伊東歌詞太郎の歌い方・発声|まっすぐな高音がライブで強く届く理由

伊東歌詞太郎のまっすぐな高音と歌い方を分析する記事のアイキャッチ 高い声の出し方

伊東歌詞太郎さんの歌声は、力強い、凛としている、抜けがよいと紹介されることが多くあります。
高い音まで線が細くならず、歌詞も聞き取りやすいため、地声の強さやミックスボイスの技術へ目が向きやすい歌手です。

ところが、本人の発声についての話をたどると、意外な答えに行き着きます。
体のどこが響いているかは分からず、鼻腔共鳴の感覚もない。
代わりに考えているのは、声が体を出た後、外の空気をどう振動させるかだというのです。

まっすぐな高音の正体を、喉の中の一つの技術だけで説明することはできません。
一千回を超える路上ライブで人へ直接届けてきた経験、言葉とメロディを同時に作る習慣、そして録音では消えてしまう何かまで含めて、伊東歌詞太郎さんの歌い方は成り立っています。

伊東歌詞太郎の高音は「体のどこへ響かせるか」から始まらない

発声を説明する記事では、胸、口、鼻、頭といった響きの場所がよく登場します。
伊東歌詞太郎さん本人は、それらの感覚がほとんど分からないと話しています。

これは、響きを使っていないという意味ではありません。
声が出れば体も周囲の空気も振動します。
ただ、本人が歌う時の目印にしているのが「鼻へ当てる」「頭へ抜く」といった体内の感覚ではないのです。

意識はむしろ、口を離れた後の音へ向いています。
どこへ置いたかではなく、客席まで届いた声が空間をどう震わせるか。
この考え方なら、伊東さんの歌が録音作品だけでなく、路上やライブハウスで強く育ったことともつながります。

第三者による発声分析では、地声寄りのミックスボイス、明るい響き、細かいビブラート、語尾に残る息など、さまざまな説明がされています。
共通しているのは、爽やかな声が前へ抜け、言葉の輪郭を失いにくいという見方です。
一方、喉の高さや声帯の動きまで断定する説明は、本人の感覚と一致するとは限りません。

外へ届く音を重視する伊東歌詞太郎の歌唱

録音では消える「何か」を持っている

本人は、ライブの歌には録音で完全には残せない「SOMETHING」があると表現しています。
スタジオで丁寧に録った声が不完全なのではありません。
その場にいる人の呼吸、会場の広さ、一度しかない時間まで含めた時、音声データとは別の伝わり方が生まれるという話です。

伊東歌詞太郎さんは、歌い手として動画投稿から注目された人物です。
同時に、全国で一千回を超える路上ライブを行ってきた、徹底した現場の歌手でもあります。
画面の中で知られた声が、実際には人の目の前で磨かれてきたところに大きな面白さがあります。

路上では、マイクや音響が理想どおりとは限りません。
通り過ぎる人にも最初の数秒で言葉を届け、立ち止まった人へ一曲の物語を渡す必要があります。
歌詞が明瞭で、音が前へ進む印象は、派手な高音を見せるためだけではなく、人と人の距離を越えるために育ったものと考えると分かりやすくなります。

この点は、ライブ映像を聴いて発声の内部を推測する話とは別です。
本人がライブと録音の差をはっきり意識し、長い路上活動を続けてきたという事実から、歌の目的が「正しい声を出すこと」より「その場へ届けること」に置かれていると分かります。

録音を軽視しているのではなく、驚くほど細かく選んでいる

ライブに録音できない価値を認めながら、レコーディングでは細部を詰めています。
アルバム『魔法を聴く人』の制作では、コンデンサーマイクを二本ずつ試し、一曲の同じ部分を歌い、六本分を聴き比べて選びました。

声を自然なまま残せばよい、という素朴な録り方ではありません。
曲ごとに物語が異なるなら、声を受け取るマイクも選び直す。
ライブの一回性と、録音の精密さを対立させず、別の表現として扱っています。

さらに本人は、録音前にその曲を繰り返し練習しないと話しています。
準備不足を勧めているわけではなく、何度も決まった歌い方をなぞることで、最初に生まれる反応を固めたくないという制作上の判断です。

