田克樹の書いた曲を歌ったデモから、レコード会社との縁をつかみました。
ディレクターの金子文枝は、その声に合った音楽だと受け止め、毎日のようにデモを録りながら、永井の良さや歌うときの気持ちを伝えたといいます。
初期の歌も、こうした細かな準備を経て作品になっていました。
2022年の取材で永井が挙げたのは、「お」の前に小さな「ぅ」を添えるような、母音の扱いです。
音程だけでなく、言葉の入り方や響きの残し方を一つずつ教わりました。
一方、ライブでは細部を意識しすぎず、自分らしく歌うよう勧められたそうです。
録音での細やかさと、舞台で思い切り動く姿は、もともと同居していました。
金子から受けた、感情を見せつけずに歌うという助言も、長く心に残ったと話しています。
何度も聴く録音では、強い感情表現が癖として気になることもある。
その考えを初期に学んだ人が、後年、同じ曲の言葉をどこまで飾って歌うかを選び直していきます。

写真出典:ソニーのアートワーク紹介
1993年、自分で表現を決めるために動いた
人気が高まる一方で、永井には新しいことを試したい思いが募っていました。
曲は売れているのだから変える必要はない、と考える周囲とのずれもあったと振り返っています。
忙しさの中で試す時間も持てず、そのまま自分の気持ちが終わってしまうことを恐れていました。
1993年のアルバム『OPEN ZOO』では、新しいスタッフを迎え、全曲の制作に自分も入っていきます。
当初は従来のスタッフと新しい人たちを交え、実現したいことを形にできる体制へ変えていったそうです。
ファンの戸惑いも受けましたが、そのとき歌いたいと思える音楽を選ぶ姿勢を貫きました。
この時期に広がったのは、何を表現するかを本人が決める範囲です。
与えられた曲の良さを教わる出発点から、自分の思いを制作へ伝える段階へ進んだ。
歌うことと、音楽の進み方を決めることが、より強く結びついていきました。
2017年の再開は、声を立て直すところから
長い活動休止とオーストラリアでの生活を経ても、永井は周年だからという理由だけで舞台へ戻るつもりはなかったといいます。
2022年の取材では、本当に歌いたいと思えることが、人前に立つ条件だったと話しました。
ブログに寄せられたファンの声と、昔の音楽仲間からの誘いが、再開への気持ちを押し上げます。
しかし、気持ちが動いても、声と体力はすぐには戻りませんでした。
岸谷香との2023年末の対談では、思うように声が出ず、もう歌えないのかと思った時期を振り返っています。
岸谷から紹介されたボイストレーナーに学び、約半年かけて準備してからライブを行ったというのです。
同じ対談で、永井は声が以前より低いほうへ移った感覚も語りました。
高いほうが減った分、低いほうが広がり、音域の広さ自体は大きく変わっていないという自己認識です。
そして、今の声のほうが、現在言いたいことに合っているとも話しました。
若いころの状態を取り戻すことにこだわるより、その声で新しく始められると思えるようになっていたのです。
2017年の活動再開で優先したのは、新しい曲を作ることでした。
復帰後のツアーで迎えられた喜びも、「ORANGE」という歌になります。
待ってくれた人への手紙のようなこの曲は、尾道から次の会場へ移る間、海と空を見てオレンジジュースを飲みながら生まれたといいます。
再会を、新しい曲として返していました。

