伊東歌詞太郎の歌声はどう変わった?「2.1」で止まった喉から『三千世界』へ

伊東歌詞太郎の歌声の変化を2.1から三千世界までたどる記事のアイキャッチ 高い声の出し方

伊東歌詞太郎さんの歌声の変遷には、本人がアルバム名へ残した、不思議な数字があります。
一作目は『一意専心』、二作目は『二律背反』。
ところが三作目の『二天一流』を、本人は「2.1」のような作品だったと振り返っています。

本来なら次は三へ進むはずでした。
しかし、喉に不調を抱えていた時期の自分は、まだ三作目を名乗れる地点にいないと考えたのです。
2018年の声帯結節手術を経て、医師から回復を認められた後も、自分の歌声を取り戻したと感じるまでには約三年かかりました。

そして2022年、再録した代表曲を収めたベストアルバムに、ようやく『三千世界』という「三」の名を付けます。
伊東歌詞太郎さんの歌声は、ただ高音が安定したという一本道では変わっていません。
ネット投稿と路上ライブで生まれ、オリジナル曲を歌う声へ進み、一度自分の感覚を失ってから、過去の歌を現在の声で引き受け直してきました。

2011年から2014年、ネットで知られた声は路上でも歌っていた

伊東歌詞太郎さんは2011年ごろから、動画プラットフォームへ歌唱を投稿し始めました。
力強く凛とした声が注目され、歌い手として急速に知られるようになります。

ただし、活動の出発点をネットだけで説明すると半分しか見えません。
歌詞太郎さんは全国各地で路上ライブを重ね、後にはその回数が一千回を超えました。
録り直しのできる投稿と、一度きりの現場を同時に続けたことが、初期からの大きな特徴です。

2014年のメジャーデビューアルバム『一意専心』には、人気の歌ってみただけでなく、オリジナル曲も収められました。
誰かの曲を自分の声で届ける歌い手から、自分の言葉を持つシンガーソングライターへ進む最初の足場になった作品です。

この頃の声を、現在より未熟だったという一言で片づけることはできません。
ネットでは細部まで作り込み、路上では目の前の人を立ち止まらせる。
二つの環境を往復したことが、後まで残る明瞭な言葉と、前へ進む歌の原型になりました。

2015年から2016年、借りた歌から自分の物語へ重心が移った

二作目『二律背反』では、オリジナル曲の比重がさらに大きくなります。
同時期には宮田“レフティ”リョウさんとのユニット、イトヲカシでも全国を回り、バンドとして曲を届ける活動が広がりました。

作曲について、本人は書きたいことが日常の中ですでにたまっており、曲を作る時は引き出しを開けるような感覚だと話しています。
歌詞とメロディを同時に作ることが多いため、言葉は旋律へ後からはめるものではありません。

歌声の役割も変わりました。
歌ってみたでは、すでに存在する曲の魅力を自分の解釈で届けます。
オリジナル曲では、最初の言葉が生まれた理由から、歌い終わった後に何を残すかまで、自分の声が背負うことになります。

この時期は、歌い手を卒業して別の歌手になったわけではありません。
カバーで培った多様な表現を残しながら、自分の物語を始める声が加わったのです。

2017年、『二天一流』を三作目ではなく「2.1」と考えた

2017年に発表された『二天一流』は、作品の並びだけ見れば三枚目のフルアルバムです。
しかし本人の中では、二から三へ進み切れない感覚がありました。

当時は喉に問題を抱え、自分の歌を十分に取り戻せていませんでした。
本来考えていた「三」のタイトルを付けず、二を残した『二天一流』を選びます。
後に本人が「2.1」と説明した作品名は、キャリア上のしゃれではなく、歌声への自己評価を刻んだ数字でした。

それでも作品を止めなかったことが重要です。
万全ではない自分を隠して三へ進んだことにするのではなく、現在地を2.1として発表する。
声の変化を成功だけで語らず、進めない時間まで作品の一部にした点に、伊東歌詞太郎さんらしさがあります。

三へ進み切れない時期を二天一流として残した伊東歌詞太郎

2018年、手術が終わっても自分の歌声はすぐ戻らなかった

2018年春、伊東歌詞太郎さんは声帯結節の手術を受けました。
決められたリハビリを約三か月続け、医学的には回復したと認められます。

ところが、本人の感覚では以前と同じではありませんでした。
声が出るか出ないかだけなら、手術とリハビリで答えは出ています。
それでも「自分が歌っている」と納得できる感覚が戻らず、その違和感が消えるまで約三年かかったと振り返っています。

復帰前のリハーサルでは声がかれ、最後まで歌えない日もありました。
一方、復帰公演では歌うことができ、その後は三十九か所を巡る路上ライブで約二万人へ声を届けています。
回復を一本の上昇線にせず、よい日と不安な日を抱えながら現場へ戻った時期でした。

ここで本人は、歌う量を増やせば解決すると考え、一日に十時間歌うことも繰り返しました。
現在の発声記事で触れたように、これは安全な練習法として真似できる話ではありません。
出口が見えない中で、本人ができることを探し続けた記録として受け取る必要があります。

