「歌い直したい」と思った曲が、長年のライブの終曲であり、ファンにも愛されてきた。黒沢薫が2025年に再録した「After the Rain」は、失敗作を修理するための曲ではありません。本人は2005年の歌を「青臭さ、危うさ」も含めて大切にしながら、当時は楽曲の力に歌唱が少し追いついていなかったとも率直に振り返っています。
ゴスペラーズで歌い続けてきた人が、ソロの第一作に戻ってそう言えるまでに何があったのでしょう。2005年、2013年、2015年、そして20周年の新録をたどると、変化したのは単に高音の出し方ではなく、一人で歌うときに何を届けるかという選択です。
ゴスペラーズのリードと、一人の歌は同じではなかった
黒沢は1994年にデビューしたゴスペラーズのメンバーです。2000年の「永遠に」は、彼らを広く知られる存在にした曲の一つ。五人で声を重ねるグループでは、誰かが主旋律を歌っていても、別の声が言葉や感情の背景を作ります。公式MVはその時期のグループ作品をたどる入口になりますが、映像の公開日を当時の録音日と取り違えてはいけません。
2005年、黒沢は「遠い約束」とアルバム『Love Anthem』でソロを始めました。同作には、のちに長く歌い続ける「After the Rain」も収められています。これだけリードを歌ってきた人なら一人でも同じように歌える、と思うかもしれません。ところが、2013年の取材で本人が明かした実感は逆でした。五人の中で最初から最後までリードを取る場合と、ソロで一曲を担う場合では、表現や気持ちの出し方が違うと、初めてのソロアルバムを作ったときに気づいたそうです。
違いに気づいた瞬間に答えが見つかったわけでもありません。黒沢はその後も年に一度はソロライブを続け、何を一人で表したいのかが七、八年かけて固まってきたと語りました。2005年の録音を現在の黒沢が聴き直して感じた「少し足りなかった」という思いは、当時からすぐに克服できる課題だった、という話ではないのです。

2013年、「愛」の宛先を広げたとき
二枚目のソロアルバム『LOVE LIFE』は2013年に発売されました。黒沢は一枚目を、男女二人の関係が深まっていく物語として捉えています。一方、二枚目では、身近な一人から友人や家族も含む人たちへと、歌の宛先を広げたいと話しました。2011年の震災を経て、自分が歌える愛の範囲も変わったという説明です。
その変化は歌詞の主題だけではありません。本人によれば、表題曲「LOVE LIFE」はクワイアを生かした曲で、女性の声も必要でした。五人で歌うとメッセージの芯がぼやけると考え、一人の歌を中心に据えたのです。グループでは五人の声が言葉を支えますが、この曲では、誰がその言葉を引き受けるのかをはっきりさせたかった。ソロは声を一つに減らしただけのゴスペラーズではなくなりました。
黒沢が当時「もう一度ソロデビューしたような気持ち」と話したのも、発売間隔が空いたからだけではないでしょう。七、八年のライブで見つけた表現を、二枚目では作品として形にできた。その手応えが、この言葉につながります。
2015年、声を増やさずに共演を広げる
ソロ十周年の「Supernova duet with 三浦大知」では、今度は一人で背負う歌から、相手と力を交わす歌へと幅を広げました。三浦大知のデビュー曲を黒沢が書いた縁もあり、二人の十周年を重ねた企画です。黒沢は、こうしたデュエットこそソロで取り組めることだと話しています。
華やかな曲でも、背景の声は無制限に増やしていません。本人はこの時期、ソロ曲のコーラスを三声以上にしないと決め、五人で作る厚みとは違う、シンプルな強さを求めたと説明しました。自分の声で全部を埋めるのではなく、共演者が入る場所を作る。その判断には、2005年に感じた「一人の歌は違う」という問題への、一つの答えが見えます。
同じ取材で黒沢は、当時の流行のサウンドで自分がどう歌えるか試したいとも話しました。「Supernova」は、最初に思い描いた80年代風の音からサビでEDMへ向かう構想を持つ曲です。長く親しんだ歌い方を守るだけでなく、共演相手と新しい音の中で歌う選択が、ソロの十年目にありました。
2022年、「派手な声」をあえて前へ出し切らない
2022年の『All U Need Is Luv』では、別の方向も試しています。ゴスペラーズではハイトーンやロングトーンを十分に歌っているから、ソロでは中音域の味わいとグルーヴを重視した、と黒沢は語りました。「薫風」は自分のバラードでも特に抑えて歌い、「Honey」では普段より歌の音量を下げ、伴奏に半分埋もれさせる意図があったそうです。
この作品で黒沢は、歌い手である自分の声を、プロデューサーでもある自分が新しいビートにどう置くか試したかったと話しています。特に「Wake Up」は2018年にはソロライブで歌っていた曲でしたが、2022年の録音に向けて歌詞を書き直し、従来の8ビート・16ビート系から、アフロビートやトロピカルハウスを意識した音へ変えました。SKY-HIを迎えたのも、言葉を若い世代へ届けるため。曲が変われば、歌う相手と言葉の運びも考え直す。2013年に「誰へ愛を歌うか」を広げた黒沢が、今度はメッセージの届き方から声の場所を選んでいます。
ここから「高い声が出なくなった」と結論づけることはできません。黒沢自身は高い音にも触れていると説明しています。選んだのは、出せる声をすべて前面に置く方法ではなく、曲のリズムや伴奏に合わせて声の位置を変える方法でした。2005年のソロで抱えた問いに対し、一人で歌う方法は一つではない、とさらに答えを増やした時期です。曲ごとの具体的な選択は黒沢薫の歌い方で掘り下げます。
2025年、同じ曲に戻って見つけた「今」の歌
ソロ二十周年のEP『Singaholic』に、「After the Rain – 20th Anniversary Edition -」が収録されました。この曲は2005年の『Love Anthem』にあり、長年ソロライブの締めくくりにもなってきました。歌うたびに手元で育ててきた曲を、正式な録音として残し直したのです。
黒沢が公式のセルフライナーノーツに記した再録の理由は三つあります。当時の自分の歌が曲の持つ力に少し届いていなかったと思うこと。曲をもっと多くの人へ届けたいこと。そして、ライブでしか聴けなかったゴスペル風のリプライズを録音しておきたいことです。若い日の危うさにも価値を認めながら、今回の歌唱でようやく曲を十分に表せたと感じた、と本人は記しています。
これは第三者が新旧録音を測定した結果ではなく、歌手自身の二十年後の評価です。それでも、変遷を読むうえでは重い言葉です。歌の巧拙だけを比べるなら2005年版を消して新録だけ残せばよい。しかし黒沢は、初期の青さも認めたうえで、ライブで育てた部分を新たな版に刻みました。過去を否定しないからこそ、二つの録音がそれぞれ別の時期の黒沢を伝えます。

同じEPの新曲「夢みる頃を過ぎても」は、応援してきた人たちと、歌うことそのものへの思いを込めたバラードです。カバー曲や共演曲も並ぶ一枚の最後に、初作からの「After the Rain」がある。曲は昔のままでも、そこで歌う人が背負う時間は違います。
黒沢薫の変化は「高い声から低い声へ」といった一本の線では説明できません。五人の中のリードとは違う一人の責任を知り、歌の宛先を広げ、共演者のための余白を作り、声を伴奏へ近づける選択も覚えた。その後に2005年の曲へ戻ったとき、若い歌の価値を残しながら、今の自分で届け直せるようになっていました。

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