写真出典:ぴあの本人取材
ライブで変えた旧曲が、新しい録音へつながった
復帰後も「ミラクル・ガール」や「ZUTTO」は大切なレパートリーです。
ただ、今の気持ちで歌うには、今の音楽性に合う編曲が必要でした。
ライブで育った版をCDでも聴きたいという声が届き、セルフカバーの制作につながります。
以前は、原曲の録音を完成形と考え、改めてアルバムにすることに迷いもあったそうです。
2020年には、初のセルフカバー盤『Brand-New Door』に向けて、「Brand-New Way」の1コーラス版を公式公開しました。
長年歌った曲を、新しい作品として届け始めた時期の記録です。
同年には「私の中の勇気」の、おうちバージョンも公開しています。
作曲者の前田克樹が演奏した音源に、永井が歌を重ねたものです。
デビュー前からの作り手と、もう一度歌でつながる。
過去の曲は、現在も一緒に音楽を作るきっかけになっていました。
2022年の『Re★Birth of 1992』でも、1992年の横浜スタジアム公演を共にした仲間が集まりました。
同じ曲順を軸に、当時に近い編曲と現在の編曲を組み合わせた公演です。
後年、永井が振り返った手応えは、懐かしさ以上に、まだ新しくなれるという感覚でした。
旧曲を歌うことに、これから先の可能性を感じています。
『Re-Birth of 1992』2022年8月7日公演の配信告知映像。
「ZUTTO」と「Reborn」で選び直したこと
2024年12月には、「ZUTTO ~Christmas version~」を配信しました。
デビュー時から支える林真史が編曲と鍵盤演奏を担い、永井が歌を新録した版です。
1990年の曲を、長い付き合いの演奏者と今の作品へ育て直しています。
同年10月の公演でも、「ZUTTO」は声と鍵盤を中心にした形で歌われました。
曲を知っている人と会うたびに、どの伴奏で、どの気持ちを届けるかを選んできたことが分かります。

写真出典:ぴあの2024年公演報告
2025年のセルフカバー盤『BIG LOVE』では、発音の選び方にも変化が表れます。
本人が具体例に挙げたのは、2000年のアルバム『ちいさなとびら』に入っていた「Reborn」でした。
「Reborn」(2000年『ちいさなとびら』収録)。
永井によれば、元の録音では発音を少し緩め、かわいさと格好よさを合わせた表情を意識していました。
新録では、その演出を考えず、まっすぐ歌ったというのです。
初期から言葉の細部を学んできた人が、その曲に今どんな表情をつけるかを選び直した例です。
年齢の違いだけでは説明しきれない、歌手自身の判断があります。
『BIG LOVE』の編曲では、原曲を思い出せるイントロや間奏も取り入れました。
聴き手が大事にしてきた記憶を残しながら、歌は現在の自分のものにする。
録り直した作品を作家たちへ届けると、新しい時代へ曲を連れてきてくれたことを喜ばれたそうです。
辛島美登里とも、2024年には「Keep On“Keeping On”」を二人で録音しました。
永井は、昔提供されたバラードがポップに再編曲され、明るい未来を感じながら歌えたと公式コメントに寄せています。
旧曲を再び歌うことが、作り手と新しい時間を過ごすことにもなりました。
2025年、変わった声を新曲でも受け止めた
その後のオリジナル盤『Can you hear me?』には、声と向き合い直した経験が表れています。
2025年9月の取材で永井は、喉の手術を受け、どんな声になるか分からない不安を抱えたと話しました。
少しずつ声が出るようになったとき、どんな声でも受け止め、使いこなしたいと思えたそうです。
本人は、低い音がさらに出るようになり、それまで避けがちだった短調の曲も自分の声に合ったと説明しています。
具体例に挙げたのは、新作の「We are making story」です。
「Shining Wind」でも低音を生かせたと話し、アルバム全体では、ライブで歌うことを思い描いた声と編曲を目指しました。
これは2017年の復帰準備とは別の、後年の出来事です。
以前の声から変わることへの不安を、その声で何ができるかという問いへ変えていった点に、歩みのつながりがあります。
昔の曲を今の気持ちで歌い直すことも、新しい声に合う曲を作ることも、現在の自分を歌へ映す選択でした。
「Reborn」の発音を変えた小さな判断の後ろには、初期の指導、自分で制作を決める挑戦、再開へ向けた準備がありました。
永井真理子は、その時々に歌いたいと思える形を探し直しています。
現在の公演で、曲ごとに伴奏や客席との関わり方をどう変えているかは、永井真理子の歌い方で紹介しています。

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