石井竜也は、長く歌ってきた「浪漫飛行」を、昔のまま残しておくだけにはしませんでした。
2023年にはソロで新たに録音し、そのときの歌い方や声のほうが、自分では好きだと話しています。
米米CLUBのカールスモーキー石井として人気を得た声には、聴き手それぞれの思い出があります。
それでも、本人が今の声を好きだと言うのはなぜなのか。
本人が語ってきた変化をたどると、以前ならためらっていた歌い方を選べるようになったことや、飾りの少ない舞台で歌う自信が見えてきます。
声の変化に加えて、歌っている本人の手応えも変わっていたのです。
1993年のライブ「SHARISHARISM ACE -THE 8TH OF ACE-」で歌われた「浪漫飛行」から、その歩みをたどってみましょう。
米米CLUBの歌手は、舞台全体を作る人だった
石井は1985年、米米CLUBのボーカリストとしてデビューしました。
作詞や作曲に加えて、衣装やステージセットも手がける。歌手の仕事と、ショーを作る仕事が、最初から近いところにありました。
「浪漫飛行」がアルバム『KOMEGUNY』に入ったのは1987年です。
1990年にシングルとなり、JALのCMとともに広く知られるようになりました。
曲が生まれた年と、大きなヒットになった年には、少し間があります。
石井は後年、この曲の演奏について、打ち込みを使った初期の形と、バンド再始動後の「浪漫飛行’07」を区別して話しています。
後者ではホーンの響きが前に出て、ステージで楽しむ要素も増えました。
同じ曲名でも、歌の周りにある音楽は、その時々の米米CLUBに合わせて変わっていたのです。
米米のステージを知る人にとって、石井の声は、演奏や踊りや衣装から切り離しにくいものでしょう。
その華やかさを楽しんでくれた人に、ソロでは何を見せるのか。
1997年にソロ活動を始めてからも、それは長く考え続ける課題になりました。
2004年、少ない人数でもコンサートを作ってみる
ソロになったからといって、初めから静かな歌だけになったわけではありません。
歌って踊れるライブも続ける一方で、2004年の「SKETCH」では、ギター、ベース、ドラム、キーボードの四人を伴奏に迎える構成を選んでいます。
大人数のショーをよく知る石井が、少人数で曲を聴かせる公演も試していたのです。
本人は、ファンが父親や友人を連れて来る場合にも触れていました。
初めて来た人にとって、客席が一斉に踊り始めるコンサートは、楽しいだけでなく、少し驚く場所にもなります。
いつもの見せ方を変えれば、別の人にも来てもらいやすくなる。小さな編成には、そういう狙いもありました。
ここで変えようとしていたのは、歌手としての存在感を小さくすることではありません。
人数や仕掛けを減らした公演で、どこまで歌と演奏を楽しんでもらえるか。
のちに石井が、歌を中心にした舞台への自信を語ることを思うと、その問いをすでに試していた時期として読めます。

40代以降のビブラートと、50代までのためらい
声についての変化も、本人が言葉にしています。
2020年には、ビブラートが出てくるようになったのは40歳を過ぎた頃だと振り返りました。
本人にとっては、声を長く伸ばすために身についてきた技術だったようです。
さらに同じ年、ラジオで最近の歌い方が濃くなったと指摘されると、石井は、それこそ自分がやりたかった歌い方だと答えています。
歌い出すタイミングを少し遅らせて、言葉をじっくり歌う。
50歳に入る頃までは気恥ずかしさがあったものの、そのためらいを越えて歌うようになったというのです。
年齢による歌声の変化というと、以前できていたことが難しくなった話を想像しがちです。
石井の説明には、逆の変化があります。
やってみたかったのに、自分には大げさすぎると感じていた歌い方を、ようやく選べるようになった。
変わったのは、声だけでなく、どんな自分を人前に出してよいと思えるか、という感覚でもありました。
その濃い歌い方を、曲の感情や表情とどう結びつけるのかは、石井竜也の歌い方で詳しく扱っています。
大きな会場を経験しても、近い客席には緊張した
もう一つの転機が、Billboard Liveで行ってきた「LIKE A JAZZ」です。
客席との距離が近い場所で、曲をジャズ風のアレンジにして、ゆっくり聴いてもらう公演でした。
石井は一万人の前でも歌ってきた人ですが、この会場では、目の前に観客がいることに、手が震えるほど緊張したといいます。
会場が小さいから簡単、とはいきません。
近くにいる一人ひとりの顔が見えることは、遠くまで続く大きな客席とは、別の緊張を生んだのです。
続けるうちに気づいたのは、自分がソロでも、米米CLUBの華やかさを強く意識していたことでした。
そのステージに慣れた人を満足させなくてはいけない、という気持ちがあった。
でも、装飾を重ねずに歌を中心にしても楽しんでもらえると分かり、自信がついていきます。
この違いは、「見せるライブをやめて、歌だけにした」というほど単純ではありません。
大がかりなショーもできるし、近い客席に向かって歌う公演もできる。
華やかさを足さなければ満足してもらえない、と考えずに済むようになったことが、石井にとって大きかったのでしょう。
2020年の同シリーズを訪れたファンは、テレサ・テンの曲を歌う声がよく合っていたことや、一人ひとりへ歌うという石井の言葉を記録しています。
米米の代表曲だけを再現する場ではなく、別の歌手の曲も自分の声で楽しませる場になっていました。

2022年は座って歌い、2023年は「浪漫飛行」を歌い直す
2022年の「ISHYST」では、石井自身も座って、全曲を丁寧に歌うスタイルを選びました。
感染拡大によって暮らしが変わった人たちに、落ち着いて歌を聴いてもらいたいという考えからです。
本人は、この公演を、簡素なステージでも歌える自信を得てきた延長として説明しています。
そして2023年の『浪漫飛行トリビュートアルバム』では、石井もソロで「浪漫飛行」を録音しました。
冒頭からサビを歌う、新しいアレンジです。
聴き手がよく知る曲の始まり方を、自分でも変えてみせたことになります。
このとき石井は、今の歌い方や声のほうが好きだと話しました。
長く歌ってきた曲だから、昔と同じ声を目指すしかないわけではない。
その時点で自分がよいと思う歌い方で、曲をもう一度組み立てることもできるのです。
2025年には、米米CLUBの17人で「THE FIRST TAKE」に登場し、「浪漫飛行」を歌っています。
冒頭の1993年版から32年後です。こちらは一発撮りのスタジオ映像なので、当時のコンサート映像とは伴奏や録音環境も違います。
その違いも含めて、同じメロディーをどんな間合いで歌い、伸ばした声をどう終えるかに耳を向けると、二つの時期の歌を比べやすくなります。
昔の歌を守りながら、自分の歌い方は変えてよい
石井竜也の歩みには、二つの変化があります。
一つは、ビブラートや言葉の間合いを使って、以前より濃い歌い方を選ぶようになったこと。
もう一つは、華やかなショーを作る力に加えて、飾りの少ない舞台でも歌で楽しませる自信を得たことです。
「浪漫飛行」を知っている人が、思い出の時期の歌を好きでいるのは自然なことです。
その一方で、石井は、思い出の曲をその後の声でも歌い続けてきました。
曲を残し、バンドの演奏を変え、ソロでも歌い直す。そのたびに、その時の自分が出したい声を重ねてきました。
若い頃の歌を聴いてから、今の歌を聴くとき、失われたものだけを探す必要はないのでしょう。
以前は照れてできなかった表現を、今なら楽しんでできる。
石井が今の声を好きだと言った背景には、長く歌ってきたからこそ増えた、そんな自由もあるのです。
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