「先生と生徒」の終盤では、実際に録音へ入ってから、ほとんど息継ぎのない長いフレーズに気づきました。
最初の二回では成立せず、三回目に呼吸の使い方を工夫して歌い切ったと振り返っています。
用意した正解を再現するより、曲から突きつけられた問題をその場で解くことが、伊東さんの録音には含まれています。

言葉がはっきり届くのは、歌詞が旋律の後付けではないから

伊東歌詞太郎さんは、歌詞とメロディを同時に作ることが多く、作詞に長い時間をかけることもほとんどないと話しています。
思いつきだけで書いているのではありません。
日常の中で世の中や自分、音楽について考え続け、曲を書く時には、すでに引き出しにあるものを開ける感覚だそうです。

この作り方では、言葉が完成した旋律へ無理に押し込まれにくくなります。
どの音でどの言葉を届けるかが、曲の誕生時から一緒にあります。
発音の明瞭さを滑舌だけで説明するより、言葉と旋律を最初から分けていないことまで見る方が、伊東さんらしさに近づけます。

『魔法を聴く人』では、一曲ごとに異なる物語を置き、作家から提供された自分では書かない世界も歌いました。
どの曲でも同じ声色を押し通すのではなく、曲の正解を探し、自分の都合を前へ出しすぎない姿勢が、表現の幅につながっています。

その一方で、どの物語にも声の芯とまっすぐさが残ります。
変化させる部分と変えない部分があるから、違う作家の曲を歌っても、伊東歌詞太郎という人の声として聞こえるのです。

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地声かミックスボイスかだけでは答えが足りない

伊東歌詞太郎さんの高音については、第三者の記事でも見方が分かれます。
地声寄りのミックスボイスを中心に説明するものがある一方、明るい声質、息の混ざり方、細かなビブラートや語尾の処理を特徴として挙げる分析もあります。

どちらか一つが完全な正解とは限りません。
同じ歌手でも、音の高さ、声量、母音、曲の感情によって声の使い方は変わります。
「高音まで強いから全部地声」「軽く聞こえるから全部裏声」という分け方では、曲ごとの違いを落としてしまいます。

初心者が理解する時は、声区名より先に二つを見ると整理しやすくなります。
一つは、高音になっても歌詞が遠くならないこと。
もう一つは、強く歌っても一曲の最初から最後まで同じ圧力で押していないことです。

ミックスボイスと地声の違いを知ることは役立ちます。
ただし、伊東さんの魅力は声区を切り替える瞬間だけではなく、選んだ声を言葉として客席まで運ぶところにあります。

真似したいのは十時間歌うことではない

2018年に声帯結節の手術を受けた後、伊東歌詞太郎さんは医師から回復を認められても、自分の中の違和感が消えなかったと話しています。
納得できるまでには約三年かかり、その間には、一日に十時間歌えば前へ進めると考えた時期もありました。

ここを武勇伝として真似してはいけません。
本人も、練習量を増やせば必ず解決するという思い込みの中で、できることを手当たり次第に試していた時期として振り返っています。
長時間歌うことが、伊東さんの高音を作る安全な方法だという意味ではありません。

参考にできるのは、体内の正解を探し続けるより、自分の声が相手へどう届いたかを確かめる姿勢です。
録音で歌詞を聞き取れるか、一曲の途中で声が急に細くならないか、ライブやカラオケで力だけが先に出ていないかを見る。
それなら、本人の表面をまねるのではなく、歌の目的を借りられます。

痛み、強いかすれ、普段と違う話し声がある時は歌唱を中止してください。
不調が続く場合は、練習方法で押し切らず、耳鼻咽喉科などの専門機関へ相談することが必要です。

まとめ

伊東歌詞太郎さんのまっすぐな高音は、地声の強さやミックスボイスという一語だけでは説明し切れません。
本人は体のどこが響くかを歌唱の目印にせず、体を出た音が外の空気をどう振動させるかを考えています。

そこへ、一千回を超える路上ライブ、言葉とメロディを同時に生む作曲法、曲ごとにマイクまで選ぶ録音の精密さが重なります。
ライブには録音で消えるものがあると認めながら、録音を徹底して作り込む。
この矛盾を両方抱えていることが、伊東歌詞太郎さんの声を面白くしています。

高音だけを切り取れば、強く明るい声です。
一曲全体を見れば、その強さは言葉を人へ渡すために使われています。
だから伊東歌詞太郎さんの歌は、音が高いだけで終わらず、ライブで目の前の人に向かって進む声として届くのです。

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