ジェイムズ・ヘットフィールドの歌唱変遷|正確に重ねる声から、その場の感情を残す歌へ

ジェイムズ・ヘットフィールド シンガー
ジェイムズ・ヘットフィールド

ジェイムズ・ヘットフィールドの歌の変化は、声が荒いか、滑らかかという違いだけでは捉えきれません。
同じ旋律をどう重ねるか、一回の歌唱に何を残すか、慣れた高さをどこまで離れるか。
Metallicaの作品を作るたびに、本人と制作側は違う答えを選んできました。
ここでは1986年から2023年の発言を手掛かりに、歌の完成度をどこに求めるようになったのかをたどります。

「The Unforgiven」— MV(1991年)

初期にもあった、歌の高さと響きを分ける発想

『Master of Puppets』(1986年)の「Welcome Home (Sanitarium)」では、思い描いたサビが自分には高すぎる、という問題に直面しました。
本人の回想によれば、主旋律を低くし、その上に高いハーモニーを重ねる形にしています。
力で元の高さを押し通すのではなく、複数の声に役割を分けたのです。

主旋律の高さと、重ねた声の効果を分けて聴く入口になります。

「Welcome Home (Sanitarium)」— 1986年作品のリマスター音源

1991年、一回の歌唱を大きく聞かせる

『Metallica』、通称『ブラック・アルバム』(1991年)の制作では、歌を録る手順にも変化がありました。
プロデューサーのボブ・ロックによると、それまでジェイムズは一行を歌い、同じ行をもう一度重ねてから次へ進んでいました。
ロックは、一回の歌唱そのものに十分な存在感を持たせようとします。

これは、声を細くしたり、重ね録りを全面的にやめたりする方針ではありません。
もう一つの声を足すことに頼らずとも、大きな音として届けられるよう制作側が支える、という変化です。
ジェイムズがヘッドホンを好まないことも受け入れ、スピーカーを使う録音環境を整えました。
音の混入を抑えることだけを優先せず、本人が歌いやすい条件を選んだのです。

この時期の「The Unforgiven」では、クリス・アイザックの「Wicked Game」に触発された、温かく大きな声への関心もありました。
別の声の魅力を自分の歌に取り込みたかったことが分かります。

同じ1991年末、本人は、長時間の公演を歌うために、発声のウォームアップが大きな助けになっていると話しています。
当時の公演は約2時間45分にも及び、毎晩続けて歌うことの負担も自覚していました。
録音で新しい声を探すことに加え、その声で長い舞台を続ける準備にも意識が向いていたのです。

1996年、同じ歌い回しの再現から離れる

『Load』(1996年)では、ジェイムズ自身が前作との違いを説明しています。
『ブラック・アルバム』では同じフレーズを厳密に再現することにとらわれていたのに対し、今度は多少の音程の揺れがあっても、歌う態度や感情がよければ残すようになったといいます。
マイクの前の決まった位置に固定される録音から、コントロールルームで動きながら歌える環境へ移ったことも、その自由さにつながっていました。

その瞬間の表情が、歌を選ぶ基準に加わったのです。

「Until It Sleeps」—『Load』収録曲のMV(1996年)

2003年、仲間の前で歌を試す

『St. Anger』(2003年)では、歌を完成させてから人に聞かせる、という関係も変わりました。
ジェイムズは当時、『Load』期には多くの歌詞を一人で抱え、持ち込んだものをさらに直すよう求められていたと振り返っています。
ところが今回は、ロックがメンバーそれぞれの言いたいことを引き出し、早い段階からマイクを渡して旋律を試させました。

本人にとっては、まだできていない歌を人前で試し、失敗するかもしれない状況です。
そこで助けを求めることを覚えた、と語っています。
歌の変化を、完成音源の荒さだけに結びつけると、この制作過程の変化が見えなくなります。
自分の内側で仕上げてから提出する歌から、他の人のいる場所で形を探す歌へ。
表現を決めるまでの道筋にも、大きな転換がありました。

「St. Anger」— MV(2003年)

2003年5月31日、Download Festivalのジェイムズ・ヘットフィールド(左)とカーク・ハメット
2003年5月31日、Download Festivalのジェイムズ・ヘットフィールド(左)とカーク・ハメット。
画像出典:画像掲載元

2008年、楽に歌える高さだけを選ばない

『Death Magnetic』(2008年)では、リック・ルービンとの制作が新しい課題をもたらしました。
ジェイムズは、標準チューニングで歌うことに難しさを感じたと話しています。
ルービンが好んだのは、高い調を歌おうと奮闘するときに出る、本人特有の声の表情でした。
本人も最初から歓迎したわけではありませんが、その難しさを引き受け、特に速い曲では効果があったと振り返っています。

ここは、音域が一気に広がったという話とは分けて考える必要があります。
楽器の調弦や曲の調を変えることは、歌手がどの高さで旋律に向き合うかを変えます。
その条件で生まれる緊張感を、制作者と本人が作品に採用したのです。

作品の狙いに応じて、自分に課す条件も変えていたことが分かります。

「My Apocalypse」—『Death Magnetic』収録音源(2008年)

2009年11月14日、ニューヨーク公演のジェイムズ・ヘットフィールド
2009年11月14日、ニューヨーク公演のジェイムズ・ヘットフィールド。
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ディオの歌が、慣れた範囲を問い直すきっかけに

2014年には、ロニー・ジェイムズ・ディオの追悼作品に「Ronnie Rising Medley」で参加しました。
Rainbow時代の複数の曲を組み合わせたカバーです。
自分たちの曲を歌うのとは違い、別の歌手が作った旋律と向き合う機会でした。

2016年、ジェイムズは、ディオの曲を歌った経験を大きな発見として語っています。
広い範囲で力を保つディオの歌に向き合い、自分も挑戦し続けたいと感じたのです。
また、慣れた音域やEの曲にとどまることへの不満、違う調を試す意欲も話しています。

『Hardwired… To Self-Destruct』(2016年)でも、標準チューニングが歌ううえで挑戦になったと説明しています。
2008年に制作側から与えられた難しさが、そのまま同じ意味で続いたわけではありません。
この頃の発言には、自分でも慣れを避け、声を使う範囲を問い直そうとする姿勢が表れています。

「Ronnie Rising Medley」— ディオ追悼作品の収録音源(2014年)

2023年、一曲ずつ違う性格の声を探す

『72 Seasons』(2023年)では、本人が曲がどれも同じように聞こえることを恐れ、歌い方を変えて各曲に性格を与えようとした、と語っています。
長い活動の末に一つの正解へ落ち着いたというより、同じ声で違う曲をどう成立させるかを考え続けていたのです。

「You Must Burn!」— MV(2023年)

この歩みには、互いに異なる課題があります。
「Sanitarium」では主旋律と重ねる声の高さを分け、1991年には一回の声の存在感を見直し、1996年には正確さと感情の扱いを変えました。
2003年には他の人の前で歌を探し、2008年以降は慣れた条件を離れることにも向き合っています。
単に昔より上手くなったという言葉では、それぞれの選択の理由がこぼれてしまいます。

ジェイムズの変遷を面白くしているのは、強い声という印象を保ちながら、何をもってよい歌とするかを更新してきたことです。
曲の中で声とギターのリズムをどう組み合わせるか、温かい声や重ね声をどう使うかは、ジェイムズ・ヘットフィールド(Metallica)の歌い方で詳しく扱っています。

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