松原みきの「真夜中のドア〜stay with me」は、伴奏の心地よさだけでも繰り返し聴きたくなる曲です。
けれど、そこへ入ってくる声は、軽く流れてはいきません。
明るく弾む音楽の中に、別れを受け入れきれない人の気持ちが残ります。
作曲した林哲司も、完成した歌を聴いて、思い描いていた曲の印象が変わったと話しています。
洋楽を目指して書いた曲が、松原の声によって、日本の歌謡ポップスらしい情感を帯びたというのです。
リズムの心地よさと、声が伝える切なさを、一つの歌の中に置けること。
松原みきの歌い方の魅力は、ここから考えると分かりやすくなります。
1979年の映像を再編集した「真夜中のドア」から、ジャズを歌った『BLUE EYES』まで、その声の表情をたどってみましょう。
洋楽を目指した曲を、歌声が変えた
「真夜中のドア」の制作で林が受けた注文は、歌謡曲らしさに気を配らず、洋楽のポップスを作ってほしいというものでした。
英語詞を想定してメロディーを作り、歌を入れる前に伴奏まで仕上げています。
ところが、出来上がった松原の歌には、予想以上に大人びた情感がありました。
当時19歳の新人が歌っていることに、林は驚いたといいます。
林が対照として挙げたのが、同じ年に発表された竹内まりやの「SEPTEMBER」です。
こちらは歌謡曲寄りに作ったメロディーが、竹内の歌によってアメリカのポップスのように聞こえたそうです。
松原とは、変化の方向が反対でした。
二曲は別々の作品ですが、どちらも歌声が加わることで、作曲者の予想を超えた印象になりました。
二人を「シティポップの歌手」とひとまとめにするだけでは見えにくい違いです。
竹内まりやの歌い方と比べて考える時にも、声のきれいさだけでなく、歌からどんな感情が伝わるかが面白いところでしょう。
おしゃれな曲でも、恋の痛みは消えない
「真夜中のドア」という曲を、都会的で格好いい音楽として好きになることは、ごく自然です。
ただ、歌われているのは、何事もなく過ごせる人の気分ではありません。
離れていく相手を引き止めたい気持ちや、過去の二人を思い返す寂しさがあります。
そこで歌まで淡々と流れれば、洗練された雰囲気は作れても、別れの痛みは遠くなるかもしれません。
反対に、すべての言葉を泣くように歌えば、伴奏が生み出す軽快さとは違う方向へ進むでしょう。
松原の歌は、気持ちよく聴ける音楽の中で、恋の痛みまで忘れさせないところに魅力があります。
少しかすれた声だから悲しい、と声質だけで決めつける必要もありません。
同じ声でも、歌う言葉や、周りで鳴る音によって受け取る印象は変わります。
「真夜中のドア」の場合は、曲の気持ちよさを楽しんでいるうちに、歌の中の人の寂しさへも引き寄せられる。
その両方があるから、ただ明るい曲にも、ただ悲しい曲にもならないのです。

「ニートな午後3時」では、別れた先を向く
松原の声を「悲しい恋に似合う声」とだけ覚えると、もったいない曲があります。
1981年の「ニートな午後3時」です。
資生堂の春のキャンペーンに使われたこの曲では、別れを経験した女性が、これからの自分の暮らしを選ぼうとしています。
タイトルの「ニート」は、英語の「NEAT」。
すてきな、こざっぱりした、といった意味で使われています。
恋人を失ったら、ただ寂しい人になるのではなく、自分の時間を楽しむ人にもなれる。
そんな方向を持った歌です。
「真夜中のドア」の引き止めたい気持ちに対し、こちらでは過ぎた恋に縛られずに進もうとします。
どちらにも恋の傷はありますが、その傷との向き合い方が違います。
だからこそ、松原の大人びた声が、一方では未練を、もう一方では自分で立ち直ろうとする気持ちを伝えるのが面白いのです。
二曲を続けて聴くなら、同じ声に悲しさだけでなく、明るさや頼もしさを感じるかどうかに注目したくなります。
声の特徴を一つの形容詞で決めるよりも、歌の中の女性が何を選ぼうとしているかまで見たほうが、松原の表現を楽しめます。
ジャズでは、低めの声にゆとりが生まれる
松原にとって、ジャズはデビュー後に知ったおしゃれな音楽ではありません。
母親がジャズ歌手で、幼い頃から身近にあった音楽でした。
1984年の『BLUE EYES』は、そのルーツにつながるスタンダード曲集です。
サックス奏者の稲垣次郎がプロデュースし、前田憲男が編曲を担当。
「Misty」や「Wave」などを、普段より低めで落ち着いた声で歌っています。
小さな編成から大人数の演奏まで伴奏もさまざまで、歌を包む音の違いも楽しめるアルバムです。
「真夜中のドア」のサビで印象に残る声だけが、松原の持ち味ではありません。
低いほうの音域で落ち着いて歌うと、言葉を急がずに聴ける、別の親しさがあります。
都会的なポップスを歌う時の華やかさとは違う形で、声そのものを好きになれる作品でしょう。

なかでも「Misty」は、彼女が幼い頃から好きだった曲です。
母親が聴いていたジュリー・ロンドンの歌に、子どもながらに魅力を感じていたと語っています。
有名なスタンダードを仕事として歌うだけでなく、自分が聴く側として好きだった曲を、自分の声で歌うことにもなったのです。
制作を担当した長岡和弘は、このアルバムの録音で、松原が幸せそうに何度も歌っていた姿を覚えています。
大人っぽい歌声の向こうに、好きな音楽を歌う人の喜びがある。
それを知ると、クールな歌手という印象だけでは聴けなくなります。
歌の表情は、録音を聴き直して選んでいた
一曲の中で、どんな気持ちを伝えるか。
松原の録音には、一度歌ったものを聴き直し、選び直す時間がありました。
長岡によれば、『REVUE』の制作では、松原は前回の録音をウォークマンで聴きながらスタジオに入りました。
そして、もう一度歌ったものと比べて、どちらを採用するか決めたいと求めていたそうです。
以前に録った自分の声を、スタジオに入るまで聴き直す。
それでもう一度試したいと思うのですから、本人の中には、完成したと思えるまで確かめたいものがあったのでしょう。
大人びた声を持っていることと、その声で納得できる歌を録ることは、別の問題だったのだと思います。
「真夜中のドア」の切なさ、「ニートな午後3時」の前へ進む明るさ、『BLUE EYES』の落ち着き。
同じ歌手が、曲や言葉に合わせて違う表情を見せています。
松原みきの魅力は、洗練された伴奏に似合う声を持っていたことに加え、その中で歌の主人公の気持ちを残せることでした。
気持ちよく聴いていたはずなのに、いつの間にか寂しさや心の動きまで伝わってくる。
「真夜中のドア」からほかの曲へ聴き進めても、その声に惹かれる理由が見つかります。






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