2019年から2020年、声を取り戻す途中で表現の入口が増えた

2019年には中国ツアーを行い、国内外でのライブ活動を広げました。
翌2020年には、アニメ主題歌「記憶の箱舟」を発表し、同名の小説も刊行しています。

歌うこと、曲を書くこと、小説を書くことが別々の仕事ではなく、一つの物語を異なる入口から届ける活動へつながっていきます。
喉の違和感を抱えた時期に表現を狭めるのではなく、声だけでは言い切れないものを文章へ広げたことも、この時期の変化です。

歌唱面では、本人が完全に戻ったと感じる前の途中にあります。
だからこそ、2018年から2020年を「手術で治って復活した」と短くまとめると、大切な部分を失います。
医療上の回復と、歌手本人が自分の声を受け入れるまでの時間は、同じ長さではありませんでした。

2021年から2022年、過去の代表曲を現在の声で録り直した

2021年、伊東歌詞太郎さんはビクターエンタテインメントから再メジャーデビューしました。
翌2022年のベストアルバム『三千世界』では、動画投稿時代からの曲とオリジナル曲を選び、十二曲を再録しています。

その中の「チルドレンレコード」について、本人は歌もアレンジも現在の自分で更新できたと説明しました。
昔の録音をそのまま並べる回顧作ではなく、過去の歌へ現在の声で入り直した作品です。

ここで、止まっていた数字がようやく三へ進みます。
喉の不調を抱えた『二天一流』を2.1とした本人が、手術後の長い時間を経て、『三千世界』というタイトルを選びました。
アルバム名が、声を取り戻したという本人なりの到達報告になっています。

再録には条件の違いがあります。
アレンジ、録音環境、制作スタッフも初期と同じではありません。
そのため、二つの音源だけを聴いて技術の進歩を断定することはできません。
それでも、本人自身が「現在の僕で更新した」と位置づけたことは、変遷を考える確かな手掛かりです。

2023年、歌声は十の物語を演じ分ける道具になった

アルバム『魔法を聴く人』では、一曲ごとに異なる物語が置かれました。
本人が書く曲だけでなく、自分では生み出さない世界を他の作家へ依頼し、それぞれに違う歌の表情を与えています。

録音では、コンデンサーマイクを六本分聴き比べて曲に合う一本を選びました。
かつては声が出るか、自分の感覚が戻るかが大きな問題でした。
この時期には、戻った声を一つの型へ固定せず、物語ごとにどう記録するかを選べる段階へ進んでいます。

三千世界を経て物語ごとの声を選べるようになった伊東歌詞太郎

『Storyteller』では、歌を一曲目に置くライブと、最後に置くアルバムで役割を変えました。
同じ曲でも、作品全体のどこに置くかによって伝わる意味は変わります。
声の変化は音色だけでなく、曲順や間まで使って物語を届ける設計へ広がりました。

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2024年から2026年、取り戻した声で国内外を往復する

2024年は「pride rock music」を発表し、全国ツアー「MIX」とワンマンライブ「Mastering」を開催しました。
中国ツアーも行い、投稿から始まった声を再び国境の向こうへ運んでいます。

2026年には「あやかしあやし」など新しい楽曲を発表し、ライブツアー「memory&present」を行いました。
過去の記憶と現在を並べたツアー名は、初期曲を捨てずに更新してきた歩みとも重なります。

現在の伊東歌詞太郎さんは、歌い手、シンガーソングライター、小説家、ラジオパーソナリティーとして複数の表現を続けています。
役割が増えても中心にあるのは、ライブで人へ直接歌を渡すことです。

変わらず残ったのは、歌を相手へ届ける姿勢

初期と現在では、活動規模も、作る曲も、録音への向き合い方も変わりました。
声帯結節の手術を経験し、自分の歌声に再び納得するまでの長い空白もあります。

それでも、ネットの中だけで完結せず、路上や会場へ出て歌う姿勢は変わっていません。
本人は、ライブには録音で失われる何かがあり、自分の歌にはそれがあると語っています。

『三千世界』が示したのは、昔より高く歌えるようになったという単純な勝利ではありません。
過去の代表曲を、違和感も手術もリハビリも通過した現在の自分で、もう一度歌えるようになったことです。

伊東歌詞太郎さんの歌声の変遷を詳しく知った後は、現在の歌い方と発声を見ると、なぜ本人が体内の響きより外の空気を重視するのかもつながって見えてきます。

まとめ

伊東歌詞太郎さんの歌声は、2011年ごろの動画投稿と路上ライブから始まり、オリジナル曲を自分で書き、物語を背負う声へ変わってきました。
その歩みは、順調に一、二、三と進んだわけではありません。

喉に不調を抱えた『二天一流』を、本人は「2.1」と考えました。
2018年の手術後、医学的な回復より長く残った違和感と向き合い、約三年をかけて自分の声を取り戻します。

2022年の『三千世界』で過去の歌を現在の声へ更新した時、止まっていた数字はようやく三へ進みました。
その後は『魔法を聴く人』で物語ごとに録音と歌の表情を選び、2026年も国内外のライブと新曲を続けています。

変化の中心にあるのは、音域の拡大ではありません。
一度失った自分の歌を、昔の曲ごと引き受け直したことです。
伊東歌詞太郎さんの歌声の歴史は、上手くなる物語というより、止まった地点を隠さず、そこからもう一度自分の声を選び直した物語です。

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