「真夜中のドア〜stay with me」は、心地よいリズムに体を預けたくなる曲です。
それでも歌を追っていくと、別れかけた相手を引き留めたい人の切実さが残ります。
曲が軽快だから、歌も軽く流れてしまうわけではありません。
作曲・編曲をした林哲司は、洋楽のポップスを目指して伴奏を完成させました。
ところが、当時19歳の松原みきが歌うと、本人の予想よりもジャズや歌謡ポップスの情感が強くなったといいます。
何がその印象を変えたのでしょうか。
伴奏の作り、言葉の主人公、そして松原の声が担った役割を、一曲の中で見ていきます。
歌が入る前、曲はもっと洋楽寄りだった
林がレコード会社から受けた依頼は、歌謡曲らしさを気にせずに洋楽のポップスを作ることでした。
英語の歌詞がそのまま乗ることまで想定してメロディーを書き、松原の歌が入る前に伴奏を仕上げています。
リズムについても、ギターの刻み、ドラムとベースが作る16ビートの流れを大切にしたと話しています。
当時、洋楽風の曲を頼まれても、国内で売るために歌謡曲らしさを混ぜるのが一般的だったそうです。
この曲では、その保険をいったん外した。
だからこそ、完成した歌を聴いた林は驚きました。
伴奏だけで思い描いた景色と、松原の声を重ねたあとの景色が違ったのです。
林は歌入れには立ち会っていません。
出来上がった曲を聴き、若い歌手の声から予想外の大人っぽさ、湿り気、ジャズを感じたと語っています。
その声が、洋楽を目指したメロディーを日本の歌謡ポップスへ近づけたという評価でした。
松原が具体的にどんな発声操作をしたかまで、林が分析したわけではありません。
声が加わったとき、曲に宿る感情が変わったと受け止めたのです。
林は同じ年に竹内まりやの「SEPTEMBER」も作曲しています。
こちらは歌謡ポップスらしい旋律として書いたつもりが、竹内の声が入るとアメリカン・ポップスのように聞こえたという。
「真夜中のドア」では逆に、洋楽を目指した旋律が松原の声によって日本のポップスへ近づいた。
林が二曲を並べて語るのは、曲の印象が作曲の段階だけでは決まらず、歌手の声で動くからです。

出典:ポニーキャニオン
歌手デビュー時にバンドのリーダーを頼まれた伊藤銀次も、初めにこのレコードを聴いて驚いた一人です。
事務所は新人をアイドルとして売り出そうとしていたのに、渡された曲は洗練されたポップスだった、と振り返っています。
売り出し方だけで歌を想像していた人にも、この録音は意外だったのでしょう。
松原自身がひかれた、ジャズ歌手の歌
松原自身は、どんな歌に心を動かされていたのでしょうか。
『スウィング・ジャーナル』の対談の再録には、「Misty」で特に好きな歌手としてジュリー・ロンドンを挙げる発言が残っています。
幼い頃、ジャズ歌手だった母がよく聴いていて、子どもながらに女性らしい歌の魅力を感じたというのです。
同じ対談では、ペギー・リーの「On the Sunny Side of the Street」にも強く引きつけられたと語っています。
名演と名唱を一緒に楽しめる録音として紹介されたのに、聴くうちに歌声へ心が向かい、曲のよさまで新たに感じたそうです。
彼女が聴き手として大切にしていたのは、巧みに演奏される音楽の中から、一人の歌い手の気持ちが届くことでもありました。
この好みは、「真夜中のドア」で具体的に誰の節回しをまねたかを示すものではありません。
ただ、洗練された伴奏と、そこから浮かぶ人の気持ちを一緒に楽しむ聴き方は、松原自身の歌へ戻るときにも手がかりになります。
サビへ向かう音楽と、引き留めたい人の気持ち
曲を気持ちよく進める16ビートと、歌の中で起きていることは別です。
歌詞の主人公は、離れていく相手を前に、かつての二人を思い返しています。
夜の情景はおしゃれでも、そこで口にする願いは切実です。
もし言葉まで淡々と流れれば、音楽の洗練は伝わっても、この人物の寂しさは遠ざかるかもしれません。
反対に、最初から最後まで泣き崩れるような歌なら、伴奏の軽快さから離れてしまうでしょう。
「真夜中のドア」が両方を失わないのは、声が楽曲の気持ちよさを壊さず、主人公の未練を消さないからです。
林自身、Bメロからサビへ向かう旋律に哀愁があり、松原の濡れたような歌声と合っていると後に話しました。
リズムの軽さに対し、旋律と声が別の感情を運んでくる。
ここがこの歌の中心です。
音楽プロデューサーの松尾潔は、この曲の主人公を、ただ受け身で悲しむ人ではなく、動き、自分の言葉で思いを伝える人として読んでいます。
何度も呼びかける言葉が耳に残るのは、単に英語のフレーズが格好いいからではありません。
別れを受け入れきれない人が、まだ相手へ話しかけている。
その人物像が、繰り返しに意味を与えます。
冒頭のコーラスと、終わりに残った即興
印象的な冒頭の英語のコーラスについて、林は少し意外なことも言っています。
つなぎの一部分には苦しそうに聞こえるところがあると感じたものの、そこは言葉の正確さを問うより、編曲を構成する音の一つとして考えていたそうです。
作り手にとっても、歌詞の意味をはっきり伝える部分と、声を楽器のように置く部分は同じではありませんでした。
一方、曲の終わりには松原のフェイクがあります。
フェイクは決まったメロディーを少し変えて歌う表現です。
林によれば、後年この曲をカバーする人の中には、自由に変えてよいはずの松原のフェイクをそのまま歌う人もいます。
もともと即興だったものが、聴き手にとっては「この曲らしさ」の一部になったのです。
歌い手が加えたものが、その後の歌い手にも引き継がれる。
これは、松原の歌が伴奏に乗っただけではなかったことを示す、具体的な出来事でしょう。
林が最後にギターのソロを置いたことと、松原が最後に残した声。
その二つが、曲の終わりまで耳に残る形を作りました。
冒頭のコーラスは、シングルとアルバム『POCKET PARK』収録版で編曲が違います。
歌が始まる前の数秒から、同じ声を何と並べて聞かせるかによって印象は動く。
この曲では、松原の声を伴奏から切り離して「大人っぽい」と評するだけでは足りません。
「真夜中のドア」だけで決まらなかった歌手
一曲の歌い方を見ても、松原の声を単に「ハスキー」「大人っぽい」と呼ぶだけでは足りません。
作曲家が洋楽を目指した伴奏に、恋を終わらせたくない人物の気持ちを加えたこと。
冒頭では声を音の一部として置き、終わりには本人の即興が曲の記憶に残ったこと。
この組み合わせが、「真夜中のドア」を松原の歌にしました。
その後の彼女は、別の言葉を前に出した作品、ジャズのスタンダードを低めのキーで歌う作品、バンドと一緒に録音を準備した作品にも進んでいます。
そこを時期ごとに比べる話は、松原みきの歌唱変遷で扱います。
今この一曲へ戻るなら、軽快なリズムだけでも、別れの言葉だけでもなく、二つが松原の声の中で出会うところを聴きたい。
洋楽風に作ったはずの曲を、誰かの切実な物語として記憶させた歌い方が、そこにあります。







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