昔の曲を、今の声で録音してほしい。
工藤静香のもとには、ファンからそんな声が届いていました。
2022年のセルフカバー集『感受』は、その願いに応えた作品です。
ただし、昔の伴奏に新しい歌声を入れただけではありませんでした。
本人は、出産後に声が変わったことや、年齢とともに少しずつ低くなってきた実感も話しています。
その変化にどう向き合い、長く歌ってきた曲を、もう一度自分の歌にしてきたのでしょうか。
1987〜1994年:歌いたい曲を、自分で選ぶまで
1987年、17歳で「禁断のテレパシー」によりソロデビュー。
本人は、ファーストアルバムの「すべてはそれから」を録音したとき、疲れていても歌に集中できることに気づいたと振り返っています。
続く1988年の「抱いてくれたらいいのに」では、もっとはっきりと、自分がこの歌を歌いたいと思いました。
候補は二曲あり、当初の第一候補は別の曲。
それでも、自分が歌えなければ誰か別の人の歌になってしまうかもしれないと考え、懸命に練習したそうです。
歌いたい曲を、自分が歌えるように練習する。その意志は10代の頃からありました。

「MUGO・ん…色っぽい」「黄砂に吹かれて」などを経て、1993年には「慟哭」を発表します。
のちに『感受』で歌い直すこの曲の、1993年のオリジナル版です。
1994年の「Blue Rose」では、それまで多くの曲を手がけた後藤次利から離れる決断をします。
本人にとっては、とても勇気のいる選択でした。
歌いたい曲を選ぶだけでなく、自分の音楽の形を、自分から変えていくようになります。
声が変わったとき、何を歌うかも変わった
その後の変化は、音楽の方向性だけではありませんでした。
2021年に声について尋ねられた際、工藤は、出産を経て艶や伸びが以前と違うと感じ、大きな衝撃を受けたことを振り返っています。
また、年齢を重ねるなかで、徐々に声が低くなってきたとも話しました。
これは本人が自分の声について語った実感です。
工藤はその変化を受け止め、今の声だから歌える曲もあると考えるようになっています。
同じ2021年の中島みゆきカバー集『青い炎』では、その姿勢が選曲にも表れます。
本人とスタッフがそれぞれ候補を出し、まずスタジオで一曲ずつ、ワンコーラスを歌ってみる。
そして、その時点の自分の気持ちと声に合う曲を選んだのです。
好きな曲だから、という理由だけでは決まらない。
実際に今の自分が歌ってみて、曲との相性を確かめる。
記憶の中の歌声ではなく、その日に出した声を聴いて決めるところに、今の自分への向き合い方が表れています。
2022年:「慟哭」を、伴奏から歌い直す
翌年の『感受』では、自分の過去の曲が選び直す対象になりました。
ファンが求めていたのは、昔の曲を今の声で聴くこと。
工藤はそれを、現在の表現で歌うことだと受け取り、編曲も新しくしています。
「MUGO・ん…色っぽい」はボサノバ風に、「くちびるから媚薬」はラテンの感触へ。
曲の雰囲気を変えることで、当時と同じように歌うことが正解ではなくなります。
『感受』の「慟哭」は、村松崇継が新たに編曲した2022年の録音です。
1993年版と聴き比べるときには、29年分の声の変化と、編曲による違いの両方があります。
声の高低だけを比べるより、同じ言葉がどんな音に囲まれ、どんな気持ちで語られる歌になったかを考えると、歌い直した意味が見えてきます。
ツアーを訪れた人の記録にも、変化を伝える小さな場面が残っています。
以前の「慟哭」では左右に振っていたペンライトを、新しい編曲に合わせて回してみる。
客席の動きまで変わった、という話です。
同じ曲を一緒に楽しんでいても、昔のライブをそのまま再現していたわけではありません。

コーラスの扱いにも、変化がありました。
かつての録音で厚く重ねていた声を減らし、「Blue Rose」では娘たちの声も加えています。
家で何声かの組み合わせを試していたとき、低いパートを歌ってもらったのがきっかけでした。
一人の声を何重にもするのとは違う響きが気に入り、正式に参加を頼んだといいます。
昔の曲を今の声で歌う、という願いから始まり、伴奏やコーラスまで選び直す作品になった。
『感受』では、主旋律を歌う声と、その周りで鳴る音を、一緒に作り直していたのです。
2024〜2025年:オーケストラと歌うことに慣れていく
2024年には、初めてのフルオーケストラ公演に臨みます。
ヒット曲が管弦楽の編曲で演奏されるなか、初回の公演では、後ろの楽団を振り返りながら歌う姿も見られました。
本人も、普段のポップスとは違う聴き方や感じ方ができると、喜びを語っています。
その翌年、2025年の兵庫公演では、前年を見た評者が、落ち着いて気持ちよさそうに歌う姿を印象に残しました。
オーケストラが後ろにいることへの驚きから、その演奏に包まれながら歌う楽しさへ。
長いキャリアの歌手にも、新しい編成に慣れていく時間があったのです。
この公演で歌った「カレリア」は、若い頃にヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団と録音した曲でした。
工藤は、当時はそのすばらしさを十分には分かっていなかったと振り返っています。
オーケストラとの共演は、まったく知らない世界に入っただけではなく、若い頃に経験した音楽の価値を、改めて感じる機会にもなりました。
2026年:落ち着いた歌だけに向かうわけではない
声の変化やオーケストラとの共演をたどると、年齢とともに静かな歌へ向かっていく話のように思えるかもしれません。
でも、2026年のオリジナルアルバム『Dynamic』は、「ロック」を掲げた作品です。
スキマスイッチ、wacciの橋口洋平、SUPER BEAVERの柳沢亮太ら、新たな曲を届ける作り手との仕事も続いています。
同年9月のNHKホール公演を初めて訪れた聴き手は、声の力だけでなく、動き続けるステージのエネルギーにも驚いていました。
また、客席からのリクエストを受け、デビュー曲「禁断のテレパシー」を歌う場面もあったと記しています。
新作を歌うライブの中へ、39年前の曲が入ってくる。
過去と現在を別々に並べるのではなく、今の公演で一緒に歌える曲として扱っているのです。
変わった声で、昔の曲にも新しい曲にも向き合う
工藤静香の歌声の変遷は、単純に、若い声から落ち着いた声へという順番では捉えにくいものです。
本人は声の変化を感じながら、今の声で歌ってみて曲を選び、昔の曲では伴奏まで変え、新しいロックの作品にも取り組んできました。
変わった声をどうするか、という問いに、歌う曲と歌い方の両方で答えてきたのでしょう。
昔の「慟哭」を好きなまま、2022年版では何が変わったのかを楽しめる。
1993年の録音を聴いたあとで2022年版に戻ると、知っている曲をもう一度聴く楽しみが生まれます。
その違いは、声質だけで決まるものでもありません。
悲しい歌詞の主人公をどう捉えるか、同じ言葉にどれだけ力を込めるかという点は、工藤静香の歌い方でも掘り下げています。
今の声で歌うとは、ただ新しい録音を残すことではなく、歌の中で何を大切にするかを、もう一度選ぶことなのです。






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